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「でも俺は真白が結婚していようが、恋人が居ようが関係ない。子供が居ても真白の血を引いているなら愛せる」
そのまま写真の真白に額を寄せる。
当たり前だが、温もりなどはなく。冷たい。
弁護士をやって分かってはいたが、この仕事は人のトラブルの上で成り立つ仕事。
どんな高い地位の人間であろうが、人と接してる限り揉めごとは起きる。それを専門知識を用いて、法律に則り白黒つける。その報酬を貰うのが俺の仕事。
だからこそ人間関係は脆いと、誰よりも心得ているつもりだ。
真白に誰が居ようとも、相手が人であれば綻びはある。人は大なり小なり、何かしら問題を抱えて生きている。だから、綻びが決壊するのを待つぐらいはしよう。
状況次第ならば──俺がそれとなく。
決壊させてやってもいい。
そうして、俺が真白を慰めたらいい。
何年掛かっても最後に真白が手に入れば問題ない。
完全無欠に愛せるのは俺だけ。
そう思ってただ、生きてきたのだから。
そこに突然の真白の登場は予想外だった。
しかも誰のものにもなってないと分かった。
「そして、俺の事も忘れているのだと……」
弁護士事務所で再会を果たしたが、真白は俺を覚えている様子はなかった。
不安気ながらも淡々と相談事を話すだけ。
そんな態度を見てしまえば、俺の事を明かす気持ちにはならなかった。
高校二年生のとき。同級生でした。覚えていますか。夏祭りに誘った黒須です。貴女が好きでした。
──今も好きです。
なんて、口が裂けても言えるわけがない。
きっと、真白に取って俺は取るに足りない存在。過去の遺物ですら無いのだろう。
多分。父親との死別がショックで俺のことなど忘れてしまった。
夏祭りのあの日は真白に取って、思い出したく無い記憶。
もしくは、誰かと大恋愛をしてそれを引きずっている。
──とか。色んな理由があるのだろう。
だが、俺にはそんな理由どうでもいい。
仮に誰か想っていると聞かされると、その相手をこの世から消し去ってしまいたくなる。
本当の理由なんて今更、聞きたくもない。聞いたところで過去は変えようがない。
「だから、真白。俺は昔のことなんて聞かない。今は真白の未来にしか興味がない」
素直に口説いて恋人になることも一瞬、考えが過ったが、そんなの手緩い。
この奇跡のような巡り合わせを、無駄に成らぬように。確実に俺の腕の中に留めるため。
相談事を聞き終え。困っている真白の悩みにつけ込んで『契約妻』を持ち出した。
真白もそれを了承した。もちろん、契約妻で終わらせる気なんかない。最終的に妻として必ず迎えいれる。
『契約』と言う言葉を使用したのは、判断に余地を与えると思ったからだ。
後で何か言われようとも、これからも交際期間の実績、婚約者として振る舞いを重ねて。指輪も早々に贈り。
容易に婚約関係を否定出来ないように。
──法律からでも絡め取るのみ。
こんな事は真白からすると不安だろう。
何かしらの抵抗があるかと思ったが、真白は思いのほか。従順に俺に従っているように見えた。
それは俺の持つステイタスや経済力。そんなものに惹かれた可能性もあるが、惹かれてくれるなら何でもいい。
惹かれている間に、俺は真白の汚れを知らない体に喜悦、愉悦、悦楽を植え付け。心の奥に踏み込むだけ。それで俺の体を求めるようになったら上々。
こんなことは一般的には卑怯なことだろう。非難や誹りを受けても仕方ないと理解はしている。
だから俺の心まで求めて欲しいなど願ってない。
体だけの繋がりでも充分。
「……絶対に逃がさない」
写真の真白につぶやき。ふと手の平を見ると。
いつの間にか手折ったアルストロメリアを強く握りしめていたらしく、はらはらと花弁が床に落ちていった──。
※※※
───後日。
私が名刺を宇喜田弁護士から貰い。
黒須君の家に行ってから一週間が、あっという間に経ってしまった。
最初の三日間は黒須君の事で頭がいっぱいで、非常にソワソワしてしまった。
でも、段々と九鬼氏が指定したホテルでの食事の日程が近いてくると、違う意味でソワソワして。落ち着くようにと自戒していった。
そして今日。
いよいよ、九鬼氏に会う約束の日を迎えたのだった。
私は九鬼氏が指定した都内のホテルのレストルームの鏡の前に居たけれども、それは九鬼氏と食事をしようとかではない。
「大丈夫。落ち着いて。キッパリと母は弁護士を付けて戦う姿勢です。今日はそれだけを伝えに来ただけですって、言うだけだから」
ふぅっと、深呼吸して鏡の中の私に視線を向けるけど、まだ表情は硬い。
黒須君の予想通り。母と祖母にスーパーの前で起きた出来事を話すと。
