テラーノベル
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車のドアが閉まる音。
後部座席。
外の喧騒とは切り離された、小さな密室。
エンジンがかかる。
静かに、車が動き出す。
夜の街。
ネオンが流れていく。
「……」
チャンスはシートに深くもたれたまま、窓の外を眺める。
何も言わない。
だが——
(近いな)
意識は完全に隣にある。
マフィオソ。
距離はほんのわずか。
触れようと思えば、すぐ触れられる。
「随分と静かだな」
先に口を開いたのはマフィオソ。
「さっきまでとは別人のようだ」
「……別に」
チャンスは目を逸らしたまま答える。
「今はまだ本番じゃねぇだろ」
「ほう」
わずかに興味を含んだ声。
「では、あれは前座か」
「ウォーミングアップってやつだ」
軽く言う。
だがその指は、無意識に首元へ。
触れかけて、止まる。
(……やめろ)
自分で自分に言い聞かせる。
触ると、余計に意識する。
「……気になるのか」
不意に、言われる。
チャンスの動きが一瞬止まる。
「は?」
横を見る。
マフィオソは、静かにこちらを見ている。
「その傷だ」
「……」
チャンスは鼻で笑う。
「別に」
わざとらしく肩をすくめる。
「こんなの、すぐ消える」
「だろうな」
あっさり肯定される。
その一言が、妙に引っかかる。
「……何だよ」
「いや」
マフィオソは視線を外す。
「消える前に、どうするのかと思ってな」
「どうするって?」
「そのまま消すのか」
一拍。
「それとも——」
少しだけ身を寄せる。
距離が、縮まる。
「上書きするのか」
「……っ」
チャンスの眉がわずかに動く。
(こいつ……)
分かって言っている。
完全に。
「調子乗ってんじゃねぇぞ」
低く返す。
だが声は、ほんの少しだけ熱を帯びる。
マフィオソはわずかに口元を緩める。
「事実を言っただけだ」
「……」
沈黙。
車の振動だけが伝わる。
だが、その静けさは逆に濃い。
チャンスはゆっくりと体を起こす。
背もたれから離れる。
「なぁ」
低く言う。
「さっきの続き、ここでやるか?」
マフィオソの視線が向く。
「狭いが」
「だからいいんだろ」
チャンスは笑う。
「逃げ場ねぇし」
そのまま、一気に距離を詰める。
ほとんどぶつかる距離。
運転席と仕切りがあるとはいえ、
完全な密室ではない。
だが——
「……本当に、場所を選ばんな」
マフィオソが低く言う。
「選ぶ意味がねぇ」
「そうか」
その瞬間。
手首を掴まれる。
ぐい、と引き寄せられる。
シートに押し付けられる形。
「おい——」
言い終わる前に、
顔が近づく。
だが——止まる。
あと少しの距離で。
触れない。
「……何だよ」
チャンスが睨む。
マフィオソは答えない。
ただ、そのまま見下ろす。
数秒。
意図的な間。
「焦れているな」
ぽつりと落とす。
「は?」
「さっきから、こちらを試してばかりだ」
チャンスの表情がわずかに歪む。
図星。
だが認める気はない。
「お前が遅ぇんだろ」
「ならば」
顔をさらに近づける。
吐息がかかる距離。
「お前から来い」
「……」
一瞬の沈黙。
チャンスの目が細くなる。
(……上等)
次の瞬間、
襟を掴む。
一気に引き寄せる。
「言われなくても——」
そのまま、ぶつかるようにキス。
さっきまでよりも強引。
逃げ場を与えない。
だが——
主導権は、まだ揺れている。
マフィオソが離さない。
むしろ受け止めて、押し返す。
シートがわずかに軋む。
「……っ」
チャンスの呼吸が乱れる。
だが、笑う。
「は……いいじゃねぇか」
「まだ序の口だ」
低い声。
そのまま——
車がゆっくり減速する。
止まる。
外の音がわずかに変わる。
「……着いたな」
マフィオソが囁く。
距離はまだ近いまま。
「続きは——」
ドアに手をかける。
「中でやる」
チャンスは息を吐く。
「逃げねぇって言ってんだろ」
ドアが開く。
夜の空気が流れ込む。
だが二人の間の熱は、そのまま残っている。
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