テラーノベル
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二泊三日目、朝。
リビングでノート型パソコンに文字を打ち込んでいると、トントンと階段を降りてくる音が聞こえて、俺は手を止め、二階へと続く階段を見上げる。
「お、起きてる。」
そこから姿を現した仁人は、すでにスーツに着替えて上着だけを腕に掛けた格好で、俺に向かって片手をあげた。
「はよ」
「今日は早いじゃん。いつから起きてたの」
「んー、寝てねぇ」
「は、徹夜?!」
前を横切りながら驚いた顔をする仁人に、掛けていた黒縁眼鏡を外し、目頭を押さえながら答える。
「おう。昨日お前と晩飯食った後、なんかアイデア湧いてさ。気ぃ付いたら今だわ」
「へぇ?作家さんてそんな感じなんだ」
「他がどうかは知らんけどな」
「進み具合はどうですか、先生?」
「ぼちぼちってとこっスかねぇ…てゆうか、やめて先生って言うん。なんかお前に言われると恥ずいんだけど」
夜通し同じ体勢でガッチガチに固まった肩と腰をほぐすように伸びをしていたら、目の前にコトリと、青い水玉模様のカップが置かれた。
「勇斗、甘いの大丈夫?」
「…………大丈夫、だけど」
「だったらほら、これも」
そう言って、仁人は持っていたチョコレート菓子を机の上へ並べだした。その様子を何も言えずに見つめていると、そんな俺に気付いて、仁人は軽く微笑みながら言う。
「頭使った後には糖分取れって言うじゃん。コーヒーも甘めにしといたから。長時間お疲れさまでした」
「………ありがと」
そろりとカップに手を伸ばし、一口啜る。
彼の言う通り、砂糖とミルクの入ったコーヒーはほんのり甘くて、疲れた頭に直接栄養を与えてくれるようだ。
さっきまであった眠気まで吹っ飛んで、湯気のせいだけじゃない頰の熱さに、心の中で呟く。
お前ほんと、そうゆうとこやぞ。
コーヒーを飲む俺を満足げに見下ろしてから、仁人は腰に両手を当て、さて、と朝の出勤準備モードに切り替わる。
「さて、じゃあ俺も朝メシにするかぁ。勇斗なんか食べる?」
「……いや、なんか胸もおなかもいっぱいになったから今日はいいわ」
「?そぉなん、だったらいっか」
一瞬はてなを浮かべながらも、特にツッコまずキッチンの方へ歩いていく彼を、俺もカップを持って追いかける。
「?どした、やっぱなんか食べる?」
いつもの朝食をキッチンの棚から取り出しつつ聞いてくる仁人に、さっきっから引っかかっていることを思い切って尋ねてみた。
「いや、ゴハンはいらねんだけど、その…はやと、って急になに?」
俺の質問に、緑色の箱を持ち自分の分のコーヒーを入れてダイニングテーブルに腰掛けながら、仁人はきょとんと首をかしげる。
「さのはやとだから、勇斗だろ?お前だって、俺のこと仁ちゃんやら仁人言ってるからこっちも呼び捨てにしてやろうと思って。」
「……へぇ」
緩みそうになる口をカップで隠して何事も無さげに仁人の前の椅子へ腰掛けると、仁人はクラッカーを口へ運びながら、今度は逆方向へ首をかしげた。
「嫌なんだったらすぐ止め…」
「全ッ然嫌じゃねぇ!!むしろめっちゃ嬉しい!もうバンバン呼んで!なんならはやちゃんでも可!」
せっかくクール気取ってたのに、うっかり大声で本心を暴露してしまった俺を目を丸くして見つめた後、仁人は笑って答える。
「おう。じゃ、勇斗な」
にこにこと笑うその顔をまともに見られず、苦し紛れに咳をして、そう来るならばこちらもと、俺も前から温めていた秘策を繰り出す。
「…だったらさぁ、俺も今日からお前のこと、仁人じゃなくてくーちゃんって呼ぼっかな」
「はぁあ?」
「仁人、小さいころ女の子の格好な上にクジラみたいな前髪してたからくーちゃんって呼ばれてたんだろ?」
「おま、なんでそれ知って……ってそら母さんが言ったに決まってるわな!」
言いかけて自分で正解を導き出した仁人に、その通りと頷く。
「前にお母さんから小さい頃のアルバム見せてもらった時、話聞いたんだよ」
「勇斗、もしかしてアレ見たの!?」
「おう、めちゃくちゃ似合ってたわ。まじ女の子にしか見えんかった」
今では考えられないけれど、小さい頃あの子病弱だったのよと、アルバムを見ながら懐かしそうに言っていたお母さんを思い出す。
だから、神様の元に呼び戻されないよう、古い風習に則って願掛けとして女の子の洋服や着物を着せて神社へお参りに行ったり、長い前髪をくくってみたらくじらみたいだって笑ってて。
その時のあの子が本当に可愛くて。
だからちょっとの間、くーちゃんって呼んでたのと、彼女は彼とよく似た笑顔で優しく笑っていた。
「めちゃくちゃ愛されて育ったんだな」
俺の言葉に、怒り心頭だった仁人は不意を突かれたように言葉につまる。
「………まぁ、感謝は、してる、けど…」
「その後、おすそ分けーってお母さん写メ送ってくれた。」
「それ完全にネタにされてんだろ!」
俺のプライバシーどこ行ったんだよ!、と再び怒りに火が付き、ぷんぷん怒りながらクラッカーを噛み砕く仁人に、笑みが溢れる。
「いいじゃん。くーちゃんって可愛いからしっくりくるけどなぁ」
「しっくりきてたまるかよ!いい歳した大人がくーちゃんはどう考えても恥ずかしすぎんだろ」
「別にいいじゃん。今だって仁ちゃん可愛いしさぁ」
「…あんた、今すぐ睡眠とんな。目ぇおかしくなってんぞ。あとマジでくーちゃんはやめろ」
素っ気なく言い捨てて、さっさと食事を終わらせた仁人は会社用のバッグを引っさげ、玄関へと向かう。
「じゃ、行ってくるわ」
「おー、行ってらっしゃい。気ぃつけて」
仁人の背中を見届けてから、再びリビングへ戻ろうとカップを持ち、立ち上がる。
「おいこら。」
すると、後ろからガラの悪い声が響き、振り返ってみれば、玄関扉からひょっこり顔だけ出した仁人がこちらを覗き込んでいた。
「どした?なんか忘れもん?」
「おぉ、えらいもん忘れてたわ」
「なに?」
「今すぐ母さんの送った写メ消せ。」
「………………おう、分かった。」
「なんだ今の間!勇斗、お前絶対消す気ないだろ!」
「いやいや、消す消す。消すって」
「……ほんとにぃ〜…?」
「ほんとほんと。ほんとだからほら、早よせな会社遅れんぞ」
「………いってきまぁぁす」
疑いの眼差しを向けたままフェードアウトしていった仁人を今度こそ見送り、
「…なぁーんて、消すわけねぇだろばーか」
俺は舌を出して笑ってから、また一口甘いコーヒーを啜った。
next…
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