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「皆様、本日はアートプラネッツ 体験型ミュージアムのプレオープンイベントにようこそお越しくださいました」
いよいよイベント当日。
会場の広いロビーに瞳子の明るく綺麗な声が響く。
「コンピュータテクノロジーを駆使し、まだ知らなかった未知の世界をあなたにお届けするアートプラネッツの芸術作品。今回のミュージアムのテーマは【Spring〜生命の息吹〜】です。アートプラネッツが世界に発信する日本の美しい春と地球の神秘を、皆様も五感を研ぎ澄まし、どうぞ心ゆくまでお楽しみください」
このミュージアムは自信を持ってオススメ出来る、そんな表情で瞳子は報道陣を見渡す。
三脚で固定された大きなテレビカメラがずらりと並び、席に座ってカタカタと早速記事を書いている記者もいた。
「それではこれより、株式会社アートプラネッツ代表 |冴島《さえじま》 大河のご挨拶とテープカットに移らせていただきます」
スーツに身を包んた大河がスッと瞳子の後ろを通り過ぎ、報道陣の前に歩み出た。
ゆったりとロビーを見渡してから優雅にお辞儀をする。
(わあ、なんだか芸能人みたいなオーラがあるな。それに背も高くてスタイルがいい)
今まであまり大河を意識していなかった瞳子は、改めてじっとその姿を見つめる。
172cmの自分よりも、優に10cm以上背が高い。
(ってことは、185cmはあるわね)
ひとしきりカメラのシャッター音が鳴った後、大河はマイクを手によく通る低めの声で話し始めた。
「皆様、本日は我々の新たな自信作、【Spring〜生命の息吹〜】へようこそ。アートプラネッツ代表の冴島 大河です。このミュージアムはどんな物なのか、どんな世界が広がるのか、どこが見どころなのか…。そんな事前説明や心構えは一切不要です。ただ頭と心を真っさらにして体験してみてください。きっと今まで知らなかった感覚が呼び覚まされると思います。どうぞ思う存分、この世界観に浸ってください。そして本日は、このミュージアムにVIPのお客様をお招きしております。ご紹介しましょう」
瞳子はパーテーションの後ろに控えていた子ども達を、大河のもとへと促す。
「子どもは遊びの天才です。彼らがこのミュージアムを楽しむお手本です。子ども達がどんなふうに我々のアートを吸収してくれるのか、そこからどんな発想が生まれるのか、私も大いに楽しみにしています。じゃあみんな、準備はいい?」
赤いテープの前に並んだ子ども達に大河が声をかけると、うん!と皆は頷く。
「それではいよいよアートプラネッツ体験型ミュージアム【Spring〜生命の息吹〜】オープンです!」
瞳子のセリフを合図に大河や子ども達がハサミでリボンをカットし、一斉に拍手が起こった。
と、次の瞬間。
照明が落とされて前方の大型スクリーンに映像が映し出される。
それは瞳子が登場するあの宣材映像だった。
皆は静まり返って映像に注目し、テレビカメラもスクリーンを撮影している。
やがてゆっくりとタイトルが浮かび上がって映像が終わり、照明が明るくなった。
「それでは皆様、どうぞ中へ!」
瞳子が手で入り口を示すと、子ども達は、やったー!と我先にと入っていく。
取材陣もそのあとに続いた。
「わー、すごい!」
「面白ーい!」
「見て見て、楽しい!」
子ども達の興奮した声が次々と聞こえてきて、瞳子は思わず笑顔になる。
ぴょんぴょんと床を跳ねて光の輪を作り出したり、妖精やこびとに変身してポーズを取ったり。
誰かが光のボールに手をかざして上に投げると、天井から舞い落ちる輝きに誰もが息を呑んだ。
メインホールの隣の部屋には緑の森の風景が広がっており、子ども達が低いテーブルで、思い思いに生き物や植物を描き始める。
「何でも好きな絵を描いてね。どんなものでもいいよ。描けたら持ってきてね」
透がお絵描きしている子ども達に声をかけ、出来上がった絵を受け取っている。
「おっ、これはまた面白い絵だね」
「うん。バッタのバータくん」
「あはは!バータくんか。いいね!じゃあ今からバータくんを、この緑の森に連れて行くよ。見ててね」
男の子が描いたバッタの絵を、透はスキャナーで読み取ってから、スクリーンに映っている森の絵の中へと投入する。
「あ、来た!バータくん!」
ぴょこぴょこと現れたバッタの絵を男の子は嬉しそうに追いかける。