二人は嫌がらせが怖くて、娘を守れないなんて。亡き父に顔向けが出来ないと憤慨し。
母は次の日には黒須君の元に向かい、正式に依頼したのだった。
私の『契約妻』と言うのは依然、秘密。
家族や周囲にはまずは黒須君とお付き合いを始めたと言うことから、段階を踏んで行こうと黒須君と決めた。
それも打ち明けるのは、九鬼氏とのことが終わってから。
「……あれから黒須君とは連絡はしていて、今日の事とか。打ち合わせで会ってはいたけど……」
デートとかではなく。
全て九鬼氏への対策に向けての打ち合わせ。
私も黒須君も仕事が忙しかったので、この前みたいにゆっくりと二人の時間を過ごすと言う事はなかった。
打ち合わせの主な内容は今日。
本当に私が九鬼氏に直接会うか──どうかと言うこと。
本来なら内容証明や、依頼を受けた黒須君から九鬼氏にこれからの事を伝えるのが筋だったが。
個人的に一度、母の事も含めて九鬼氏に「ふざけないで」と言いたい気持ちがあった。
「ちゃんとハッキリ断って、戦うって意思表示したいもの」
黒須君にも母にも懸念はされたが。
今回の九鬼氏の誘いは母が依頼した本件とは別件であること。
今後。九鬼氏の出方次第では私も訴えるれるようにと、《《道筋》》を作っておいても良いとなった。
黒須君が九鬼氏の誘いに対して、私が拒絶を示したと言う『事実』を作っておくのは悪くないだろうと、私の気持ちを汲んでくれたこともある。
(って、この時の黒須君。すっごい眉間に皺を寄せていたなぁ)
黒須君の本音としては1ミリも九鬼氏には私を近づけたくないと、言っていた事を思いだし苦笑する。
他にも名刺を受け取ったから、私が九鬼氏を受け入れたなどと。
揚げ足を取られないようにと言う、対策も兼ねている。
それも踏まえて。諸々の書類はこの拒絶後、直ぐに九鬼氏に届くように手順は整っているそう。
──更には黒須君には何やら考えがあるようで。
母とも相談して。
話し合いの結果。
直接、私がこれからの事を伝える事になったのだった。
今から会う九鬼氏に対して、そんな気負いもあり。緊張は否めなかった。
黒須君は本当なら同席予定だったけれども、急な仕事が入ってしまい。
仕事が終わり次第に、直ぐにこちらに来てくれると言う運びになっていた。
「黒須君が居なくてちょっと心細いけど。子供じゃないし。場所はレストランだし。他の人もいるから大丈夫」
もうそろそろ行かなくてはと、ちらりとレストルームの大きな鏡を見る。
今日の服装はフォーマルでシックな黒のワンピース姿だった。
耳と首にはパールの揃いのアクセサリー。靴は足元を引き締める、光沢のあるブラックのヒール。
爪は仕事柄ネイルが出来ないけれども、ピカピカに磨いて貰っているし。メイクも髪も、プロの手で綺麗に整えて貰っていた。
そのお陰で肌艶はいつもより綺麗に見えた。髪はきっちりとシニヨンに纏めあげられている。
でもこれは私が用意したものじゃ無くて、ここに来る前にメイクアップサロンにて。事前の打ち合わせの時に黒須君が全て用意、手配してくれたもの。
特に髪を纏めているビジューの飾りが美しいバレッタは黒須君、自ら事前に選んでくれた。
ホテルのTPOに相応しいものを。九鬼氏に足元を見られないように、衣装も戦う為には必要だと。黒須君がこのドレスも小物も含めて、全て整えてくれていたのだった。
本来ならもっと華やかな姿の方がこのホテルには相応しいが、今日は食事をする為じゃない。
「黒須君が用意してくれた、この姿に相応しいように胸を張らなくちゃ」
気合いを入れ直し。黒のクラッチバッグからリップを取り出して、きゅっと唇に乗せた。
「よし。頑張ろうっ」
メイクも気持ちも整え。
しっかりと気合いを入れて、九鬼氏が待つ最上階のレストランに向かうのだった。
九鬼氏から指定されたレストランは、高級中華料理店。
お店はホテルの最上階にあるだけあって、店構えからして存在感があった。
入口のサイドには白磁に藍色の彩釉が美しい、大輪のシャクナゲが描かれた大きな壺が飾られ。
店の名前を掲げている大きな、黒い看板が高級感を演出していた。
そんな高級店な店構えに気後れしそうになるのを、背筋をピンと伸ばして。入口のスタッフの人に声を掛けた。
「九鬼氏」の名前をと自分の名前を名乗ると、どうぞこちらにと。中に案内された。
店内は金とブラウンで統一され。白い円卓のテーブル。水墨画の屏風。天井から吊るされた六角黒格の赤い提灯ライトが、モダンな空間を引き締め。とても雰囲気が良い。
そこで楽しげに食事をしている人達を横切り。案内された部屋は個室。
屏風の向こう側にあり、いかにもって言う感じがした。部屋に入る前に拳をぎゅっと握りしめる。
ドキドキする心臓を宥めて、案内係の人が恭しく扉を開いたその先に。
