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祈りの舞
紬希は、とても強く、優しい子だ。
柱まで登りつめる程の剣の実力と、努力の才。
そして、鬼殺隊内では有名な、彼女の特別な力。
私も、病に蝕まれたこの身を、幾度となく癒やしてもらった。
痛みを消すばかりではない。
私の体内の細胞に働きかけ、自己治癒や回復力まで増幅させてくれた。
その“力”がなければ、私はここまで長く生きていられなかっただろう。
そんな紬希が、もう治ることのない病に命を脅かされていた。
誰も気付かなかった。
本人も、身体が限界を迎えて倒れるまで不調を隠し続けていた。
あまねに付き添ってもらい蝶屋敷に見舞いに行くと、紬希は布団に横たわっていた。
己の病に視力も奪われているのでぼんやりとしか見えないが、青白い顔をしていた。
そして、私の気配に気付いたのか、ゆっくりと目を開ける。
『…!お館様…あまね様……!』
慌てたように身体を起こそうとする紬希を制止する。
「いいんだよ、紬希。無理に起き上がらないでおくれ」
余程つらいのだろう。
紬希は申し訳ありません、と断りを入れて体を再び横たえた。
「紬希。君は本当に強い子だ。そして、とても優しい子だ。私を含め今まで大勢の人が君の優しさに助けられた。本当に感謝しているよ」
『もったいないお言葉でございます……』
「私たちは君に助けてもらってばかりで、何ひとつ君に返せていない。ごめんね。何か、君の命が尽きてしまうその前に、叶えたい望みはあるかい?」
私の問いに、紬希がすぐに答える。
『いいえ、私は、私にできることをしたまでです。私のほうが、お館様やみんなの存在に救われていました。力を使って、表情から痛みや苦しみの色がなくなった相手の笑顔を見て、それが何よりの喜びで、自分自身の原動力となっていたのです。だから、もう、望むことはありません』
ああ、この子は。
誰かの為に自身の力を使うことを心からの喜びとしていたんだな。
頼まれるからするのではなく、彼女の意志で、揺るぎない優しさで。
『…お館様。少しだけ失礼します…』
そう言って、紬希が私の手を握ってきた。
そのまま、瞼を閉じ深く呼吸をする彼女。
その数秒後、私の身体はとても軽くなり、力が湧いてきたような感覚さえした。
「今…能力を使ってくれたんだね」
『はい。みんなに対してももちろんそうですが、お館様には少しでも長く生きていてほしいので……』
紬希が微笑む。
そして、何かを考えているような少しの間があり、口を開いた。
『……やっぱりひとつだけ、私の望みを申し上げてよろしいでしょうか?』
「ああ、もちろんだよ。言ってごらん」
その晩、蝶屋敷の庭と面する座敷に多くの隊士が集まった。
柱も、それ以外の隊士も。
任務にあたっていない者たちが大勢。
紬希の最後の望みは、舞を舞うことだった。
我ら鬼殺隊の為に、祈りの舞を捧げたい、と。
シャラン…シャラン…
突然聞こえてきた鈴の音に、一同 はっとして音のしたほうを見やる。
庭に、十二単にも見える舞衣を見にまとった紬希が立っていた。
あまねに彼女の姿を詳しく聞くと、頭には金の冠をつけ、長い黒髪は後ろでひとつに結わえられ、 妖艶な化粧をして、手には舞鈴と剣を持ち、扇を胸元に忍ばせていたという。
ゆっくりと、紬希が舞い始める。
不思議なことに、それと同時に雲がさーっと流れ、大きな満月が顔を覗かせた。
その場にいた誰もが、息を呑んで紬希を見ていた。
病に視力を奪われぼんやりとしか見えない筈の自分の目にも、なぜだかはっきりと、紬希の舞う姿が見えた。
鈴を鳴らし、剣を振り、時折胸元の扇を開いて舞う。
ゆっくり、時に激しく。そしてまたゆっくりと。
紬希の舞には、ところどころ、いつか見せてくれた雪の呼吸の剣技の型に似ている動きがあった。
満月の光に照らされて舞う紬希は、まるで天女のような美しさを放っていた。
剣士(こども)たちのすすり泣く声が聞こえる。
舞の清らかさに心を揺さぶられたか、紬希の身体のことを知っている者が、近づく別れを惜しんでいるのか……。その両方だろう。
10分程して、紬希は舞を終えた。
深々と礼をする彼女に、割れんばかりの拍手が起こった。
『皆さん、私の望みを聞いてくださりありがとうございます。これから先、どんな苦悩・苦労があっても、鬼殺隊が鬼を滅ぼし、鬼によって悲しむ人のいない平和な世界が創られることを心からお祈り申し上げます』
紬希の凛とした姿と言葉に、いつまでも拍手が鳴り響いていた。
『しのぶちゃん、ワガママ聞いてくれてありがとう』
紬希の言葉に、しのぶが溜め息をつく。
「ほんとですよ。身体が弱っているのにあんなに長い時間舞を舞うなんて。投与したモルヒネも、今の紬希さんの体重に対して限界の量ですからね」
『うん、分かってる。ありがとう』
さすがに少し疲れたような表情を見せる紬希。
そんな彼女を少しでも早く休ませようと、しのぶがせっせと化粧を落とさせる。
少しの沈黙があって、紬希が口を開いた。
『……しのぶちゃん。あなたは必ず、カナエさんの仇を取れる。その結末に至るまで、不本意なこともあるだろうけど、どうか我慢して作戦を進めてね』
ああ、これは予言なんだと、しのぶは思う。
「私が姉の仇を討つ未来が視えたんですか?」
『うん、そう。……ちゃんとできるから、頑張ってね』
紬希の予言は当たるらしい。
“不本意なこと”や“我慢”しなければならないことが何なのか気になりはするが、彼女の言葉を信じようと思う。
「紬希さんは、あとどのくらい生きていてくれますか?」
紬希が自分自身の未来を視ることはできないと知っていながら、一縷の希望を持ってたずねてみる。
『ん…多分もう、5日ともたないと思う。未来のことが視えなくても、自分の身体のことはね、何となく分かるのよ』
そんなに短いのか。
もっと、この人の笑顔を見ていたかったのに。
うつむくしのぶを、紬希がそっと引き寄せて抱き締めた。
『しのぶちゃん、今までたくさんたくさん、ありがとう。私のこと頼ってくれて、嬉しかった』
そんなことを言われては、きつく閉じるよう努めていた涙腺があっという間に緩んでしまう。
死期を悟った彼女の、最期の言葉かもしれないと思うと、尚更。
しのぶも紬希の身体に腕をまわす。
姉のカナエは鬼と闘って死んだ。
もうひとりの姉のように慕う紬希は、病で自分の死を悟り、静かに命の灯が消えていくのを受け入れている。
両方つらい。
遺される側の気持ちも考えてほしいものだ。
「……紬希さん…私のほうこそ、ありがとうございました……。…いつも優しくて、強くて…色んなことを知っていて…憧れの女性でした……。姉や妹たちと同じくらい、…紬希さんのことが大好きです……」
言いながら涙が零れて、頬を伝い紬希の肩を濡らしていく。
『ありがとう。私もしのぶちゃんや蝶屋敷のみんなのこと、大好きよ』
あたたかい。
まだ生きている。
こうして彼女の時間の一部を独り占めできるのは、この屋敷の主人である自分の特権かもしれない。
しのぶは紬希にまわした腕にぎゅっと力を込めて、彼女の肩に顔をうずめた。
つづく