『泣く子も黙るレン隊長からそんな言葉を聞くとは、僕、夢にも思わなかったよ』
その言葉を聞いた途端、レンブラントは自分が失言したことに気づいて、顔を顰めた。
しかし、もはや手遅れだった。
ダミアンはレンブラントの表情の変化すら面白いらしい。食べかけのバケットをテーブルに置くと、ルンタッタと彼の元へと近づいた。
「ねぇねぇ、レンは、あのお嬢ちゃんの事、一目見て気に入ったの?」
「……っ」
「もしかして、一目惚れしちゃった?」
「っ……!」
机に手を付き、こちらを覗き込もうとするダミアンを、レンブラントは黙殺して書類を読み続けようとする。
しかしダミアンはやめるどころか、こりゃあ堪らんと肩を震わせながら、更にぐいっと身体を近付けてくる。
「あっごめん、ごめん。聞くまでもないか。僕としたことが失敬、失敬。だって、この前の夜会ではヴァース卿のご令嬢を泣かせてたのに、平然としてたしねぇ」
「……あれはダンスを断っただけなのに、向こうが勝手に泣き出したんだ」
うっかり返事をしてしまったのは、大いなる過ちであった。
ダミアンは、やっとノッてきたかと言いたげに、弾んだ声で言葉を続ける。
「あーら、そぉーですかぁー。でもさぁ、ダンスくらい踊ってあげればいいじゃん。っていうか泣くほどキツイ断り方したの?鬼だね、レンは」
「はっ、冗談じゃない。任務でもないのに好きでもない女と踊ってられるか。それにあの女は泣けば言うことを聞いてくれるという打算からの涙だった。そんなもんに一々構ってやれるか。馬鹿らしい」
心底嫌そうな顔をするレンブラントに、ダミアンはチッチッチッと舌を鳴らしながら人差し指を振る。
「それすら可愛いって思ってあげなよ。それに嘘泣きまでしてレンと踊りたかったなんて健気じゃん」
「ふざけるな。……ん?お前、盗み見てたんだな。ったく、ならお前が踊ってやればよかったじゃないか」
「嫌だよー。僕はそんなチャラい男じゃない」
「確かにそうだな。だが、馬鹿息子であることは間違いない」
「……そんなぁ」
最終的にダミアンを言い負かしたレンブラントは、これで終わりと言いたげに、手にしていた書類を机に叩きつけた。
ダミアンの前髪が風圧で、ふわんと揺れる。
やべ、いじりすぎたかも。我が身の危険を感じたダミアンは、すすすっとソファに戻り、食べかけのバケットを、もそもそと食べ始め──完食したのと同時に、ノックの音が部屋に響いた。
「入れ」
「お邪魔しますよー」
レンブラントが机に着席したまま入室の許可を出せば、ガチャリと扉が開いて、ふくよか体系の宿屋の女将が顔を出した。
手には、湯気の立ったスープが乗ったトレーを持っている。
レンブラントは立ち上がると、宿屋の女将の前に立ち、丁寧に頭を下げた。
「夜分に無理を言って申し訳なかった」
「いえいえ、良いんですよー。そんなことお気になさらず。それより、はいっ。ご注文いただいたものです。温かいうちにどうぞ」
「助かります。本当にありがとうございました」
「……ふふっ。若い女の子は、見た目が良いと食欲が増すみたいだから、ニンジンを星型にしてみましたよ。では、わたくしはこれで」
若い頃はさぞ男性を虜にしたであろうチャーミングなウィンクをレンブラントにかました女将は、手にしていたトレーを押し付け背を向けた。
「なになに?どしたの?」
扉がきちんと閉まったのを確認してから問いかけたダミアンの瞳は、下世話な好奇心でキラキラと輝いている。
「……アルベルティア嬢が食欲が無く伏せっているとラルクから報告を受けたからな……」
嫌々答えたレンブラントは、露骨に”これ以上詮索するな”と目で訴えている。
しかしダミアンは、華麗に無視をした。
「えっ、えっ、えっ、それでまさかレン隊長はわざわざ女将さんにスープを作ってもらったの?!お嬢ちゃんの為に?嘘だろ!?君にそんな気遣いができるなんて……どうした?熱でもあるの?」
「……黙れ」
ぐっと呻きながら、レンブラントは部屋を出ようとする。ベルにスープを届けるために。
もしベルが起きていたなら、乱暴な扱いをしてしまったことを詫び、事情も説明したい。
予想外の出来事が起こったため、レンブラントは事の詳細を話すどころか、自分の名前すら伝えていない。
「あ、待って待って。僕も行くよー」
部屋で大人しく待つ気がないダミアンは、すぐさまレンブラントの後に続く。「付いてくるな、殺すぞ」というレンブラントの視線に気づかないふりをして。
レンブラントが不本意ながらダミアンと共にベルの部屋の前に到着すると、扉の前で警護に当たっていた部下の一人が端的に現状を伝える。
ベルは早々に休むと言ったきりで、耳を澄ましても物音一つしないそうだ。時間も時間だし、おそらくもう寝ているだろう。
年頃の女性の部屋に無断で入室するのは褒められたことではないが、万が一、夜中に空腹を覚えたならスープがあれば喜ぶと思い、レンブラントは入室することにした。
─── カ……チャ。
細心の注意を払ってレンブラントは扉を開けたが、次の瞬間、彼はカッと目を見開いた。
「おい!!何をやっているんだ!?」
素っ頓狂というよりは、怒声に近い声でレンブラントは叫んだ。
次いで、すぐ隣にいるダミアンにトレーを押し付け、部屋の奥へと駆け出す。
あろうことか、ベルは今まさに窓から身を乗り出し、逃亡を計ろうとしていたのだ。