テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
久方ぶりに訪れたこの場所は相変わらず寒々しく、更に言えば、気まずいことこの上ない。
俗に言う「若気の至り」というやつが、先程からいちいち気持ちを擽ってくるのだ。
こちらの都合など知らないであろうこいつ、めめは嬉しそうに笑いながら指をポキポキと鳴らしていた。
両の足首も交互に回しては、「最後にタイマン張ったのいつでしたっけ?」と楽しそうにしている。
「んなの覚えてねぇよ」と返せば、その口はいじけるように前に突き出てきた。
「えー、忘れないでくださいよ」
「お前が勝てたら覚えててやるよ」
「うわ、絶対無理って思ってるでしょ」
「んなことねぇよ。頑張れ頑張れ」
「今日こそ絶対勝ちますから」
こいつは純粋に俺と喧嘩がしたいだけなのだろうが、俺としては絶対に晴らしたいものが一つあった。
昨夜のことがまだ消化できていなかったのだ。
あの日の痛々しいカッコつけが、歳を重ねた今、大変に恥ずかしくてたまらなかった。
いとも簡単にバラしやがって…!と、今もなお心中穏やかではない。
別にそれが公になったところで世界は何も変わらないが、個人的には大ダメージを喰らう出来事であった。
「期待してるよ。一番手くん?」
「…あー、それ…その呼ばれ方…」
仕返しのつもりでわざと向こうの癇に障る言葉を投げかければ、予想通りにめめはガシガシと後頭部を掻いた。
珍しく荒くなるその手をぐっと握り締めると、すぐに大きく振りかぶりながらながら、めめは声を上げた。
「好きじゃないんすよ…ねッ!!」
真正面から飛んできた右拳を屈んでかわし、鳩尾目掛けて一発入れようとすれば、それは左の掌に受け止められる。
知ってるよ。
お前がそう呼ばれんの嫌ってることくらい。
こいつと初めて手を合わせたのも、この場所だった。
俺を超えたい、勝ちたいと追いかけてくるめめと、あの日の羞恥心をただ払拭したいだけの俺とが、真冬の廃工場の真ん中で、お互いの中にある譲れないものをかけて、拳を交え続けていた。
ほぼ互角の取っ組み合いにケリがついたのは、つい先程のことだった。
コンクリートに背を預けるめめの横に座り、小さく息を吐いた。
「また強くなったな」
こいつに負ける気は今でもしないが、実際のところは危なかった。
なんとか意地で最後の一発を入れると、めめの動きはようやく止まった。
俺は、こいつに勝ち続けなければいけない。
大げさだが、そんな使命のようなものを、いつも心のどこかで感じている。
今となっては赤面せずにいられない名前を持った俺の「会心の一撃」は、今日も健在であった。
めめが起きるのを待とうとスマホに目を戻しかけたとき、「ん“ん“…」と唸る声が聞こえた。
「お。起きたー?おはよ」
「…はぁぁ…今日はいけると思ったのになぁ…。やっぱ「深澤スペシャル」強いわ」
「お前さぁ、それわざと名前出してるよね?」
「かっこいいじゃないすか。自信持ってください」
「初対面で「ダサい」って言われたこと忘れてねぇからな」
「ふははっ、…ぁー、また負けちゃった」
「そう簡単には譲んねぇよ」
「たまには勝たせてくれたっていいじゃないすか」
「あ?それマジで言ってんの?」
「いや?全然」
「だろうな。俺が手加減したらお前絶対怒るだろ」
「当たり前じゃないですか。今のは悔しくて言っただけ。冗談」
「それに、お前が勝ったら、」
「ん?」
「あ、いや。なんでもない」
「えー?気になるんだけど」
「なんでもねぇの。もう帰るぞ。さみい」
「…うす」
ーーお前の生きる理由が一つ無くなっちゃうじゃん。
そう言いかけた言葉を途中で飲み込むと、めめは不満そうに口をへの字に曲げた。
日頃心の中で思っていることを改めて口にするのは気が引ける。
そんなのは柄じゃないから。
俺が勝手に思ってるだけ。
お前はそんなこと気にせず、毎日楽しく生きててくれたらいい。
照れ臭さを口の端に隠して歩き始めると、めめは不意に「あ」と口を開いた。
「そういえば、あの時なんで誘ってくれたんすか?」
「んぁ?なにが?」
「昨日しょっぴーにふっかさんと初めて会った日のこと話してた時に思ったんすよ。そういえばなんで手合わせしようって言ってくれたんだろって」
