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#サレ妻
都築七美
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赤井 里会
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ゆうき
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コメント
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いやもう、70話でここまで持ってくるのか…! 観月会の舞台、月下美人の鉢、玲司さんの告白、そして水無瀬刑事のタイミング。全部のピースが静かに、でも確実にはまっていく感じが鳥肌立ったわ。特に麗奈の最後の付け爪が芝生に落ちるところと、「捨てられる前に捨てたかった」のセリフ、すごく刺さった。蒼真のあのえくぼの裏の怖さもゾッとした…。この終わり方、めちゃくちゃ考えさせられる。お疲れさまです、草原草原さん🔥
十一月三日の夕方、芝生の上に、白い大きなスクリーンが立った。
業者が、三脚の上に映写機を据えていく。
その手前に、緋毛氈を敷いた縁台が並び、膝掛けと小さなストーブが置かれた。
三方の上に、お団子を十五。
すすきを活け、衣かつぎと栗を盛った。
足首には、まだ包帯を巻いていた。
厨房と芝生を、何度往復したかわからなかった。
「月見の席に、どうしてスクリーンが要るのかしら」
縁側から、お義母さまの声がした。
お義母さまは、観月会に出ないと言った。
陽翔のそばにいる、と。今夜は、二階の子ども部屋で、あの子が眠るまで本を読むのだと。
「奥様が、皆さまにお見せしたいものがあると」
「そう」
お義母さまは、スクリーンを見上げた。
それから、私を見た。
「あなたは、知っているのね。何が映るのか」
私は、答えなかった。
お義母さまも、それ以上は聞かなかった。
*
六時、客が揃った。
白樺台の奥様が五人。
多恵子叔母さま。灰色のスーツに真珠の一連の、葛城編集長。
蒼真は、紺のジャケットで、門まで一人ずつ迎えに出た。
えくぼを作り、白い歯を見せて。この一週間の顔色の悪さを、笑顔で塗りつぶしていた。
麗奈は、白いワンピースに、淡い藤色のショールを羽織っていた。
大ぶりのパールのピアスが、ストーブの火を映していた。
芝生の端に、玲司さんが立っていた。
麗奈に招かれたのだと、昼間、メッセージが来た。
お義兄さまにも、ぜひ、と。
温室の陰には、源さんがいた。
手拭いの鉢巻きを外して、作務衣の膝を揃えて。
私は、盆にお茶をのせて、縁台のあいだを回った。
「あら」
葛城編集長が、お団子を一つ口にして、私を見た。
「おいしいわ。……作った方は、前にも、パンを焼いた方ね」
「恐れ入ります」
葛城編集長は、それ以上、何も言わなかった。
ただ、真珠の一連に、指を一度だけ添えた。
*
「ねえ、麗奈さん」
多恵子叔母さまが、扇子で東の空を指した。
「今夜は、月の出が遅いのよ。下弦を過ぎたら、夜中にならないと上がってこないの。……お月見なら、先週の満月のときにすればよかったのに」
奥様たちのあいだに、小さな笑いが広がった。
麗奈の笑顔が、一瞬だけ、固まった。
「ご心配なく、叔母さま」
麗奈は、映写機の横に立った。
「月は、ちゃんと、ご用意しましたから」
スクリーンが、白く光った。
大きな、丸い満月だった。
写真の。どこかの、知らない夜の月。
奥様たちが、顔を見合わせた。
誰かが、扇子の陰で、くすりと笑った。
本物の月の出ない空の下で、偽物の月が、芝生を白く照らしていた。
学歴も、お腹の子も、この家の奥様の顔も。
この人は、いつも、ないものを、あるように映してきた。
「今夜は、皆さまに、もう一つ、お見せしたいものがあるんです」
麗奈が、手元のスマホを操作した。
月が、消えた。
*
スクリーンいっぱいに、夜の窓が映った。
離れの、北の大きな窓だった。
灯りの中に、二つの影。背の高い男と、首にスカーフを巻いた女。
額をつけて、重なっていた。
どよめきが、芝生の上を走った。
「うちの家政婦と、主人の兄です」
麗奈の声は、よく通った。
「先週の木曜日、夜中の一時。……家政婦が、雇い主の家の男の人を、夜中に部屋で誑かしていたの。こんな人に、陽翔くんのお世話を任せられると思います?」
奥様たちの目が、一斉に、私のほうへ向いた。