思わず手で触れると、バッタはピョーン!と高く飛んだ。
「わあ、すごい!バータくん飛んだよ!」
男の子は目を輝かせて透を振り返る。
他の子達もそれを見て、やりたい!と次々に透に絵を持って来た。
「はーい、順番ね。みんなの絵で森が賑やかになったね」
子ども達は嬉しそうに、自分の描いた絵がスクリーンで動くのを追いかけていた。
瞳子がまた別の部屋に行ってみた時だった。
床にカラフルな丸い輪がいくつも並び、踏むと色んな音階で音が出るのを女の子がぴょんぴょんと楽しむ姿に目を細めていると、ふいに「瞳子ちゃん」と声がした。
瞳子は時が止まったように動けなくなる。
その声は懐かしく、瞳子の記憶を一瞬で遡らせた。
大学生だった頃、いつも明るく笑いかけてくれた彼。
いつも優しく「瞳子ちゃん」と名前を呼んでくれた彼。
そう、今のこの声のように。
瞳子はゆっくりと声の主を振り返る。
あの頃と変わらない微笑みを浮かべている彼。
倉木 友也がすぐそこにいた。
「久しぶりだね、驚いたよ。何も知らずにイベントの取材に来たら、瞳子ちゃんが司会をしてるんだもん。相変わらず綺麗な声で上手だなって思ってたら、今度は映像にも登場してて。あまりに美しくて見とれてしまった」
「あ、はい…」
何と答えていいのか分からず、瞳子は思わず視線を逸らしてうつむく。
今日、友也のテレビ局が取材に来ることは知っていたが、本人が来るとは思わなかった。
それに先程のイベント中も、彼の姿は見当たらなかった。
意識して彼を探していた訳ではないから、なんとなく見過ごしてしまったのかもしれないが。
「元気だった?かれこれ、えっと…3年ぶりかな?」
「はい、元気にしています。先輩のご活躍ぶりも、テレビで時々拝見しています」
すると友也は驚いたように目を見開いた。
「先輩…か。そんなふうに呼ばれたの、いつ以来だろう?」
ひとり言のように、どこか寂しげに呟く。
瞳子は黙ってうつむいたままだった。
友也を「先輩」と呼んでいたのは、出会った頃だけ。
つき合い始めてからは、ともくんと呼んでいた。
だが、別れた後にこうして偶然再会した今、呼び方を元に戻すのは当然のことだと思った。
それにもう、ともくんと呼べる雰囲気ではない。
テレビの世界にいる彼は遠い存在で、こうしている今も、誰かに見られているかもしれない有名人なのだ。
「あの、私、このあとの準備があるので失礼します」
この場から早く立ち去ろうと、唐突に切り出す。
「え?ああ、そう。忙しいところ呼び止めてごめんね」
「いえ。それではここで」
瞳子は両手を揃えてお辞儀をすると、視線を上げずに踵を返して離れていった。
「瞳子、そろそろレセプションパーティーの衣装に着替えてね」
プレオープンイベントが終わり、片付けが行われる中、千秋が声をかけに来た。
「あ、はい。今行きます」
瞳子は千秋と連れ立って控え室に行く。
海外のマスコミもいる夜のパーティーの為、二人は少し華やかなドレスに着替えた。
千秋は深紅のロングドレスにショートボレロ、瞳子はブラックのスレンダーラインのドレスだった。
ホルターネックで、お辞儀した時に胸元が見える心配がないのはいいが、ノースリーブが心許ない。
「千秋さん、私にもボレロかショールないですか?」
「ないわよー。それにそのドレスにそんなもの似合わないから」
「でもこれだとスースーするし、肌を見せ過ぎじゃないですか?」
「大丈夫。海外の女性なんてこんなの比じゃないから。ほら、座って。髪もアップにするからね」
千秋は、慣れた手つきで瞳子の髪をねじりながらアップでまとめ、スワロフスキーのついたピンで留めていく。
最後に念入りにメイクをすると、千秋は少し離れたところから瞳子を眺めた。
「わーお!またお目にかかれたわ、ゴージャス瞳子に。ありがたやー」
「なんですか?それ」
拝むように手を合わせる千秋に、瞳子は眉をハの字に下げて困惑する。
「そろそろ時間ね。さ、行きましょ!」
そう言って千秋は、まだどこか心配そうに自分の姿を見下ろす瞳子を促して部屋を出た。
「おおー、二人ともエレガント!大人っぽいなあ」
ロビーの端、パーテーションで区切られた待機場所に行くと、タキシード姿の透が千秋と瞳子をまじまじと見つめる。
他の3人も同じくタキシードを着ていた。
「うわ、皆さんこそかっこいい!」
千秋も驚いたように目を見開いた。
やや小柄な透はアイドルのような雰囲気で、体格の良い吾郎は外国人男性にも負けない風格がある。
