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想い出を刻み込んだ柱が燃えている。壁や天井一面に広がる炎と熱は、磯海の髪を一瞬で焼きながら着衣へと燃え移っていった。
磯海は、ゆり野と過ごしたほんのひと時の幸せを手繰り寄せながら、崩壊したカウンターを抜けてキッチンへと突き進んだ。
息は止めていた。
ゆり野がいたら、抱きかかえてすぐに脱出するつもりでいた。
熱と煙で心拍数が上がる。
鼻と口を抑えている手が焼ける。
靴が溶け始める。
それでも磯海は進んだ。
しかし、ふたりで笑いあったずん胴の鍋の側にも、古びた冷蔵庫付近にも人の姿は見当たらない。
磯海は息を吸い込んだ。
視界が霞んでいく。
「良かった…」
身体が、炎の海の中へ沈んだ。
一酸化炭素、シアン化水素。塩化水素等が混じり合った有毒ガスが、磯海の若い身体を覆う。
燃え広がる炎の色が眩しく光る。
意識が消えかけた瞬間に、磯海は幻聴を聴いた。
それはゆり野でも両親でもなく、いつも聴き慣れていた湯澤絢香の声だった。
「ダメ!ほら、早く逃げるよ!」
不思議だった。
死というものは何度か想像したこともあった。
自分の生命が終いれる間際に、絢香の声を聞くとは夢にも思っていなかった。
それほど身近な存在だという事実を、この時はじめて知れた。
「ごめんな…」
磯海は燃えていった。
死のオーロラの、遥か彼方に。