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ウィリスタリア国とオルドレイ国は大陸続きなので、ほぼ同じ言語を使うが、衣装だけは全く異なる。
騎馬民族の集落が発展して、国と呼ばれるようになったオルドレイ国の衣装は、騎乗することを前提として作られている。
丈の長い上着は着崩れせぬよう、収縮性のある帯でしっかりと固定し、足元はブーツ。そして性別に関係なく、ズボンを着用して帽子をかぶる。
一見、それだけでは旅人のように見えてしまうけれど、オルドレイ国は独自の刺繡技術を持っているので、無地の布に繊細かつ大胆な模様を入れることができるのだ。
今、ティアの目の前にいるアジェーリアも、オルドレイ国の趣向を凝らした民族衣装を身に付けている。
隙間なく銀糸で刺繍された真珠色のとろりとした光沢のある上着に、水色の帯。頭に被る帽子には薄いヴェールが付いており、アジェーリアの髪を柔らかく覆っている。
初めて会った時のような幻想的なものではなく、この地に生きる覚悟を持った気高い鳥のようなアジェーリアは、これまでで一番美しかった。
寄り添うディモルトも非の打ち所がない美男子だから、二人が並ぶと相乗効果で眩暈すら覚えてしまう。
きっとどんな凄腕の絵師だって、この花嫁と花婿の姿を完璧にキャンバスに写すことはできない。
「ティアに一番に見せたかったのじゃ。どうじゃ?似合うか?」
少し上着の裾を持ち上げながら問いかけるアジェーリアに、壊れた玩具のように何度もこくこくと頷く。
「は、はい……!とっても、とっても綺麗です!!」
「よろしい。さて、グレン。ティアを下ろしてやれ」
「このままでも良いのでは?」
「ぬかせ。女子トークに男が入るなど、野暮の骨頂じゃ」
アジェーリアからそう言われ、グレンシスはため息交じりにティアを床に降ろす。すかさずティアは、グレンシスから三歩距離を取った。
それを確認したアジェーリアは、ディモルトから離れてティアの元へと歩を進め──二人は向かい合う。
「ティア、そなたとはここでお別れじゃ。だから、最後にコレを贈ろうと思ってな」
アジェーリアはそう言って、片側の耳から耳飾りを外した。
耳飾りには透明度は低いけれど、澄み渡った空色の宝石がついている。
(これ……値段にしておいくら?)
無造作に差し出されたオルドレイ国の特産品を、ティアは気軽に受け取れない。
「オルドレイ国では、友情の証に対なるものを贈るそうだ。ティア、貰ってくれるか?」
「でも、この衣装は、お輿入れの為のもの。そんな大切なものを頂くわけにはいきませんし……それに、私はアジェーリア様に差し上げるものがなくて……その……」
ごにょごにょと、ティアは受け取れない言い訳を並べ立てるが、本心はアジェーリアからの贈り物を受け取りたかった。
メゾン・プレザンの人たちは、ティアにとったら家族のようなもの。それ以外の人に対しては、バザロフを除いて、深く関わらないようにしてきた。
けれど、この一ヶ月、ティアはアジェーリアと共に過ごして楽しかった。身分の垣根を越えて、一人の人間として心から幸せを願っている。
それに、人生初めての恋バナをした仲なのだ。赤の他人とはできないことをしたのだから、嫁いでからも自分の事を忘れて欲しくない。
そんなティアの気持ちは、アジェーリアも同じだった。
「かまわん。それに、わらわの美しさは、耳飾り一つないぐらいで霞むものではないじゃろ?」
おどけた口調ではあるが、どうしても受け取って欲しい切実さがあった。
そこまで言われてしまえば、ティアは断る理由が見つからない。
「ありがたく頂きます」
うやうやしくそれを受け取ったティアを見て、アジェーリアは満足げに笑った。
ティアは、アジェーリアがどんな思いでこれを贈ったかは知らない。
贈った側のアジェーリアも、伝えるつもりはない。ただ受け取ってくれればそれで良かった。
オルドレイ国の王族──ディモルトの目の前で。これは、アジェーリアからの餞別だ。
年齢に似合わず、かなりの知識を持つアジェーリアは、ティアの存在がどういうものなのかわかっている。
オルドレイ国には、手をかざすだけで傷を癒すことができる一族がいる。25年前の戦争は、その一族が明暗を分けた。
移し身の術が使えるティアは、いつか両国にとって都合の良い存在になる危険性がある。
だからアジェーリアは、わざわざオルドレイ国の民族衣装に身を包み、オルドレイ国の習慣を使って、ティアを自分の友とだと宣言したのだ。
ティアが一介の騎士でも手の届く存在で居続けるために。
「離れていても、わらわはそなたの幸せを祈ってるぞ」
「はい。私も祈ってます。アジェーリア殿下がずっと笑顔でいますようにって」
耳飾りを握るティアの手に、アジェーリアはそっと自分の手を重ねる。
友の温もりを忘れぬよう、目を閉じ、記憶に刻む。それから、ニヤリと笑った。
「あとティア、わらわよりウェストを太くする命令は続行するぞ。決してこの約束、忘れるでない」
言うが早いがアジェーリアは、ティアの細腰を両手でつかんだ。
「ちょ、待って……!」
予期せぬアジェーリアの行動に、ティアが驚き過ぎてよろめいた瞬間、大きな手が背に触れて支えてくれた。
「殿下、お戯れが過ぎます」
「許してくれ。だが、ちょうどいい。お主を呼ぶ手間が省けた」
「は?……っ!?」
グレンシスが訝しげに眉を動かした途端、アジェーリアの形の良い唇が動いた。
「せいぜい頑張れ。後はお前次第じゃ」
声として発することはなかったけれど、ちゃんと読み取ったグレンシスは、唇を動かす。「望むところです」と。
そんな無言の会話をするアジェーリアとグレンシスから少し離れた場所にいるディモルトの視線は、ティアに向けられていた。
オルドレイ国では、色素の薄い髪と瞳を持つ民がほとんどだ。それでもゴールドピンク色の髪は珍しく、総じて特殊な能力を持っている。
ティアが使える移し身の術は、いわば国の財産だ。オルドレイの王族としたら、何としても自国に連れて帰りたい。いや、連れて帰らなければならない。
しかしディモルトは妻の願いを受け入れ、王族としての責務を放棄した。
「ティア殿、今後も我が妻の良き友人でいてください」
一歩、ティアに近づいたディモルトは胸に手を当て頭を下げる。
「も、もちろんです!光栄です!お手紙、いっぱい書きます」
「ええ、そうしてください。馬蹄印章を授けますので、アジェ宛の手紙にお使いください。通常の手紙より早く届きます」
「はい。ありがとうございます」
馬蹄印章──これを授けられた者は、オルドレイの王族と対等に接する権利を得る。
そんなことを知らないティアは、便利なものを貰えた程度に受け止め、ペコリと頭を下げた。
「さて、参るか。ディモルト殿」
心残りが何一つなくなったアジェーリアは、すっきりとした表情でディモルトに手を差し出した。
「そうですね。皆あなたを待っています」
緩やかな笑みを浮かべたディモルトは、アジェーリアの手を取った。
そして今度こそ、アジェーリアはオルドレイ国王都へと向かった。
愛する男と、手と手を取り合って。