『あ? ごめんねほし、足りなかったね?』
怒り心頭に立ち竦むオレにすぐに気付いたのか女神が傍らにやって来て、その前では高級羽毛布団すらもゴミクズ以下となる膝上に、オレを抱き抱えて乗せてくれた。
やはり女神は分かってらっしゃる。
何故に彼女程の崇高な存在が、あんな馬鹿の傍に居るのかアトランティスの謎だ。きっと何か弱味を握られているに違いない。
何時かオレの爪で引き裂いてやらねばと、心に誓ったものだ。
『ふぅ、ふぅ……はいほし。熱くないからね』
きっちり熱冷ましをしてからお裾分けする所がまた、彼女が女神足る所以。オレはアラーの神に平伏するかのように、そのアテネハンドから上品に頂いた。
――もぐもぐ、んぐんぐと咀嚼。
完璧だ……。これぞ正に神の黄金比率。
三種の神器が絶妙な旋律となって、オレのコスモを駆け巡っていく。
同じ肉なのに何故、あの馬鹿とこうまで違うのか。
それはきっと愛情の違いだろう。
その感激にオレは、奴への制裁等すっかり忘れたものだ。
――夜も更け、宴も終演に近付きつつある頃。
『さあ~お待たせ』
屯所の主、冥王が何やら皿を両手に躍り出てきた。皆の注目が集まる。
そう。今日のメインは実はこれなのだ。
オレが以前、この屯所には猪が居ると言った事(これは女神談だが)を覚えているかい?
……何? 忘れただと?
お話にならない。お引き取り願おう――と言いたい処だが、まあいい。オレは慈悲深いから、そんな事で貴公等を蔑ろにはせぬ。
つまりは冥王の持つ皿には、こんもり盛られた猪の肉が。
信じられないだろうが、あの酒以外に取り柄の無いと思われたカロンは狩猟をたしなんでいてな。この猪の肉も、その狩の一環という訳だ。
一口大の猪肉が次々と網に乗せられ、焼肉じゅうじゅうと香ばしい音を発てていく。
屯所でのバーベキューは、メインの締めには猪が恒例となっており、皆がそれを待ってました。オレも待ってました。
古今東西広しと云えど、猪を食した事のある猫はオレ位だろう。
この時ばかりはオレも、だらしなく涎を垂れ流したものだ。
『おいしい~』
皆が猪肉に舌鼓を打っているが、ちょっと待て。
あれ? オレの分は?
『ほしも食べてみる?』
皆が夢中でオレを視界に映さない中、やはり女神だけだオレを見てくれるのは。
勿論です。『食べてみる?』の疑問形が多少、勘に障ったが、女神だからこそ許されるのだ。
言葉が自由に交わせないのは歯痒いが、意志疎通は万全。心は繋がっているのだから不満は無い。
さて、猪肉の初体験だ。オレは未知の肉を口に運ぶ、この瞬間程の高揚感は後にも先にも、この時だけだったろう。
――貴公等は猪肉を食べた事、もしくは見た事があるかね?
フム……無いか、そうか。やはりオレは貴重な生き証言か。
簡潔に言うと、猪肉は豚肉に近い。
それもその筈。元より猪を品種改良したのが豚なのだから、その相違点は押して知るべしだろう。
豚肉に比べたら多少の臭みと言うか、独特の癖は有るが、これぞ正しく野生の獣肉の真骨頂。
脂身は自然で培った芳醇さで、化学肥料で飼育された豚の、ドロドロした脂身とは根本が違う。
これは環境、食生活、慢心の違いだろう。
猪は自然の木の実をたらふく拵え、その生態のおかげで肉自体が口の中で、自然に溶けていく感触なのだ。
更に蝮(まむし)を食した事のある猪は、三割増で旨味が増す事も覚えて於いて損は無い。後学の為にも。
この場で出された猪は、恐らく後者だろう。オレの猫舌は誤魔化せない。
脂身から表面の皮に、黒い剛毛が点々と列なるのがまた乙なもので、皮はゴムみたいで食えた代物ではないが、それもまた一興なのが猪なのだ。
つまりは――野生最高!
“猪旨し!”
これに尽きる。
いずれは熊にもチャレンジしたいものだ。この地方には居ないがね。
――さて、オレの為の宴も終わった訳だが、後片付けも程々に、皆が次々と床に着いていく。
時刻は既に零時を回っていたな。親戚一同も勿論屯所内での寝泊まりだ。
子供等は子供らしく、既に熟睡中。オレはホッと喉を撫で下ろしたものだ。夜中までまとわりつかれちゃ困る。
はずれ者はというと――ああ、こいつはとっくに酔い潰れてやがる。
惰眠を貪る姿にオレは爪を立ててやりたくなるが、そこは寛容な精神でぐっと堪える。
以前とは違うその感情に、オレも成猫になったな……と染々思ったものだ。
『ほし~おいで。もう寝よ?』
女神の御呼びだ。そう、はずれ者が潰れているので、オレが女神を独占するのだ。
「ざまぁ」と声を掛けてやりたい気持ちを抑えて、オレは女神の元へ向かった。
夏だから暑苦しい筈だが、オレはそう思わない。
彼女の温もりは何時でも心地好いのだ。
オレは桃源郷の眠りに落ちていた。
――とまあ、この夏はとりわけ楽しかったわい。
オレは今日という日を、三日坊主ではなく一生忘れないだろう。
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