「あー、」
「それに、みんながあそこに集まった理由も知らないなーって」
「阿部ちゃんとラウールが来た時のことは知ってんだろ?そん時にはお前も屋敷にいたんだし」
「いましたけど、詳しいことは何も聞かされてないっすよ?気付いたら一緒にいた、って感じです。なんで俺たちだったの?」
何と言おうか迷って、咄嗟に誤魔化した。
「あー、んなのはあれだよ、顔だよ」
「顔?」
「そーそー。俺も含めて全員イケメンだった」
「…はぁ?」
首は傾き、眉も寄り、その口がまた山を作った。
不服そうな顔をするのも無理はない。
きっと、納得のいく答えではなかっただろうから。
そんなの、小っ恥ずかしくて言えねぇよ。
夕暮れ時の平和な町の道すがら、俺の頭の中はあの屋敷がまだ物寂しかった頃まで自然と巻き戻されていった。
「辰哉くんにね、一つお願いがあるの」
「お願い…ですか…」
当時は「若」と呼んでいた今の親父に初めて仕事を任されたのは、15の時だった。
ちゃぶ台に向かい合って座り、俺が切ったガタガタの林檎を二人で食べていると、若は唐突に話を切り出した。
「もうすぐ僕の父が引退するでしょ?」
「はい」
「僕が跡を継ぐことになってるけど、そうなると、きっと僕はあまりここには帰ってこられなくなっちゃうと思うんだ」
「そうですね、親父ともあまりお会いできませんでしたから…。それで俺は何をしたら…?」
「辰哉くんにはお家でお仕事してもらうことが増えてくるけど、一人じゃ大変だから辰哉くんのお仕事を分担してくれる人を集めたいなって思ってるの」
「……ぇ…………」
「それでね、そのメンバーを辰哉くんに選んで決めて欲しいの」
この人からもらった初めての「お願い」は、とても思いがけないものだった。
先代は幹部を作らなかったし、若も補佐、つまりは俺を携えて、これから各地を飛び回っていくものだと思っていたからだ。
「……俺、留守番ですか…?」
しばしの沈黙があってから困惑した頭がどうにか振り絞ったのは、なんとも忠犬じみた質問だった。
不安が隠しきれない俺の恐る恐るの態度を見て、若は「ふふ、可愛い」と微笑んだ。
「僕は一人で大丈夫。運転してくれる人と、そばで守ってくれるいつもの人たちはこれからも近くにいてくれるしね。だから、辰哉くんにはこのお家を守っていて欲しいの」
「俺がですか…」
「辰哉くんが選んだ子ならきっと大丈夫だと思うから。住み込みでここにいてくれそうな人を集めてくれるかな」
「わかりました…」
了解はしたものの、どう集めたら良いのかなんて皆目見当もつかなかった。
若はそんな俺の気持ちを知ってか知らずか、 「どんな組にしていきたいか二人で決めよう!」と明るく言った。
この人にはこういう不思議なところがある。
何も言っていなくても、俺の全てをわかってくれているような気持ちになる。
いつだって、欲しい言葉を与えてくれる。
若が言ったことを箇条書きにしてコピー用紙に記録し、俺が心の中で思った理想も小さく書いていった。
一枚の紙切れが裏も表も文字でいっぱいに埋め尽くされた後、お互いの総意を一つにまとめた。
「僕が一番大切にしたいのは、家族かな」
「俺もです」
「ふふ、決まりだね」
それが俺たちの掲げた大きなテーマだった。
若も、坊と同じように家族との記憶があまり無いお方だった。
恐らく若は、無意識のうちにそれを求めたのだろう。
一方の俺の思考はというと、恥ずかしながらかなり短絡的だった。
住み込みということは、一日中同じ場所で過ごすのだから堅苦しいのは嫌だ。
だから、平和な家族のように暮らせる仲間がいい。
くらいの考えだった。
そこに付け足す形で、先代に倣いこの町を守るための役回り、いわばチームのようなものを三つ設けた。
これも若と話し合って決めたものだった。
「俺、いつも世話んなってる商店街のおっちゃんたちをこれからも守っていきたいです」
「そうだね、僕もあの人たちと一緒に生きてきたようなものだから、一生かけて恩返ししていきたいな。じゃあその管理をするチームが一つと…、あ、僕ね、夢があるの」
「夢ですか?」
「会社を作りたいの」
「若にならきっとできますよ。なんの会社ですか?」
「建設会社。この町で暮らす人に、あったかいお家をたくさん作ってあげたいの」
