テラーノベル
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あの引っ越し当日、洸くんの新居で彼の「合鍵」を受け取ってから数週間。 お互いに徒歩数分という至近距離での生活が始まったものの、現実はそう甘くはなかった。俺は新しく赴任した保育園の園長業務に追われ、洸くんは会社員として新しいプロジェクトの真っ最中。
「大人の男同士として向き合う」と決めたものの、お互いに忙しく、なかなかゆっくり会えないもどかしい日々が続いていた。
そんな、ある日の夜11時を回った頃のこと。
「……ふぅ、やっと今日の書類仕事が終わった」
自宅のリビングで、スウェット姿のまま大きく伸びをした、その時だった。
カチャリ、と静かな夜の部屋に、玄関の鍵が回る音が響く。
「あらたせんせぇ~!!」
リビングのドアから入ってきたのは、ネクタイを少し緩め、ジャケットが半分脱げかけている、少しヨレヨレになった洸くんだった。ふわっと部屋の空気に混ざったのは、少し苦いお酒の匂い。
まさかとは思っていたけど、そういえば。あの気まずいキスをしたあの日、どさくさに紛れて俺の合鍵を持って帰ってたんやな……?
「洸くん!?ちょっとご機嫌がすぎるなぁ、大丈夫なん?」
「ん……職場の、コンペがやっと終わって。先輩に捕まった。……で、この通りベッロベロ」
くくくと、何がおかしいのか笑いながら、床にゴロンと寝転がっている。ほんまにこの状態で、よく俺の家まで辿り着いたな。まぁ、その先輩とやらの家に持ち帰られへんかっただけ、ええとしよう。
「洸くん、スーツ皺いくで? 脱いどこか?」
少し身体を起こして、モゾモゾしている彼を手伝ってあげる。ほんま、大人になって。俺に会いに来る暇もないくらい、外で必死に頑張ってたんやろな。
「ん、あらたせんせ、ありがと」
俺が隣にいることを確認した彼は、俺と目が合うと、本当に嬉しそうに笑った。
自分も忙しかったとはいえ、「忙しくても洸くんの方から会いに来てくれるかな」なんて少しは期待してしまっていた。やけど、こんなに頑張っている人に対して、そんな我儘なことを考えるだけでも失礼やな、と自分を戒める。
「……シャワー浴びる? スッキリするで?」
「ん、浴びたい。ちょっと気持ち悪い……」
ネクタイを外そうと、長い指でいじいじと触りながら、どうしようもなくなっている彼を「可愛い」と思ってしまう。普段はあんなにしっかりしているのに、お酒が回りすぎるとこんなことになるんやな。
「……かわいいな、あらたせんせが取ってあげよか?」
ふふっと笑いながら、ネクタイをそっと外してあげる。自分的には親心のつもりやったけど……ちょっと待て。このシチュエーション、冷静に考えて危険じゃない?と気づいた時にはもう遅かった。
いつものように、彼の顔が吸い寄せられるように近づいてきて、俺の唇を奪おうとする。
「こら、無許可のキスはもう禁止」
手のひらで彼の顔を制すると、「うぐっ」と可愛い声を出して洸くんは目を瞑った。
「……洸くんは、恋人同士でもない人にそんなことする人なん? あらたせんせ、ちょっと悲しいで?」
これは当たり前になったらあかんことや。きちんと教育して抑止力にせんと。だって、こういうのが洸くんの中で当たり前になってしまったら……俺以外の誰かとも、平気で出来てしまうってことやろ?
「……やって、あらたせんせが誘ってきたんやんか」
唇を尖らせて、子供みたいに怒っている。でも、まだ酔いからは冷めていないようで、どこかポヤポヤとしていて怖いどころか、可愛らしい。
……でも確かに。軽率に「可愛い」と言ったり、距離を詰めてネクタイを外したり、俺のした行動は勘違いさせるものやったかもしれん。
「……誘っては無い。……つもりやったけど。そう見えてたなら……そうかも知れん」
そんな言葉を返して、しまっと思った。洸くんにもう嘘はつきたくないという俺の本能が、今一番言ってはいけない答えを吐き出してしまった。
「……ん~……あらたせんせの授業はむずかしいなぁ……」
幸い、俺の言葉は酔った頭に上手く伝わらなかったようで、彼は少しトロンとした目のまま、ウトウトとし始めた。
「……洸くん、今日はシャワー諦めてもう寝よっか」
声をかけても、返ってくるのはすうすうという静かな寝息だけ。どうやら本格的に眠りについてしまったらしい。
「……さぁ、これは大仕事やぞ」
あの頃の洸くんなら、軽々と抱き上げてベッドまで運ぶなんて余裕やった。やけど、今はもう、俺とそんなに変わらへんデカさの大人や。
「……よっこい、しょっと」
我ながらおじさんくさい掛け声に口元が緩む。俺、今、一体何してんねやろ。そのおかしさを噛み締めながら、洸くんの腕を自分の首に回し、膝裏に腕を滑り込ませて一気に持ち上げる。
案外、上手く持ち上がった。成人男性をお姫様抱っこできるだなんて、流石に毎日たくさんの子供を抱っこしているだけはあるな、と自分自身の筋力にびっくりしてしまう。
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コメント
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うわあ……この“酔った勢いで合鍵を使って訪問してくる”感じ、すごくリアルで胸がときめきましたね。洸くんのヨレヨレスーツと甘えた口調、そして“無許可キス禁止”で制するあらた先生の距離感の取り方が絶妙。お互い大人だからこそのもどかしさと、でも確かに近づきたいという気持ちがじんわり伝わってきて、読んでるこっちが顔が緩みました。お姫様抱っこできる筋力も、保育士ならではの説得力あって好きです。