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そろそろ昼になるな。予定通りリズ・ラサーニュをジェムラート邸から連れ出せただろうか。セドリックの事だから上手くやっているとは思うが……
その後の状況に変化なし。クレハは相変わらず王宮に足止めを食らっている。
父上には少し見栄を張ったけど、本音を言うとクレハと一緒にいられるのは嬉しい。ずっと手紙だけで我慢していたんだ。できることなら数年後の婚儀を待たずとも、このまま王宮に――
「レオン様、ただいま戻りました」
扉を隔てた向こう側からセドリックの声が聞こえた。駄目だ……焦るな。クレハの気持ちを蔑ろにして自分本位な行いをする訳にはいかない。既に色々とやらかした後なので何を今更と……部下から突っ込みが入りそうではあるけど。
クレハは俺の一方的な想いを受け入れ、婚約を承諾してくれた。今はまだそれだけで充分だと何度も言い聞かせたじゃないか。ジェムラート家の問題を片付ける事に集中しなければならない。俺は気持ちを切り替えて、扉の外で待っている部下に入室の許可を与えた。
「どうだった、セドリック。公爵から何か聞けたか?」
「いいえ……以前陛下からお聞きした内容以上のものは特に。フィオナ様の様子がおかしいのはやはり本当のようです。突然クレハ様を王宮に預けてしまい、申し訳ないとおっしゃっておられました。そしてリズさんの件ですが、公爵は快く承諾してくださいましたよ。軽くクレハ様のご様子もお伝えしておきました。レオン様に『娘をどうかよろしくお願いします』だそうですよ」
「言われるまでもないな。後はリズ・ラサーニュ本人に了承を得るだけだな。彼女は今どうしてる?」
「店内で昼食を召し上がって頂いてます。丁度お昼どきでしたからね」
「そうか。ならもう少し待とう」
「……レオン様。リズさんは今回のことについて何か知っておられるのでしょうか。もしそうだとしても、私達にそれをお話しして下さるかどうか……」
「そうだな。見習いとはいえ彼女もジェムラート家の使用人。外部に漏らすなと口止めされているかもしれんな。だが、それならそれで構わない。屋敷に出入りしている彼女から情報を得られるかもという腹づもりはあるが、まずはクレハの為に王宮に来て貰うことが先決だ」
リズ・ラサーニュはクレハをとても慕っていると聞いている。クレハは無理に連れて来なくていいと言ったが、この目的についてはほぼ達成されているような物だな。
「それはそうと、お前なんて言って彼女にここに来て貰ったんだ?」
「私の主が会いたがっておりますので御足労願えないかと……」
「それだけか?」
「はい」
「じゃあ、リズ・ラサーニュは俺の事を一切知らされていないんだな。今から会うのもカフェのオーナーだと思ってるわけだ」
「マズいですね……」
「クレハは俺の正体知って気絶したんだぞ……」
あの時は本当に肝を冷やした。色々な要因が重なったせいもあるが、また昏倒者を出すのはごめんだ。
「クレハ様の時と状況が違うとはいえ、驚かれるのは間違いないですね……」
「食事……話が終わってからの方が良かったんじゃないか?」
「申し訳ありません。配慮が足りませんでした」
「話をする前に俺についても説明しておいた方が良さそうだな……」
食後に出して頂いた紅茶を飲みながら、店内の様子を眺めた。お客さんはやはり女性が多い。男性もいない事もないが、女性を伴っている方がほとんどだ。男性だけだと入りづらいのだろうか。お菓子は勿論だけどランチもこんなに美味しいのに……それは勿体ないなと考えていると、奥からセドリックさんが出てきた。
彼が店内に出るやいなや、あちこちから女性の感嘆の声が聞こえた。……女性客が多いのはセドリックさんの存在がかなり影響しているみたいだ。
「リズさん、紅茶のおかわりはいかがですか?」
