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陸の両親は優斗が両親だと思っていた二人だ。だから目の前にいる稲本友理奈のことは、陸のお母さんなどと呼ぶべきではない。
しかしそう考えてしまうと、優斗という存在はどこにあるのか。
「あぅ、うう、うぅうううう……!!」
堂々巡りを始める脳が頭痛を訴え、次第に優斗の表情は耐えがたい苦痛に歪んでいた。
頭を掻きむしり、抱え込み、なぜこんなことになってしまったのかと涙が出てくる。それを哀れみの表情で抱きしめ、友理奈は心底苦しげに頬をすり寄せた。
「かわいそうに、ごめんね。本当にごめんなさいね。こんなことになるならあの日、大輔くんのお願いなんて聞かなければよかった」
抱きしめられながら、優斗はじんわりと髪が濡れていくのに気がついた。
泣いている。なぜ?
後悔して。なにを?
三科大輔の願いを聞いたから。それはなんだ?
優斗が顔を上げたことに気付き、友理奈も正面から優斗を見る。後悔を示すように眉尻が下がった表情で唇を噛んだ友理奈は、落ちついて聞いてちょうだいと口火を切った。
「こんなことが起こらなければ一生、優斗くんと陸には話さないつもりだったことよ」
この切り出しで、優斗はその内容を予感した。
「……陸が三科家の子だって、知ってて育てたんですか?」
問いかけに、友理奈は静かに頷く。
「俺がどこで生まれた、誰の子どもかも、知ってるんですか」
再び、頷く。
「先に結論だけ話しましょうか。──優斗くんはね、本当はうちの子」
目を細めて口を開いた友理奈に対し、優斗は目を見開いて受け止める。
疑問を口にするでも、狼狽えるでもなく息を飲むと、くしゃりと前髪を握りしめた。
「……なんだよ、それ。わけわかんないよ」
そのまま、ソファの上で顔を覆って蹲る。
「分からないわよね。急な話だし、他人から聞かされたあとにこんなことを言われても納得できないのは分かるわ。でも話しておくべきだと──」
優斗の肩に添えようとした友理奈の手を振り払い、指の間から引き攣った声が漏れた。
「聞きたくないです。今は嫌です! いきなりそんなこと言われたって、頭に入るわけないじゃないか……!」
より体を縮める優斗に、友理奈はなにも言わずただ隣に腰を下ろしたままだった。
落ちつくのを待つつもりだろうかと脳裏をよぎるも、もはや優斗には、それが友理奈の自己満足以外には思えなかった。
現在の優斗は、身内から、世間から追い立てられ、四面楚歌だ。稲本夫妻は唯一の庇護者だったはずが、ここにきて優斗を裏切り、最後の追い込みをかけているように思えた。
どこかに行ってくれと願いながら、どこかに行くべきは本来自分なのだと自覚する。
しかし行く当てなどあるわけもない。消えてしまいたいと、泣きながら願う。
そんな優斗の傍らに座ったまま、友理奈が口を開いた。
「ここからはね、私の独り言。ドロドロした大人の思い出語りよ。だから聞きたくなければ、寝ちゃっていい。──私ねぇ、三科さんの家にすごく憧れがあったの」
ほんの少し、優斗の目が友理奈を見る。
うっすらと笑みを浮かべるその顔は、夢見心地の少女のようにも見えた。
■ □ ■
友理奈は昔から、欲しがりの少女だった。
「お母さん。お母さんが食べてるアイスちょうだい」
「お父さん。あの子がこんなオモチャ持ってたの。私にも買って」
「その消しゴムめっちゃ消えるよね。私にくれない? 消しゴムくらい、いいでしょ?」
「私の方が可愛いし、あの子二股かけてるって噂あるんだよ。彼女なら私にしなよ」
「この企画の大元は私なのに、あなたがプレゼンするなんておかしいわ。せめて連名にすべきでしょ? じゃなきゃあなたが私の企画を横取りしたって、人事に言いつけるから」
幼児期から社会に出るまで一貫し、友理奈はなんでも欲しがった。
駄菓子、私物、恋人、名誉。欲しいと思ったものは手当たり次第だ。しかもそれを根回しと機転で手に入れてしまうことから、疎まれる反面、賞賛されることも多かった。
その中で、誰かが言った。
「友理奈って、もしかして三科って家の親戚だったりする?」
小馬鹿にしたような言い方だったと思う。しかし意に介さず、友理奈は瞬いた。
「三科ってなに?」
「知らない? 山奥に住んでる、座敷わらしが家にいるお金持ち。欲しいものは全部座敷わらしが持ってきてくれるって。だからなんでも欲しがる友理奈も、もしかしたら……」
「え、なにそれ最高じゃない!?」
嫌味を遮り、友理奈は目を輝かせた。
友理奈はなんでも欲しがる。強請れるものも、奪えるものも、掠め取れるものも、欲しいと思ったものは手段を問わず手に入れてきた。
その友理奈が、欲しいものを持ってきてくれる座敷わらしの話を聞いて、なにを思うか。
──答えは明白だった。
「ねぇねぇ、三科さんちって校区で言えばどの辺りにあるの?」
「同級生だった子とか、誰かいないかな」
「噂でもいいから、なんか教えてよ」
「ねー、三科さんって人知らない?」
三科家に関する情報なら住所、家族構成、噂話までなんでも集め、稲本家に嫁いでからもそれは続いたらしい。縁さえあれば、そのおこぼれに預かれると睨んでのことだった。
そして結婚して数年。友人のツテでついに、当時新婚だった大輔と顔を合わせた。