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―――本当はもう少し泳がせるつもりだったんだけどな。
その声に目を開けると、シティホテルのベッドの上にいた。
今は何時だろう。
窓から白い光が差し込んでくる。
まぶしい。
よく見えない。
ただ隣に上半身裸で寝転がっているのが、悠仁ではなく城咲だということだけはわかる。
―――あんな割り切った表情したあなたを置いていくことはできなくてね。
彼の言っている意味は分からなかった。
きっといつものように骨抜きにされるまで抱かれて、微睡んでしまったのだろう。
脳が覚醒してこない。
しかし、身体は心地よく怠く、とてもいい気分だ。
晴子はうっとりと城咲を見つめた。
―――ずっと気になってたんですよ。凌空くんのこと。
ずっと気になってた?
それにしては城咲から凌空の名前が出たのなんて初めてだ。
―――何をって?凌空くんの目のこと。
城咲は少し眉を上げながら頬杖をついた。
目?
―――そう。目。
城咲はそう言いながらもう片方の手で晴子の頬を撫でた。
―――晴子さんとは似てないよね。
晴子はその手に自分の手を添えた。
―――でもご主人の目とも似てない。
言わんとしていることがわからず、晴子は城咲を見つめた。
―――知ってますか?
二重は優勢遺伝子。一重は劣性遺伝子なんです。
つまり両親がともに一重の場合は、一重の子しか生まれないんですよ。
そう言いながら城咲の親指は晴子の瞼をなぞる。
―――晴子さんの目は整形でしょう?本当は一重ですよね。
晴子は首を傾げた。
この数週間の間に、城咲にそこまで話したことがあっただろうか。
―――ご主人も一重。つまり、あなたたちの間には一重しか生まれない。紫音さんのようにね。
城咲は微笑んだ。
―――輝馬さんのことはもうわかっています。彼はご主人の子じゃない。
でも、凌空くんは?彼は、ご主人とあなたの子ですよね?
城咲が覗き込んでくる。
ああ、そうか。
そこまでは話してなかったのか。
晴子はふふふと笑った。
ふわふわと宙に浮くようないい気分だ。
当たり前でしょ。
だってあの子の目は――――。
私が―――んだもの。
「晴子さん」
低い声に、晴子は瞼を開けた。
「!!」
暗いリビング。
晴子はソファの上で身を起こした。
いつの間に夜になったのだろう。
いやそれよりも、どうして城咲が自分の家にいるのだろう。
晴子は見回した。
違う。
同じ天井、同じクロス、同じフローリング。
しかしすべてが左右対称の部屋。
ここは城咲の家だ。
気味が悪いほどに家具の配置まで同じなその部屋は、まるで市川家を鏡で映したかのようだった。
「どうして……?」
わけが分からない。
朝だった。
確かにそうだった。
玄関を掃いていて、
城咲は実家に行くと言ってスーツケースを持っていた。
それなのにどうして晴子は、
城咲は、
今ここにいる?
「正直忌まわしすぎて、あなたのことはすぐに殺してもよかったんですけど」
城咲は園芸用の手袋をしながら続けた。
「スーツケースの容量にも限界がありましてね」
「…………」
彼が言っている意味が分からない。
すぐに殺してもいい?
今、彼はそう言ったのか?
「ほら」
城咲がケースの留め具を外すと、バインと勢いよく蓋が開いた。
「………!!!!!」
晴子は思わず口を覆った。
そこには、透明の密閉袋に包まれた、バラバラの四肢が入っていた。
白く生気を失ったそれらはまるでスーパーの精肉コーナーに並ぶ手羽元のようで現実感がない。
しかし大きさが、明らかに人間のそれとわかる。
白くはれ上がった腕には指も見える。
ーー人間の、死体。
晴子は息を飲んだ。
「―――!!」
長い茶色の髪の毛。
一重で、鼻が低くて、どう見ても日本女性にしか見えない彼女に似合わない茶髪が、切断された首に絡みついていた。
「……紫音」
その隣に寄りかかるように傾いているもう一つの頭を見る。
通った鼻筋。
白目がのぞく綺麗な二重瞼。
その顔はたちまち涙で見えなくなった。
「……輝馬」
足の力が抜けソファから滑り落ちると、晴子はそのままフローリングに突っ伏して泣き出した。
「輝馬……!紫音……!!」
なぜ城咲のスーツケースの中に、2人の遺体が入っているのかはわからなかった。
しかし2人がもう二度と、自分の元へ帰ってこないことだけは理解できた。
もう取り戻せない。
2人も。
これから過ごそうと思っていた親子の時間も。
「ーーあなたに」
頭上から城咲の声がした。
次の瞬間髪の毛を掴み上げられ、晴子はされるがままに城咲を見上げた。
「…………!!」
目を見開いてこちらを見下ろす城咲を晴子は見つめた。
ああ、そうか。
いつも微笑んでいたからわからなかった。
こうして目をちゃんと開いていると、わかる。
この子は―――あの子か。
父親のシャツの裾を掴みながらこちらを睨んでいた男の子。
公園に迎えに行くたびに、亜希子の隣のブランコに座っていた、あの子だ。
「りっくん……」
亜希子はいつも彼をそう呼んでいた。
おそらく父親が死んだのだろう。
いつのまにか引っ越して行ってしまったマンションの男の子。
その後、紫音が生まれ、凌空を妊娠した時、名前などどうでもよかった晴子に、なぜか唐突に浮かんだその名前。
「なるほどね……」
目尻から涙が流れ落ち、彼の顔ははっきり見えた。
確かに、風呂に入らない亜希子を汚いといい、一緒にいるのが嫌だと言ったのは、潔癖症の紫音だった。
確かに、風呂に入れるという名目の元、亜希子の身体を弄び、犯し穢したのは輝馬だった。
自分は殺されるのだ。
自分も殺されるのだ。
市川家が抱えた秘密は、粛正をもって罰せられる。
亜希子の唯一の理解者、城咲律樹の手によって。
しかし、まだ役者は揃っていない。
なぜこの場にあの子がいない?
トン。
トン……トン……トン……。
背後から足音が聞こえた。
そうか。
なぜ今まで気づかなかったのだろう。
晴子は思い出した。
彼のいつも何かを見透かしたような目を。
彼が、城咲の協力者。
髪の毛を掴み上げられたままその足音に振り返る。
そこには、
晴子が家族の食事を作るために毎日使っている包丁を握った、
凌空が立っていた。