「もう充分頂きました。ありがとうございます。お料理もとっても美味しかったです」
「それは良かった。ところで、リズさん。私の主にお会いして頂く前に、お話ししておきたい事があるのですがよろしいでしょうか?」
セドリックさんの言葉に頷くと、彼は『失礼します』と断りをいれてから私の向かいの椅子に腰掛けた。
「さて、どこから話しましょう。今日リズさんに来て頂いたのは、私の主の希望というのはお伝えしましたね?」
「はい」
「リズさんも薄々気付いておられるのではと思いますが、私の主はただのカフェのオーナーではありません。特別な……とても身分の高いお方です」
やっぱり……というか納得した。この人たちから感じた妙な感覚のズレは、やはり一般人ではなかったからか。セドリックさんの立ち振る舞いひとつにしても、洗練されていて気品があるもの。
「そのような方が、私にどんな御用なのでしょうか?」
ますます私とは縁が無さそうだ。しかもこんな改まって話がしたいなんて……本当にどういう事なんだろうか。セドリックさんは深く息を吐いて一呼吸すると、私の目を見ながら話し始めた。
「実は……クレハ様に関する事なのです」
「クレハ様!?」
思わず椅子から立ち上がりそうになってしまった。その衝撃でテーブルが揺れて、空のティーカップがガチャリと音を立てた。
「す、すみません」
クレハ様の名前に分かりやすく動揺してしまう。若干の気まずさを感じながら、浮かせた腰を落として椅子に座り直す。セドリックさんは『大丈夫ですよ』と話を続ける。ティーカップ割れなくて良かった……
「主がリズさんとお話ししたい事は、今のクレハ様の置かれた状況とその原因について……そして、それに対してリズさんがどう思っていらっしゃるかです」
「どうしてセドリックさんのご主人がそんなにもクレハ様を……」
セドリックさんのご主人は、クレハ様に飼い鳥を助けて貰った事をとても感謝しておられる。それは分かっている。けれど、流石にここまで気にかけているのは不思議だ。それに……今回のクレハ様の事は表沙汰にはなっていないはずなのに。
「それは、これから主にお会いすれば分かりますよ。さぁ、そろそろ参りましょうか……主がお待ちです」
セドリックさんは懐中時計で時間を確認して椅子から立ち上がると、店のバックヤードまで案内してくれた。彼の後に続いて私も中へ入ろうとすると、若い女性店員さんと入れ違いになった。彼女はメニュー表を小脇に抱えている。接客の途中なのだろう。女性店員は私と目が合うとにっこりと笑い、穏やかな声で『こんにちは』と挨拶をしてくれた。私も軽く会釈を返す。
「リズさん、こちらです」
セドリックさんに呼ばれて彼の元へ駆け寄ると、通路の一番奥の突き当たりに扉があるのが見えた。木製の重厚な扉だ。
「主はこの部屋にいらっしゃいます。きっと……リズさんは主を見たらとても驚かれると思います。でもどうか気を確かに持って下さいね。そうだ、会う前に深呼吸をしておきましょう」
ちょっとやり過ぎじゃないでしょうか。緊張はしているけど、私はジェムラート家にお仕えしているし、日頃からクレハ様のような高貴な方のお側にいる。だから……こう言っては何だが慣れているのだ。今更貴族の方とお話しをするというだけで、慌てふためいたりなどしない。
「それでは、準備は良いですか?」
「いつでもどうぞ」
私よりセドリックさんの方が緊張しているように見えるのだけど。彼はゆっくりと扉を数回ノックした。
「セドリックです。リズさんをお連れ致しました」
「入れ」
入室を促す言葉は短いけれど、よく通るしっかりとした声だった。意外だったのはその声がとても若くてまるで……
セドリックさんが部屋の扉を開けた。
この後、私は部屋の中の人物と対面したのだけれど、セドリックさんが心配していた通りの反応をしてしまう事になる。彼の言う通り、深呼吸なりしてもう少し衝撃に備えておくべきだったと後悔した。