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おれの仕事は、毎日鏡と向き合うことである。

といっても、芸術品や姿見をつくるなどどいった大掛かりな作業ではない。ただのサイドミラー整備士だ。


うちの工場であらかじめ仕上がったミラーをおれが内部機構にはめ込んで、ズレがないように調整する。たったそれだけのことだ。ライン工みたいなものではあるが、肝心な部分だけに責任も重い。今まで数回始末書を書かされ、給与の減額まであった。だから失敗するわけにはいかない。


しかしおれは7年ほどこの仕事をしていて、今更ながらではあるが、違和感のようなものを感じる時があるのだ。

ミラーの位置を調整するときに否が応でも己の顔を見ることになるのだが、その顔を見るたび

「おれはこんな顔の人間なのだうか」

という錯覚に陥ってしまう。本を読み進めていくと白紙から文字が浮かび上がってくる感覚に似ている、とでも喩えればいいだろうか。

「このミラーが映しているのはほんとうにおれだろうか」


今日も半分そんな思案に暮れていた時だ。

「倉田!」

突然、背後からすごい剣幕で上司の坂本がおれを怒鳴りつけた。

「なんです」

「ちょっとこっちに来い!」

整備場を出るなり、痩せ身の坂本はつかつかと空き部屋に入っていった。おれはそれに続いた。

「お前とんでもないことをしてくれたな。下手したらうちの注文がなくなるんだぞ」

「とんでもないことって」

「分かってないのか、お前が手を抜いたのは分かってるんだ」

坂本はテーブルに写真をバシーンと叩きつけた。

「見てみろ! これまで3台、おんなじ目にあったんだ。そして3台とも、運転手は同じ証言をしてるんだ!」

「証言?」

「そうだ。サイドミラーが真っ黒になって、気を取られているうちに事故にあったと」

おれは写真を見た。いずれもサイドミラーのある部分を大写しにした画像だ。ただし、ミラーは無くなっており、その内部が剥き出しになっている。

「あ」

おれはあることに気づいた。

ミラーの縁が、僅かにボディに残っているのだ。

「これ、ミラーは事故したときに壊れたんですよ。どう考えたってそうじゃないですか」

「口答えするな!」坂本の目元はピクピクしている。「お前が手を抜いたから抜け落ちたんだ!」

「いえ、あの――運転手さんは、突然ミラーが真っ黒になったと」

「うるさい!」坂本はまた机をバンと殴った。「お前には3ヶ月の謹慎処分命令が出てる。反省しろ、仕事をきっちりやってもらわないと困るんだよこっちは!」







電車の窓からは夜の風景が見えるとともに、車内のライトの反射で乗客たちの姿が見える。

おれは、できるだけそれを見ないようにして、あちこち目を逸らした。自分が映った姿を見るのが、怖くなってしまったのだ。


ただ、純粋に考えておかしかった。ミラーが欠損するというのは、事故後でないとありえない。

事故前にそんなことが起こるのは、それこそドライバーに何かの異常があったとしか思えないのだ。ミラーが突然真っ黒になるなど、通常であれば考えられない。

そればかり考えながら俯いているうちに、電車は目的地についた。おれは電車の降り口に立った。

ふいに、開くドアの窓に自分の顔が写ったのを見た。だがその一瞬後、すっかりその顔は消えてしまい、駅のホームがおれを出迎えた。







「これ、お願いします」

「はい。450円が1点、210円が1点ですね。こちらの精算機でどうぞ」

「どうも」

コンビニで弁当を買って、のろのろ家に帰る。会社で厳しく言われたのが、今になってじわじわおれの気分の安寧を削ぎとっていった。


アパートの一室の鍵を開き、ダイニングルームに直行する。

弁当をレンジに突っ込み、テレビをつけようとした。

テレビの黒い液晶パネルには確かに自分の顔が映っていた。

「まさか」

先ほどのドアミラーの話が蘇るが、俺は気にしないことにしてテレビをつけた。面倒なことは後で考えればいい、と自らに言い聞かせ、笑い声の絶えないバラエティにチャンネルを変えた。

番組の内容がぜんぜん頭に入ってこない。やはり坂本の叱責が効いたのだろう、心は沈んだままだ。


弁当とビールを胃に入れて座椅子に腰掛けると、突然眠くなってきた。テレビを消すためリモコンを手にし、電源ボタンを押す。画面が暗くなり、何も映っていない状態になった。

おれは微睡みながら黒い画面をぼうっと見ていた。

――待て。

おれは、テレビをつける前の状態を思い出した。そこに映っていたのはおれの姿、だったじゃないか。

洗面所に駆け込む。急いで電気のスイッチを入れて、鏡を見る。


それは、一面を墨で塗り尽くしたような一枚の板だった。


「なんだよ……」

墨は、そこから流れ出るように少しずつ範囲を広げて、壁に染みるように広がっていった。

ここにいてはいけない、という警鐘が頭の中に響き、急いで玄関に行き、靴を履いて部屋から逃げ出た。


階段を駆け下り、アパートの外に出ると、誰もいない町を疾走した。すると先ほど寄ったコンビニの看板が見えてきた。

――助かった!

おれは急いで店の扉を開いた。

「いらっしゃいませ」

アルバイターと思しき少年は、そう言って笑顔で出迎えた。しばらくおれが見つめているのを不思議がったのだろう、

「どうされました?」

と聞いた。

おれはよろよろとレジに歩んで行った。

「鏡に……鏡に殺されそうになったんだ」

と言い終わらないうちに、おれはその場に転んでしまった。


うめきながら立ち上がると、そこにはおれの姿を写した大きな鏡があった。

「お……おい」

店員はいつの間にかいなくなっていた。その代わり、そこも鏡になっていた。

そのとき、鏡に映った背後の物体が、よろり、と蠢いた。

おれは振り返る。

そこにあったのは、鏡だった。四方を鏡に囲まれたのだ。

おれは鏡を壊そうとダンダン鏡を叩いた。ひたすら叩くが、出血するだけで割れることはない。

「出せーっ! おれはなにもしてないんだ!」

おれは鏡合わせになった何重ものおれを見た。おれと同じように、咽び泣いているおれを。

おれは強烈な不快感に襲われ、目を閉じてそれを手で覆った。


視界は黒に閉ざされた。




***




「鏡の前で死んでたって?」

「どうもそうらしいですね」

「心肺停止による突発死、か」

「何か原因があるはずなんですが」

「まあ、司法解剖に譲ることにしよう」


鑑識官は、倉田が死んだ位置から鏡を見た。至って普通の鏡だった。

「よくわからんな……」

彼は鏡に向かって微笑んで見せた。そしてひとまず現場を離れることにした。



鏡に映った男は、彼が現場から立ち去った後、にやりと微笑んだ。

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