盆を持つ手が、冷たくなった。
この人は、この写真で、私を追い出せると思っている。
この家で、最後に残った自分の場所を、守れると思っている。
蒼真は、スクリーンを見上げたまま、動かなかった。
左の手首の腕時計を、右手で強く握っていた。
そのとき、芝生の端で、玲司さんが立ち上がった。
ゆっくりと、縁台のあいだを歩いてきた。
私の隣で、止まった。
「その写真の男は、俺だ」
声は、少しも上がらなかった。
法廷で、事実を述べるときの声だった。
「俺は、この人を愛している」
息が、止まった。
「俺は独り身で、この人も独り身だ。それが、何か」
芝生が、しんとした。
それから、多恵子叔母さまが、扇子を口元に当てて、ほうっと息をついた。
「あら。……素敵じゃない」
奥様たちのあいだで、空気が、くるりと向きを変えた。
誰かが、小さく笑った。
今度は、麗奈を笑う声だった。
「何なのよ」
麗奈の声が、裏返った。
「何なのよ、みんなして!」
*
私は、盆を縁台に置いた。
それから、縁台の陰に置いてあった、小さな素焼きの鉢を、両手で持ち上げた。
足首の痛みを、こらえて、麗奈の前まで歩いた。
麗奈の足元に、鉢を置いた。
平たい葉が一枚、湿った砂に、まっすぐ挿してあった。
「月下美人です」
麗奈が、鉢を見下ろした。
「先週、奥様が割った鉢から、一枚だけ拾いました。……紗季様が、植えた花です」
その名前が、芝生の上に落ちた。
奥様たちの誰かが、息を呑んだ。
先週から、白樺台じゅうで、ひそひそと交わされていた名前だった。
「鉢の下に、紗季様が残したものがありました」
麗奈の顔から、血の気が引いていった。
「何、それ。知らない。私、知らないわよ、そんなの」
門のほうから、砂利を踏む足音がした。
よれたトレンチコートの男が、芝生へ入ってきた。
後ろに、制服の警官が二人。
「どうも。夜分に、すみませんね」
水無瀬刑事は、ミントガムを、包み紙に吐いた。
「花園麗奈名義の、睡眠導入剤の薬袋。四年前の九月の日付です。医院のカルテも、出ました。御影紗季さんの日記の切れ端。サプリだと言われて飲んでいた、と、本人の字で書いてある。それから、事件の夜、洋館の勝手口から袖を濡らして出てくるあなたを見た方の、証言」
温室の陰で、源さんが、背筋を伸ばした。
「それと」
水無瀬刑事は、麗奈を見た。
「あなた自身の、声も」
「……声?」
麗奈の目が、大きく見開かれた。
それから、ゆっくりと、蒼真のほうを向いた。
「蒼真さん」
麗奈が、蒼真の腕をつかんだ。
「蒼真さんだって、知ってたのよ! あの晩、電話で、第一発見者になれって言ったのは、この人なんだから! 紗季さんが、薬のこと相談したときだって、笑って――」
「何を言ってるんだ」
蒼真は、麗奈の手を、振り払った。
えくぼを作って、奥様たちのほうを向いた。
「僕は、何も知らない。……妻が、こんな恐ろしいことを。信じられません」
麗奈の手が、宙に浮いたまま、止まった。
「御影麗奈さん」
水無瀬刑事が、紙を一枚、広げた。
「御影紗季さんに対する、殺人の容疑で、逮捕状が出ています」
金属の音がした。
奥様たちの前で。葛城編集長の前で。多恵子叔母さまの前で。
スクリーンの、離れの窓の写真の下で。
麗奈の白い手首に、手錠がかかった。
長い付け爪が、一枚、芝生の上に落ちた。
月下美人の鉢の、すぐ横に。
*
パトカーの後部座席で、麗奈は、爪を噛んだ。
付け爪が、歯の間で、ぱきりと割れた。
その下の本物の爪は、短く、ぎざぎざだった。子どものころから、噛む癖が抜けなかった。
窓の外を、白樺台の大きな家々が流れていった。
六畳一間のアパートを思い出した。
母の、ローズの香水の匂い。帰ってこない男を待ちながら、母が言った。
あんたの父親は、子どもができなきゃ次に行く男だった。
だから、捨てられる前に、つかんで離すんじゃないよ。
つかんだ。
誰よりも先に、いちばん大きなものを。そのために、邪魔なものは、全部どけた。
蒼真の、振り払った手の感触が、手首に残っていた。
「……捨てられる前に、捨てたかっただけなのに」
麗奈は、手錠の手で、割れた爪を握りしめた。
*
奥様たちが、一人、また一人と、門の外へ帰っていった。
スクリーンには、まだ、離れの窓が白く映っていた。
誰も、映写機を止めなかった。
玲司さんが、私の隣で、黙って立っていた。
その手の甲の、桃色の痕が、ストーブの火を映していた。
門の外で、パトカーの赤い光が、ゆっくりと回りはじめた。
赤い回転灯の向こうで、蒼真が、じっと私を見ていた。