「良いと思いますよ。俺も手伝います」
「ありがとう。嬉しい」
「あ、俺、あと一つあった方がいいなって思ってるものあって」
「ん?なになに?」
「町の平和守るって言ったら、子供っぽいですけど強い奴が必要かなって…」
「はっ、確かに…!悪い人が来るかもしれないもんね…!」
「若…人が良すぎますって…。ホントに一人で大丈夫ですか?俺マジで心配です…」
「大丈夫!」
「はぁ…やっぱついてこうかな…」
こうして、今のチームが出来上がった。
それぞれに付けた名前は「カッコイイやつにしよう」という、なかなか適当な俺たちの思い付きだった。
今となっては定着しているし、うまいこと「雪月華」で綺麗にまとめられたような気もしている。
「花」ではなく「華」にしたのは、
「画数が多い方がカッコイイ」という子供じみた発想が元になっている。
:
:
「ふぅ、なんとかまとまったね。僕が正式に跡を継ぐのは早くてあと5年、遅くて10年後って聞いてるから、早めに話しておきたかったの。付き合ってくれてありがとう」
「いえ。いつでもなんでも言ってください」
「ありがとう。じゃあ僕は本屋さんに行ってくるね、そろそろ卒論書き始めなきゃいけなくて…はぁ、気が重いなぁ…」
「そればっかりは手伝えそうにないですが、なんか要るものあったら言ってください」
「ありがとう、じゃあ行ってきます」
「雨降ってるんで気を付けてください」
「はーい」
玄関先で若を見送って自室に戻った三分後、突然若の大きな声に呼ばれた。
忘れ物でもしたのかと急いで居間へ行くと、そこには小さな男の子がいた。
それが佐久間だった。
家出してきたであろうことは、あいつのナリを見てすぐにわかった。
ただ単に放っておけなかった。
それに、同い年くらいの子供が向こう見ずに、何もかも捨てて自由になろうと行動を起こすその根性にも興味を持った。
一緒に暮らすなら、こんぐらい面白くて、ぶっ飛んでて、骨のある奴がいい。
そんな考えが頭をよぎった時にはもう、佐久間に福利厚生の説明をし始めていた。
それから二年が経って、また新たな出会いが不意に訪れた。
あれは佐久間との手合わせに白熱するあまり、力加減を間違えてつい思い切り吹っ飛ばしてしまった日のことだったと思う。
「ゃべっ…!」と咄嗟に口から出たが、時すでに遅し。
佐久間は武道場の壁に勢いよくぶつかり、そのまま気を失ってしまっていた。
急いで救急箱を取って戻ってくると、見知らぬ男の子が佐久間のそばに座っていた。
そいつが、照だった。
照もまた、佐久間と同じように家を飛び出してきたようだった。
生い立ちやら、どこから来たのかということについては触れなかったが、寂しそうな目をする子だと思った。
こいつのことも放っておけなかった。
それに、この家には他人であったとしても、こうやって心配して駆け寄ってきてくれるような優しい子が必要だとも思った。
「臨時休業」の四文字に項垂れる照を横目に眺めながら、若にメールを送った。
「新しい家族見つけました」
その一年後、康二が家族になった。
康二は少し特殊だった。
俺から誘ったわけではなかったからだ。
ただ、ひどく同情したことだけは覚えている。
自分の親が裏社会の人間だと聞かされることへの戸惑い。
すでに家族がこの世にいないと告げられるその絶望感。
そんなようなことを思うと、どう接したら良いだろうかと躊躇われたし、自分がいるこの世界はやはり普通ではないのだと気付かされた。
康二の家と若の家との間で特別な繋がりがある以上、どのチームに入れるのも憚られるんじゃないか?という懸念は、幸運にも初日に解消された。
屋敷に来た最初の日に、康二がご飯を作ってくれたのだ。
俺たちは誰も家事ができなかったので、何年か振りの「人が作ったもの」を食べてはひとしきり泣いた。
その日から康二は飯炊き係になった。
あの頃、泣いてばかりで、おまけに俺たちに気を遣ってばかりだった康二に、俺は何か声をかけたはずだったが、その部分だけはよく覚えていない。
盛大にカッコつけたことだけは覚えているのだが、恐らく、言った後で恥ずかしくなって意図的に記憶を消したのだろうと思う。
俺の言葉に影響や意味があったのかは定かではないが、康二はそれから笑うことが増えて、みんなのお母さん的ポジションを進んでやってくれるまでになった。
