テラーノベル
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中身を全部出してみると、箱の中にひんやりとした空気と共に、甘い香りがわずかに残っていた。思わず、匂いを嗅ぐ。
「あれ、甘い匂い……」
思わず声が漏れる。よくある冷蔵の匂いに混じって、ほんのりとした香味のようなものが漂っている。それが甘さの主のようだった。バニラにも似て、けれどもう少し濃い。それに、そこまで甘くない。私は息を吸い込み、胸の奥までその香りを入れた。
「いい匂い。これ、何の匂いだろう? ソース? ジャム?」
私は、この臭いを知っている。知っているのに、何の匂いなのか思い出せなくて歯痒い。
ここでようやく、案内紙へ目を通した。いつもと変わらない字体で、優しい言葉が並んでいる。
『今月お届けいたしましたのは『贅沢ミートローフ』でございます』と。
「嬉しい! 絶対普段自分では買わないやつじゃん!」
私は思わず紙を胸に抱え、喜びのあまり紙をギュッと抱き潰す。
下の行には『焼き上げ用の型付きですので、初心者でも安心して作っていただけます』とある。
「型付き……ほんとに? 便利ー!」
よくよく自分で出したものを見て見ると、パック以外が型らしきものに納まっていた。それは銀色に光る小さな型で、金属の縁がつるりとしていて、照明の光を柔らかく反射している。手のひらに乗せると、保冷材の冷気を吸って、未だに冷たい。
「可愛いサイズ。これだと、二人分くらいかな? 三人分……には少ないの、かも? うーん、食べたことないからわからない……」
指で縁をなぞりながら呟く。反射した光の中に、自分の指がぼんやり映っている。
型の次に目をやったのはパックだ。
ひときわ目を引くのは、中心に置いたピンク色の挽肉ミックス。ほんの少しだけ赤が強く、光の当たり方で色が変わって見える。触れると、ひんやりとして、軟らかい。もっと硬いと思っていたのに、シャーベットのような柔らかさだった。
「わ……何か包装の上からでもしっとりしてる」
袋の上から押すと、優しい弾力が返ってきた。思わずもう一度触って確かめる。
「すごいな、これ出来上がったら、本当プロの仕上がりになりそう」
隣には、みじん切りの野菜パック。玉ねぎ、にんじん、セロリが色ごとに分かれていて、並べるだけでカラフルだ。
「彩り綺麗……忘れる前に撮っとこ」
スマホを取り出して、真上から一枚。カメラのシャッター音が小さく響く。
型の中身を取り出す。小袋がいくつか入っていて、パン粉、スパイス、塩。それから、小さな瓶がひとつ。『特製デミグラスソース』とラベルに書かれていた。
「デミグラス! 最高!」
声が弾む。瓶の底を覗くと、粘度のある濃い茶色が光を吸い込んでいる。ゆっくり傾けると、瓶の内側を薄い油膜が滑り落ちる。
「絶対美味しいやつだ、間違いない……」
キャップを開けようとして、やめた。
「まだ早いね、あとでにしよう」
キャップの縁に残ったわずかな香りが鼻に触れた気がして、私は小さくくしゃみをした。
案内紙には『お召し上がりいただくお客様の笑顔を、想像しながら作っております』と書かれていた。
「笑顔ね……うん、これ食べたら多分ニコニコしちゃうもん」
箱の底に、見慣れない包みがひとつあった。
白い紙で包まれた、小さな平たい袋。ラベルには『香味ハーブミックス』とある。
「へえ、ここのお店、ハーブ系に強いのかな? 前もついてたよね?」
角をめくって、鼻を近づける。ほんの少しのローリエと胡椒の香り。
「いい匂い」
ふと、匂いの奥に、どこか懐かしい匂いが混じった気がした。温かい木と、古いキッチンの匂い。
「……何だろ」
首を傾げてから「最近、こんなのばっかりだよね」と呟く。
それから、小さな木箱も目に付いた。マッチ箱のように引いてみると、中にはさらに小袋がふたつ入っている。
「これは……何?」
中身がわからない。だが、同じく入っていた小さなメモには『食感やアクセントがほしいときにお使いください』と書いてある。
よく見ると、それぞれ白くて小さな粒と、半透明の粒が入っている。これを入れると、食感が変わるというのか。
食材を全部テーブルに並べて、写真をもう一枚。当たり前のように『#懸賞当選』『#ミートローフ』『#手作り料理』と、SNSの下書きにタグだけ打ち込んだ。投稿はまだしない。
「焼き上がりも撮ってからのほうがいいよね。そのほうが、当選者っぽい」
手についた水滴を洗い流そうと、洗面所へ向かう。そこで見た鏡に映る自分が、いつもより少し楽しそうだった。その顔をみつめて、ふっと思う。
「前も、こんな顔してたかも」
いつのことだったか、思い出せない。
でも確か、大事な人と並んで笑っていた気がして、そのまま意識が止まる。だが、その程度だと思い直す。
「これに詰めて焼くのかぁ。楽しみ」
私は、もう一度型を持ち上げて、色々な角度から見てみた。何度見ても同じだが、普段使わないから新鮮で仕方がない。
――その瞬間、どこからか風が入って、案内紙の端がふわりと持ち上がる。紙の裏面に、細い印刷の線。いつもの番号が並んでいる。『00482181』。
読み慣れた数字を声に出す。
「ゼロ、ゼロ、ヨン、ハチ、ニ、イチ、ハチ、イチ……」
これは、私だけの数字。
そのまま一度指で型の縁を撫でる。冷たい。オーブンを軽く叩いて、温度設定を確認した。
「よし、準備万端」
部屋の中は、もう既に良い匂いで満たされている気がした。まだ、何も焼いていないのに不思議だ。
「あー、早く作りたい!」
何も焦ることなどないのに、気持ちだけが前に出る。別に、ミートローフは逃げも隠れもしないのに。
「さて……遅くならないうちに焼けるかな」
壁の時計を見て、すっかり仕事を放置していたことを思い出し、私は慌ててパソコンの前に戻る。
#コメディ
宇津Q
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コメント
1件
【みぅ🤍🥀】 ミートローフの開封だけでこんなにわくわくさせられるの、すごいなあ…!主人公の「いい匂い」の正体が気になったり、懐かしい匂いにふと立ち止まる感じ、すごく好きです。SNS用に写真撮るとこ、めっちゃリアルで笑っちゃいました。焼いてるシーン、次はどうなるんだろう…楽しみです!