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兄さんだって、今日の意味をよく分かっているから、きっと緊張しているんだろう。
玄関で靴を脱ぎながら、俺は改めて今日の重要さを噛み締める。
今日この場で、俺と仁さんの関係が正式に認められるかどうかが決まる。
兄さんの判断次第で、俺たちの未来が変わるかもしれない。
仁さんも丁寧に靴を揃えて、兄さんに軽く会釈をしている。
その礼儀正しい態度を見て、俺は少し安心した。
仁さんのことだ、きっと兄さんにも良い印象を与えてくれるはずだ。
リビングまで通され、クッションの上に座るように促される。
畳の部屋に座卓が置かれた、いかにも日本の家庭らしい空間だった。
兄さんの家に来るたびに思うけれど、やっぱり落ち着く雰囲気だ。
でも今日は、いつもとは違う緊張感が部屋を包んでいる。
俺が左側、仁さんが右側のクッションに正座するのを確認してから、テーブルの対面に同様に兄さんが腰をおろした。
正座に慣れていない仁さんが、少し苦労しているのが分かった。
でも、文句一つ言わずにきちんと座っている姿を見て、この人の真剣さが改めて伝わってくる。
仁さんの背筋がピンと伸びていて、武道でもやっていたような美しい姿勢だった。
部屋の中は静寂に包まれて、時計の針の音だけが聞こえている。
俺含め三人とも、何から話し始めればいいのか、少し迷っているような雰囲気だった。
「今日は来てもらえて嬉しいよ」
微笑んで言う兄さんに、仁さんが深々と頭を下げた。
「本日はお時間を頂きありがとうございます。こちら、つまらないものですがどうかお納めください」
仁さんは持っていたカバンから丁寧に包まれた箱を取り出し、兄さんに向けるようにテーブルに置いた。
それは有名洋菓子店のケーキで、予約は2年待ちと言っていたが、車内で仁さんが
「ちょっとしたツテで手に入れた」と言っていたお店のものだった。
箱の包装紙も高級感があって、明らかに特別なものだということが分かる。
仁さんがどれだけ準備に気を遣ってくれたかが伝わってきて、俺は胸が熱くなった。
「これ、2年待ちって噂の…よく買えましたね?」
兄さんの驚いた声に、俺も少し誇らしい気持ちになった。
仁さんが俺のために、そして兄さんのために、どれだけ努力してくれたかが伝わってくる。
「いえいえ、ちょっとしたツテがあったもんですから」
仁さんは謙遜するように答えているけれど、きっと相当苦労してくれたんだろう。
仁さんの人脈の広さや、気遣いの深さを改めて感じる。
「そうでしたか、わざわざありがとうございます」
言いながら、兄さんはそれを脇に置いた。
そのまま視線を俺達に戻して話を切り出した。
瞬時に部屋の空気が少し張り詰めたような気がした。
いよいよ本題に入るんだという緊張感が、三人の間に漂う。
俺の手のひらにも、じっとりと汗をかいているのが分かった。
「まずは改めて……犬飼さん、あなたが元ヤクザということは楓からは聞いていますし、刺青のようなものもチラっと見てしまったので、そう気を張らないでください」
兄さんの言葉に、仁さんの肩が僅かに下がったのが分かった。
きっと、最初から全てを打ち明けて話せることに安堵したんだろう。
「それは、助かります」
仁さんの声にも、少しほっとした様子が見て取れた。
でも次の瞬間、仁さんの表情が一変した。
「ただ、その前にお詫び致します」
そう言った瞬間
仁さんは座布団の横に移動すると、迷いなく床に両手をつき、深々と頭を下げた。
額を畳にこすりつけ、その姿勢のまま謝罪の言葉を述べた。
俺は息を呑んだ。
仁さんのこんな姿を見るのは初めてだった。
普段の余裕のある態度とは全く違う、心の底からの謝罪。
この人が俺のために、どれだけ真剣になってくれているかが痛いほど伝わってくる。
「素性を隠し、自分の身の程もわきまえず楓くんと交際を始め、それを隠す形になり、ご挨拶が遅れてしまったこと、重ねて…大切な弟さんを危険に晒してしまったこと、大変申し訳ありません」
地獄の底から響くような低い声で仁さんが言った。
まるで獣が牙を剥く寸前の唸り声。
額が畳に擦れ、その体は微動だにせず、鋼の意志を感じさせた。
この人がどれだけの想いを込めて謝罪しているかが、その広い背中から伝わってくる。
俺は何も言えずに、ただその光景を見守るしかなかった。
対する兄さんは無表情だった。
でも、その目には仁さんの真剣さを受け止めようとする意志が宿っているのが見えた。
「…頭を上げてください。そんな真似をしてもらわなくても結構です」
兄さんの声は穏やかだったけれど、どこか困惑している様子も見て取れた。
「いえ」
仁さんは更に頭を低くして言葉を続けた。
「ケジメはきっちりつけさせてもらいます、指でもなんでも詰めますんで」
その声は、さっきよりも更に深く、重いものになっていた。
同時に、部屋の空気が凍りついたような気がした。
兄さんの顔が青ざめて、俺も思わず身体が硬直する。
仁さんの覚悟の深さに、改めて驚かされた。
その時、兄さんが何かを呟いた気がしたが、俺には聞き取れなかった。