それから三年経ち、めめに出会った。
言葉通り、あいつらの中で一番パンチが効いていたのがこいつだった。
毎月の集金仕事を終わらせた後で喧嘩を吹っ掛けられたのが、今も記憶に新しい。
安っぽい挑発に乗ったのは、ただの気まぐれだった。
その日の仕事は全て終わって暇だったし、こんな調子者がこの町にいるのも悪くはなかったが、その鼻を折ってみたくなった。
おせっかいも甚だしいが、
「そんなんじゃお前このまま散るぞ?」
なんて、自信たっぷりに俺を見下ろすめめに、そんなことを思っていた。
こいつはただ喧嘩がしたいだけの奴なんだと思っていた。
しかし、手を合わせて行くうちに、それはどうやら少し違っているということに、段々と気が付いていった。
飛んでくる拳、振り下ろされる脚、受け止める掌、めめのその動き全てから、何かが痛いくらいにこちらへ伝わってきた。
「俺を見て」
「俺に触れて」
「俺の声を聞いて」
そんな言葉が、ひっきりなしに心に突き刺さってくるような感覚がした。
こちらが泣いてしまいそうになるほど、その懇願は寂しかった。
真っ直ぐに向かってきた右の拳を掌で受け止めた時、確かに聴こえた。
「俺と友達になって」 と。
伝わるかどうかはわからなかったが、その首の後ろ目掛けて平手を振り下ろした。
「お前の気が済むまでそばにいてやるよ」と気持ちを込めて。
気を失っためめを眺めながら、若に 「ずっと埋まんなかった“華”のメンバーに希望が見えて来ました」とメールを送った。
若からはすぐに「それはよかった。もうすぐ帰れそうだから、会えるの楽しみにしてるね」と返事が来た。
めめの寂しさを埋めてやりたかったのもあったが、それよりも何よりも、こいつに見込みがありすぎて手放したくなかったのだ。
ここまで“家族”を集めてきて、未だちゃんと整えられるか不安だったのが、この町の用心棒である“華”の一番手を誰にしようか、という点だった。
この頃には、すでに佐久間を所属させることは決めていた。
この数年間で佐久間もだいぶ強くなった。
しかし、あいつには名前として「一番」を与えるつもりはなかった。
佐久間に教えたのは、そういうものではなかったからだ。
それに、時には怪我をすることだってある一番大変なチームの中で、ただ一人にその役目を担ってもらう気も無かった。
自分が稼いだ給料を、全て「大切な人」に渡してしまうような奴だ。
あいつは優しすぎる。
佐久間に任せるとなれば、潰れるのは目に見えていた。
だから、あいつには「守る強さ」を教えた。
包み込むようなものを磨け、その優しさを活かせ。
力だけが全てじゃないんだと伝え続けた。
佐久間の良さは、“華”の中に絶対に必要だった。
がしかし、圧倒的な力というものも、組織には欠かせなかった。
誰もがついていきたいと思うようなカリスマ性を持った奴はいないか、と頭を悩ませていた時、とんでもない素質を持った奴に出会ったのだ。
これっきりで終わりにしたくなかった。
絶対的な強さを持った者と、神聖的なまでの優しさを持った者。
二者が並び立つことで初めて一つになる。
それが、“華”がより強固なチームになるための原動力になるだろうと見立てて、二人で“一番”で居続けてくれと想いを込めた。
数年後、幹部の形が固まったときにそれぞれの役割を正式に発表したが、その真意を伝えなかったからなのか、めめは喜ばなかった。
こいつの中では、佐久間とは二人で一人だという意識が強いのだろう。
自分だけに向けられる「一番手」という響きを気に入っていないようだった。
だが、それが良かった。
強さをひけらかすような奴、立場にこだわるような奴、そんなのは俺が求めるリーダーの姿ではなかったから。
めめが幹部になって二年が経った頃、ようやく若の夢が叶った。
小さいながらも、なんとか建設会社を建てることができたのだ。
その代表として白羽の矢が立ったのが照だった。
照はこれまでにも、屋敷中の修理を進んでやってくれていた。
「昔住んでた場所がこことおんなじくらい古かったからよくやってたの。任せて」と笑っていた照に、思い切って全てを任せてみた。
それからは建設の勉強をしながら、一人で子会社を切り盛りしてくれた。
