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1|白いアパートの早朝
まだ薄い朝靄が残る住宅街。
白い外観のアパートの外階段を、ごみ袋を片手に幸田美彌子(36)が、もたつく足取りで降りていく。
茶髪のブリーチが寝癖で少し跳ね、ゆったりしたTシャツの裾が風に揺れた。
「んー……今日、燃える日で合ってたはず……」
半分寝ているような声でつぶやきながら、ごみ置き場へ向かう。
角を曲がるとちょうど、
細い体で軽やかな動きを見せる女性が、小さな袋を置こうとしていた。
美浜千里だった。
ショートボブの髪が朝日の光を受け、くっきりとした輪郭を描く。
黒の薄手カーディガンにワイドパンツという落ち着いた装いで、相変わらず静かな存在感がある。
「あ、おはようございます」
千里が気配に気づいて軽く会釈した。
美彌子は、くたっとした笑顔で手を振る。
「おはよ。早いねえ」
「最近、朝のほうが気持ちが整うので……」
「へえ~、さすがだわ。
私は毎朝こうよ、寝ながら歩いてるみたいな」
美彌子が冗談めかして肩をすくめると、
千里は小さく笑った。
ほんの短い静けさ。
空気は軽いのに、どこか穏やかで、互いに余計な距離を求めない気楽さがある。
「美彌子さん、気をつけてくださいね。
階段、朝は滑りやすいので」
「あ、うん……ありがとう。
千里さんも良い一日を」
「はい。美彌子さんも」
二人はそれぞれの方向へ歩き出す。
ごく短い立ち話だったが、どちらにとっても“無理のない朝”だった。
*
2|休日の短い静けさ
翌週の日曜。
千里の部屋には静かな光が差している。
薄いグレーのソファに膝を寄せて座り、
広げた旅行ガイドとタブレットの地図アプリを行き来しながら
小さくメモを取っていた。
メモには、こんな言葉が並ぶ。
・温泉街
・資料館(歴史関係)
・海沿いの古い道
・静かな喫茶店
ふと千里はペンを止め、小さく息をついた。
(……この前、美彌子さん、
「一人旅っていいよね」って言ってたな)
あの人のゆるい空気は、
千里の部屋の静けさとは対照的なのに、なぜか邪魔ではない。
むしろ、会話のあと少しだけ
心の隅が“柔らかく”なるような感覚があった。
千里は地図を拡大し、次のページの資料を重ねた。
(行きたい場所を、ちゃんと選んでいい)
休日の静けさに、
そんな小さな許可を自分へ与えられるようになった。
シンプルで淡々としていながら、
その静けさは――
これまでの千里にはなかった“余裕”だった。