壁に大きな龍虎の水墨画。黒檀の長机。天井の中華風の飾り絵。
ホールより凝った内装の作りに目を奪われそうになった、けど。
上座にふんぞり返っている人物に注視する。
「櫻井真白さん。初めまして。ようこそ、さぁ。こちらにお座りなさい」
中年の男性がニヤリと笑って私を出迎えた。
九鬼史郎に間違いないと思った。
一歩踏み出すと。
わざとらしく「あぁ、ご紹介か遅れた。私が九鬼史郎だ」と、気さくに笑いかけられた。
地元の名士で名前こそ知っていたが、本人に会うのはこれが初めて。年は五十代半ばだとか。
年齢の割にはがっしりとした体躯。
出立も高そうなブラウンのスーツに包まれていて、迫力があった。
ロマンスグレーの髪をバックに撫で付け。その顔には髭が蓄えられていて、社長という風格がぴったり。
しかし、猛禽類を彷彿させる鋭い視線はまるでワンピースの下の体まで見透かされているようで、体を思わず隠したくなった。
でも、案内係の人が九鬼氏の左側の席を引いたので、その視線をなんとか無視して。
案内された席まで近づいて。私は座らなかった。すると、九鬼氏は笑顔をやめて。
眉間に皺を寄せ。さっと案内係の人に手を振ると、係の人は直ぐに立ち去った。
椅子は私に向けて引かれたまま。
個室に二人きっりになる。
九鬼氏から滲み出る威圧感を感じながら、立ったままで挨拶をした。
「九鬼史郎さん。初めまして。櫻井|翠《みどり》の娘。櫻井真白です」
「席に着かないのかね?」
「えぇ。今日は食事に来た訳ではないので、席には着きません」
あんな名刺を貰って、誰が席に着きたいと思うのか。そんなふうに一言、言いたくなる。
しかし、あまり言葉を交わしたくない。
それに──こうして九鬼氏を見据えてしっかりと立っているだけで、心臓はドキドキしぱっなしだった。
ちょっとでも弱みを見せたら、食い付かれてしまうような迫力が九鬼氏にはあった。
九鬼氏は眉間に皺を寄せたのも束の間。
ぱっと表情を変えて、また笑った。しかし、先ほどより作りモノめいた笑いだった。
「ほぅ。では、即金で三十万支払ってくれるのか。そうか、そうか。いや、実は言い難いんだがね。外車の修理部品を、海外から取り寄せになることになりそうで。五十万ぐらいになりそうなんだが。申し訳ないが、改めて請求書を送らせて貰うよ。それでもいいかな?」
「──五十万!? ふざけないで下さい。ぶつかって来たのはそちらです。しかも母に謝罪もなし。こちらに支払う義務なんかありません」
「では、ワシと争うかね。お嬢さん。君のお母さんが開いて居る華道教室。今まで通りに続けられるといいが」
やれやれと、深いため息を吐かれる。
「それ、どう言う意味ですか」
「意味が分からない年齢でもないだろう。ふむ。気が立っているのかな。女のヒステリーは実に厄介だ。しかし、君は若くて美しい。それにまだ幼いから仕方ない」
「なっ」
あの宇喜田弁護士と同じ事を言われ。
あまりの言い草に言葉を失う。
怒りで唇を戦慄かせてしまう体験なんて、初めてだった。
九鬼氏はそんな私の様子を気にする事なく。手を大仰に振って。
あからさまに面倒くさそうな態度で、じっと私を見つめて更に言葉を重ねてきた。
「まぁ。最後まで聞きなさい。お嬢さん。ワシとて揉めたくはない。もっとお互いを知るべきだ。食事をしないと言うのならば。このホテルに部屋を取っている。そこでリラックスして話をしようじゃないか」
にぃっと嫌らしく笑ったかと思うと、ガタリと席を立ち上がる九鬼氏。
思わず一歩後ろに下がりそうな、脚を叱咤して。
勇気を奮い立たせて、思っている言葉を口に乗せた。
「部屋なんて行きませんっ。今日、私がここに来たのはホテルで過ごす為じゃない! 母は松井弁護士事務所所属。黒須弁護士に依頼をして、今回の事をしっかりと。法律という公平な場で決着をつける事にしましたっ。それを言いに来たんです!」
「弁護士だと?」
「近いうちに、まずは内容証明が届くのでそちらを読んで下さい。何かあれば全て黒須弁護士まで。私や私の家族には一切近づかないで下さいっ」
「ふんっ。小賢しい。母親に弁護士などと、入れ知恵をしたのはお前だな? ワシに逆らうとはいい度胸だ。折角穏便に済ませてやると言っているのに」
一歩、じりっと私に近づく九鬼氏。
その表情は険しい。
流石に一歩。怒りより恐怖が勝り、後ろに下がってしまう。
「ふ。ふざけないで。何が穏便にですか。私はあなたみたいに、交通ルールすら守らない非常識な人。不愉快でなりません。話は以上です。失礼します」
もう、言いたいことはちゃんと言えた。これでさっさと此処を出て、黒須君と早く合流したいと思って踵を返すと。
がしっと、九鬼氏に腕を掴まれてしまった。