開業と同時に町の人からひっきりなしに修理や新築、改築の依頼が舞い込んできて、まさに「嬉しい悲鳴」を照と毎日のように上げた。
しかし、ここで誤算が生じた。
注文が入るのは喜ばしかったが、見積やら請求やら、そういった金回りのことが何一つわからなかったのだ。
材料にかかった費用と作業代を、どのくらいの値段で売ったらいいのか、という部分が全くもって想像できなかった。
これは誰かに助けを求めるしかないと感じ、まずは手近なところへ声をかけた。
「なぁ康二ー」
「なんや?」
「算数得意だった?」
「筆算ならタイの小学校で一番やったで?」
「そっか、、ありがと…」
「おん?」
「照ー」
「…なに…」
「…夜勤明けか。ごめんなー、急に忙しくなって。もう少ししたら落ち着くと思うからさ…、バイトの募集も出してるし、もうちょっと一人で頑張って…?…ね…?」
「別に楽しいからいいけど、今は寝かせて…」
「お、おう…ゆっくり寝ろよ…」
「佐久間ー」
「なにー!」
「お前さ、算数得意だった?」
「図形の問題好きだった!」
「…だよね…」
「んにゃ?」
「なぁ目黒」
「はい?」
「算数って聞いたことある?」
「聞いたことはありますけど、小一の一学期に川に捨てました」
「聞いた俺がバカだったわ。ごめん」
「うす。それより、次はいつタイマン張ってくれんすか」
「…気が向いたらな」
この通り、当時のメンバーは全く当てにならなかった。
これは新たに頭脳派が必要だと感じ、すぐに求人広告を出した。
【会計業務 衣食住付き!! 週休二日!!】
このシンプルかつ至れり尽くせりな謳い文句に応募は殺到したが、いざ面接まで漕ぎ着けた途端、誰もがこの屋敷の門をくぐる直前に辞退を申し出た。
インターフォン越しに、
「すみません…やっぱりこのお話は無かったことにしてください…」と言われるたびに心が折れた。
諦めかけたある日、初めて玄関の敷居を跨いでくれた人がいた。
それが阿部ちゃんだった。
面接の時点で逃げられてしまうということは、ここに来させなければいいんだと気付き、採用方法をリモート形式に変えておいたのだ。
いざ採用になっても、働くとなった瞬間にまた逃げられてしまうんじゃないかと不安だったが、阿部ちゃんは少し離れたところの出身だったらしく、この組を知らなかった。
ようやくツキが回ってきたと、姿形の見えない神様のようなものに大いに感謝した。
しかし、ちゃんと説明はしなければならない。
今更すぎるが、堅気の人間をこっちの世界に連れ込むのはどうなのだろうという気持ちが、康二と出会った頃くらいから徐々に芽生え始めていたのだ。
阿部ちゃんの人生や運命が、この組と関わっていくことで取り返しのつかないものになってしまうかもしれない、という怖さがあった。
また逃げられるかもしれないという別の恐怖もあったが、包み隠さずありのままを伝えると、意外にも阿部ちゃんは「大丈夫です」と言ってくれた。
すぐ辞めちゃうかもしれないなーなんて初めのうちは思っていたが、阿部ちゃんは今も残り続けてくれている。
だが、それはそうだ。
「いなくならないでッ!!!」
と、縋り付くような気持ちで、当時は阿部ちゃんに厚く目をかけていたつもりなのだから。
そうであってもらわなくちゃ困る。
そうは言っても、今もこうして俺たちを支えてくれているのだから、阿部ちゃんには一生頭が上がらない。
それから三年後、初めて彼が俺に助けを求めてきた。
「一人では手が回らない」と辛そうに言うので大いに同情し、すぐ解決してあげようと頭を捻った。
あの頃にはもう、日がな一日中目黒と佐久間に追いかけ回されては、放っておけばいいものを阿部ちゃんも真面目だから、いちいちあいつらの相手をしてくれていた。
そんなこんなで仕事がろくに進まなかったのだろう。
可愛い弟分が去ってしまわないようにと、即座に声をかけた奴がいた。
それがラウールだった。
ただ、頼もうかどうか、正直なところはだいぶ迷っていた。
阿部ちゃんに出会った頃、ちょうど別の場所でラウールとも知り合っていたのだが、 どうしてか変に懐かれてしまっていた。
俺のようになりたいから俺と同じ仕事がしたい、と言っていたか。
ただ、それはなんとも賛同し難かった。
この子の将来を、可能性を、俺が棒に振らせてしまっていいのか。
