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「行こうか」
男の声に、エリオットは軽く頷いた。
「……うん」
それだけ。
特別な意味なんて、ないみたいに。
***
ホテルの部屋は、やけに広かった。
昨日よりも、ずっと。
無駄に整っていて、無駄に綺麗で。
「……静かだね」
男が笑う。
「緊張してる?」
「別に」
短く返す。
エリオットは、自分でパーカーのジッパーに手をかけた。
ゆっくり、下ろす。
金具の擦れる音が、やけに耳に残る。
「素直だね」
(……別に)
どうでもいい。
何でもいい。
男が小さく笑う。
触れられる。
距離が近い。
息がかかる。
(……何やってんだろ)
頭のどこかで思う。
でも。
止める理由も、もうない。
男の指が、頬に触れる。
軽くなぞるみたいに。
「綺麗だよ」
その言葉。
一瞬だけ、動きが止まる。
「……」
綺麗。
その単語が、やけに耳に残る。
同時に――
別の声が、重なる。
――「綺麗だった」
低くて、少しだけ掠れた声。
チャンス。
「全部失いそうになってる時のやつ」
心臓が、わずかに跳ねる。
「……っ」
息が、少しだけ詰まる。
(……は)
なんで今、それ思い出すんだよ。
タイミング悪すぎるだろ。
「どうした?」
男が覗き込む。
「いや、別に」
笑う。
ちゃんと、いつも通りに。
「……そういうの、よく言われる?」
軽く流すみたいに。
「うん、まあね」
男は楽しそうに笑う。
「でも今の顔、さっきよりいい」
「……へぇ」
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適当に返す。
(違う)
心の中で、もう一人の自分が言う。
(それじゃない)
あいつが言ったのは。
そんな軽いもんじゃなくて。
もっと――
「……」
喉の奥が、少しだけ熱くなる。
男の手が、肩に回る。
距離が、詰まる。
触れられる。
でも。
「……」
何も、来ない。
あの時みたいな、ざわつきも。
引き込まれる感じも。
全部。
「……」
ただ、身体がそこにあるだけ。
(……こんなもんか)
ぼんやり思う。
「……ね」
男の声が近い。
「キスしていい?」
「……好きにすれば」
目を閉じる。
触れる。
でも――
「……」
やっぱり、何もない。
(……は)
内側が、静かすぎる。
昨日は、あんなに。
全部持っていかれそうだったのに。
「……」
ふと。
チャンスの顔が浮かぶ。
あの時。
距離を詰めてきた時。
触れた瞬間の、あの圧。
首を振る。
違う。
比べるな。
(意味ない)
もう終わったんだから。
あいつは。
自分で。
「なかったことにしろ」って。
「……」
その言葉が、じわっと広がる。
胸の奥に。
「力抜いて」
男の声。
「大丈夫」
「……うん」
適当に返す。
身体は従う。
でも。
「……」
あの夜。
触れられた時。
呼吸が乱れて。
何も考えられなくなって。
あいつの服、掴んでた。
無意識で。
「……っ」
少しだけ、眉が寄る。
「どうした?」
男が覗き込む。
「いや」
エリオットは、少しだけ笑った。
「なんでもない」
嘘。
全部、違うって分かってる。
でも。
今さら。
「……綺麗だよ」
もう一度、男が言う。
耳元で。
「壊れそうで」
「……」
その言葉に。
ほんの少しだけ。
笑いそうになる。
(それ)
違う。
全然。
「……」
目を開ける。
天井を見る。
ぼやけた光。
「……は」
小さく息が漏れる。
綺麗なんかじゃない。
今の自分は。
ただ――
空っぽなだけだ。