洋平は知的な俳優のようだし、大河はスラリと背が高く抜群のスタイルで、パリコレモデルのようだった。
「なんだか俺達イケてるね。美男美女軍団」
「透、何言ってんの?」
無邪気に笑う透に洋平が呆れ、吾郎もやれやれと肩をすくめる。
大河だけはいつもの如く、ひとり涼しい顔で佇んでいた。
いつの間にか外は暗くなり、間接照明のムードあるロビーでレセプションパーティーは始まった。
「皆様、本日はレセプションパーティーへようこそ」
「Ladies and gentlemen. Welcome to the reception party」
瞳子の言葉を千秋が英語で追いかける形で司会進行をする。
ゲストの半数以上は外国人で、千秋の言葉通り皆華やかに着飾り、既にアルコールを片手に談笑していた。
まずは紹介映像から始めて、一気に注意を引きつける。
上映が終わり大河が挨拶すると、矢継ぎ早に質問が飛んできた。
「今後、海外で開催する予定は?」
「外国のミュージアムでお披露目する考えはあるか?」
「日本のアートを海外にどう発信するのか?」
英語の質問を千秋が日本語に訳すと、大河は英語で答えた。
それをまた千秋が日本語に訳していく。
ここが日本ではないような気がして、瞳子は圧倒された。
瞳子も簡単な英語は話せるが、自分の考えを淀みなく語れる程ではない。
スラスラとまるで流れるように英語でコミュニケーションを取る大河を、瞳子は尊敬の眼差しで見つめていた。
やがてフリータイムとなり、ゲストは思い思いにミュージアムを体験して回る。
大河達4人は、その対応に付きっきりになった。
千秋も通訳として、ゲストを案内している。
ひとり残された瞳子がロビーで原稿の整理やマイクの片付けをしていると、タキシード姿の外国人がグラスを両手に持って近づいてきた。
「ハイ!こんばんは」
「あ、はい。コンバンハ」
日本語で話しかけられているのに、こちらがカタコトになってしまうのはなぜだろう?
そう思いつつ、にっこり微笑んでくる男性に、瞳子もなんとか笑みを浮かべる。
「乾杯しましょう。どうぞ」
「あ、アリガトウ…ございます」
グラスを受け取って、二人で乾杯する。
「とてもステキなミュージアムだね。君もとてもビューティフル。ボクは日本が大好きです」
「あ、そうですか。私も、日本が、大好き、デス」
何を言ってるの?と自分に突っ込みつつ、瞳子は相変わらずカタコトで答える。
「ここはちょっとうるさいね。外に行こう」
そう言うと男性は、瞳子のウエストに手を回して引き寄せた。
ザワッと一気に鳥肌が立ち、瞳子は身を固くする。
男性は更に強引に瞳子を抱き寄せようとした。
「あの、待って。離してください」
「ん?君、シャイなの?ダイジョウブだよ」
「大丈夫じゃないです。あの、本当に離してください」
男性に身体を触れられていることに嫌悪感が込み上げてきて、瞳子は身をよじって必死に逃れようとした。
だが酔っているのか、男性はますますグッと瞳子を抱き寄せて外に連れ出そうとする。
「お願いだから離して!嫌!」
かつての恐怖が蘇り、思わず声を荒らげた時だった。
「Excuse me. What is your business with my wife?(失礼。私の妻に何か?)」
そう言いながら瞳子をかばうように、誰かが二人の間に身を滑らせてきた。
(えっ、この声は…)
瞳子は視線を上げる。
思った通り、友也が鋭い視線を男性に向けていた。
「Oh, your wife? Sorry」
友也に威圧されたように、男性は瞳子の身体から手を離してそそくさと立ち去った。
「大丈夫?」
振り返った友也に心配そうに顔を覗き込まれて、瞳子は慌てて頷く。
「はい、大丈夫です。助けていただいてありがとうございました」
頭を下げると、友也は小さく息をつく。
「そんな他人行儀な…。あ!ごめん。さっきあいつを追い払うのに、君を妻だと言ってしまって。申し訳ない」
「いえ、そんな。大丈夫です。それより先輩、夜のパーティーにもいらしたんですね」
てっきり友也は、プレオープンイベントだけで帰ったとばかり思っていた。
「うん。海外の有名企業や若手投資家、あとはインフルエンサーも招かれてるからね。夜もかなりの尺でリポートするつもりだったんだ」
「そうだったんですね」
最初からその予定だったのだろう。
友也も昼間とは違ってタキシードに着替えていた。