この子には無限の未来が広がっている。
この子の世界をここで止めてしまっていいのか。
もっと大きなものを見るべきだ。
なによりもこの子には、「俺のような」人生を歩んで欲しくない。
そう感じていたからこそ、こいつが満足するかはわからなかったが、いつか飽きるだろうと仕事の真似事のようなことをさせ続けて、三年間を乗り切ってきた。
しかし、いつまで経ってもラウールは俺のそばから離れなかった。
どうしたものかと考えあぐねていたところで、阿部ちゃんからヘルプ要請がかかった。
阿部ちゃんの仕事が落ち着くまで…と考えていたが、結局あいつは高校卒業後にでかいカバンを提げてここにやってきた。
俺の心配など知ったるや、ラウールはとっくのとうに自分で進路を決めてしまっていた。
こいつがいいならもういっかと、最後は俺が根負けしたというわけだった。
それに、この出来事の二年前に正式に代替わりしていた今の親父からも言われていたのだ。
「この間会った背が高くてとっても綺麗な子、あの子はいつからここに住んでくれるの?」と。
親父はラウールが“家族”になってくれる日を、今か今かと待っていて、なんなら受け入れる気しかなかったようだった。
こうなってしまっては、俺もそれ以上は何も言えなかった。
この約二十年間、いろいろなことがあった。
それぞれとに大切な思い出がある。
かけがえのない想いがある。
俺がやってきたことは、きっと間違いでは無かっただろう。
それだけは自信を持って言える。
だって、こいつらといると毎日がこんなにも楽しいのだから。
あの日、親父に“家族”を作れと言われた時にはどうなることやら不安で仕方なかったが、結果として、今の屋敷には笑いと温かさが満ち溢れている。
それだけで十分だった。
他には何もいらないと、心からそう思えるはずだ。
:
:
:
「そういえば、しょっぴーと会ったのもあの工場でしたよ」
唐突に投げかけられた言葉に振り向くと、めめもまた、懐かしい思い出を掘り起こすかのように優しく笑いながら、夕焼け空を仰いでいた。
「あ、そうだったの」
「こうやって繋がってくんすかね」
「ん?」
「ふっかさんに声かけてもらえてなかったら、きっとしょっぴーに会えてなかった。あの日、あの子の目見てたらなんか助けたくなって、気付いたら連れて帰ってました。ふっかさんもそんな感じで俺を誘ってくれたんでしょ?」
「…んなカッコいいモンじゃねぇよ」
「そんくらい教えてくれたっていいじゃないすか」
「だからさっき言ったろ?顔だよ。かーお」
「ふっかさんが必殺技教えてくれるってしょっぴーに言っちゃおっかなー」
「お前それはずるいだろ」
きっと、人の縁はこうやって巡っていくのだろう。
助けたいなんて思ったことは、誰に対しても無かった。
ただ、俺が放っておけなかっただけ。
ただのおせっかいだった。
誰かを救うなんて、そんなのはテレビの中にいるヒーローだけができることだ。
俺にはそんな役回り、とてもできやしない。
それより、あいつらが少しでも楽しいと、幸せだと思ってくれていたら、それだけで十分なんだ。
今日は柄にも無くクサいことを考えるな、なんて心の中で独り言ちながら家路を辿った。
早足で歩いたおかげもあり、なんとか夕飯前に帰ってくることができた。
正直に鳴る腹の虫を宥めながら玄関の戸を右に引いて中に入ると、照がそばを通りかかった。
どうやら今日は早めに現場が片付いたらしい。
「ただいまー」
「おかえり、目黒」
「照お疲れー、ただいまー」
「ぁ…ふっか、、っ、おかえり…っ…!」
出迎えの言葉をかけてくれた照は、俺と目が合うとたちまちソワソワし始めて、すぐに居間の方へと逃げて行ってしまった。
「?…岩本くんどうしたんすか?」
「んー、さぁ?遅めの思春期かね?」
「ふーん…。なんか、可愛いっすね」
照のその不自然な様子には心当たりがあった。
しかし、俺にはどうしてあげることもできないだろう。
自然と治まるのを待つしかないと結論づけ、寒空に冷えたこの体が一つくしゃみをした後で、めめが発した感想に返事をした。
「…ほーんと、かわいーよねぇ」
続
コメント
6件

ひとカップル誕生かな 良い縁で出来ているのですね 続き楽しみ😊
💛💜の予感…!!でいいのかな🫣