「それより、少し場所を変えた方がいい。俺が君から離れたら、またさっきのあいつみたいに言い寄ろうと、たくさんの男が君を狙っている」
「ええ?まさか、そんな」
「いや、本当だ」
そう言って友也は、さりげなく周囲に目を配る。
「んー、多すぎて数え切れない。瞳子ちゃん、少し外へ行こうか。俺と恋人同士だと思わせた方がいい。親しそうなフリをしてくれる?」
友也は瞳子に優しく笑いかけ、出口へと促す。
瞳子も友也に寄り添って、二人で建物を出た。
すぐそばのベンチに腰を下ろすと、友也がジャケットを脱いでそっと瞳子の肩に掛けた。
「ありがとうございます」
お礼を言って、両手でジャケットの前を合わせる。
すると、ふわりと友也の香りと温もりに包まれた。
瞳子の胸は懐かしさでいっぱいになる。
「ねえ、瞳子ちゃん」
「はい」
「こんなこと、今さら聞くなんて女々しい奴だと思うかもしれない。でも一つだけ聞かせて欲しいことがあるんだ」
なんだろう?と、瞳子はそっと友也の横顔を見る。
「3年前、俺と別れたいと言ったのは、俺のことが嫌いになったから?」
「えっ…」
言葉に詰まっていると、友也は瞳子に向き直って視線を合わせた。
「あなたとはこれ以上つき合えません、別れてください。あの時、君はそれしか言ってくれなかった。それは俺のことが嫌いになったからってこと?それとも何か別に理由があった?俺はあの時、君に別れを切り出されたショックで冷静に考えられなかったんだ。君の決意は固くて、携帯の番号もアドレスもアカウントも、何もかも変えてしまったよね。どうやっても連絡が取れなくて、それほどまでに俺のことを嫌いになったのならと、諦めるしかなかった。でも今、どうしても聞きたいんだ。俺のどこがそんなに嫌いになったの?」
真っ直ぐに真剣に見つめられ、瞳子は何も考えられなくなる。
「あの、それは…」
友也を嫌いになって別れた訳ではない。
だがあの時、本当の理由を友也に伝える気にはどうしてもなれなかったのだ。
優しくて温かい彼との思い出。
それをそのまま残しておきたかった。
自分の過去、コンプレックス、そしてこの先ずっと、抱かれることに恐怖心が湧いてきて拒み続けてしまうかもしれない不安…。
全てを打ち明ける勇気が持てなかった。
彼に重い女だと思われたくなかった。
せめて楽しい日々の記憶だけを残して別れたかった。
それが自分のわがままだと分かっていても。
「あの時は本当にごめんなさい。悪いのは私です。勝手なことを言って本当にすみませんでした」
それだけを言って頭を下げていると、しばらくして、ふっと友也が寂しそうに笑みを漏らした。
「やっぱり教えてもらえないか…」
ゆっくりと視線を上げると、友也は静かに笑っていた。
「あんたなんか大ッキライ!この女々しいウジウジ男!」
「…え?!」
「って言って、思い切り引っぱたいてくれない?そうすればスッキリ別れられる気がする」
「そ、そんな!先輩を引っぱたくなんて出来ません」
「じゃあ、もう一度つき合ってくれない?」
「え…」
瞳子は驚いて息を呑む。
何がどうなっているのか、友也は何を言っているのか、頭が追いつかない。
「君を忘れようとしても無理だった。諦めたつもりだったけど、今こうして目の前にすると抱きしめたくなる。そんな俺をボコボコに振ってくれるか、それとももう一度つき合ってくれるか、そのどちらかを選んでもらえないかな?」
「そ、そんな…。先輩には、今おつき合いしてる人がいるんじゃ?」
「いないよ。恋人は君が最後だ」
「え…、そんなはずは」
華やかな世界でもてはやされる人が、ずっとフリーだったと?
週刊誌の記事も嘘だということ?
混乱しつつ、瞳子はただ呆然とする。
やがて友也がゆっくりと口を開いた。
「ごめん。いきなりこんなこと言われても困るだけだよね。君だってあれから3年の間に色んなことがあっただろうし」
そう言ってしばらく思案してから、友也は再び顔を上げた。
「瞳子ちゃん、今は君の連絡先を聞かない。だけど、もしもう一度どこかで偶然再会出来たら、その時はさっきの返事を聞かせてくれる?」
「さっきの、返事?」
「ああ。俺ともう一度つき合ってくれないか?って言葉の返事を」
そして穏やかな笑みを浮かべると、おもむろに立ち上がる。
「じゃあね、瞳子ちゃん」
「…あ、先輩!ジャケット」
「預かってて。また逢う日まで」
片手を挙げて振り向かずに去っていく後ろ姿を、瞳子は言葉もなく見つめていた。