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◻︎幸せ?
「おはよう、ママ、朝ごはんできたよ」
トーストの焼ける匂いとコーヒーのコポコポという音と共に私を起こす旦那の声。
朝だ、起きなきゃ。
「おはよう!あのさぁ、ママって呼ぶのはどうなの?私、あんたのママじゃないんだから」
「えー、もうこれで何年もきてるから、いまさら変えるのも…」
私のエプロンをして、コーヒーをマグカップに注いでくれるのは旦那の邦夫《くにお》。
朝に弱い私に変わって、もう何年も朝ごはんの用意をしてくれてる。
「はぁー、美味しい♪コーヒーの銘柄変えた?」
「うん、よくわかったね!今日からキリマンジャロにしてみた」
「で、ママはやめようよ、もう子どももうちにはいないんだし」
長男の侑斗は、高校卒業後、自動車部品の会社に就職して独身寮に住んでいる。
車で1時間くらいのところで、月に何度かは帰ってくるけど。
「侑斗だって、中学からはママなんて呼んでないからね」
「あれ?そうだった?なんて呼んでた?ママのこと」
「だから、ママって言うな!」
おい、とか、ねぇ、とか呼ばれてて成人したくらいからは、母さんだ。
「あ、そうだ!これ」
邦夫が紙袋を出してきた。
「え?なに」
コーヒーを飲みながら受け取る。
花柄のショッピングバッグに入っていたのは、レースのブラとショーツの3セットだった。
「あー、また?」
「うん、昨日洗濯してたら洋子《ようこ》の下着がくたびれてきてたから。なかなか可愛いでしょ?」
可愛いかどうかよりも。
「あのさ、できれば、こう…肌触りのいいのがうれしいんだけど。オーガニックコットンとかの」
「えー、気に入らなかった?」
「ううん、可愛いから気に入った。でも仕事の時は、コットンがいいかな」
「わかった、次はそうするね、綿100%で可愛いの、見つけなきゃ」
まるで自分の下着のことのように、きゃぴってる邦夫を見ながら思った。
どんな顔をして私の下着を買いに行ってるんだろ?と。
「掃除はしてあるから、食器だけ片付けておいて。僕はもう仕事に行かなきゃ!」
「ほーい、行ってらっしゃい」
コーヒーを持ってリビングに移動し、朝のワイドショーを少しだけ見る。
特集は、熟年離婚だった。
定年退職したら陥りやすいという、[夫源病]の話。
うちは大丈夫かな?
家事のほとんどをやってくれるし、よそのお宅から見ればきっと、幸せな方だろう。
🎶🎶🎶
スマホのアラームが鳴った。
準備して出勤しなきゃ。
片付けは帰ってきてからにしよっと。
職場はスーパーで正社員。
食品売り場でチーフを任されている。
ここは学生アルバイトと、主婦のパートの人がほとんどだ。
「おはようございます、今日もよろしくお願いします」
簡単な朝礼のあと、本日の特売品の確認をする。
外国産の牛肉がメインということは、焼き野菜と生野菜がよく売れそうだ。
「このお肉のそばに、焼肉のタレと焼き野菜も並べてみて。ある程度材料が揃えてあると、お客さんもメニューを決めやすいと思うから」
「あ、はい、わかりました」
少しおとなしい主婦アルバイト。
青木佳苗佳苗、確か今年23才だとか。
うちの息子と年が近いのに、こちらさんは主婦だからかしっかりしている。
控えめで、声も小さく弱々しくも見えるけど、こういう子がわりとしたたかだったりすると、私は思ってる。
開店と同時にそこそこのお客さんが来て、午前中は忙しく走り回った。
13時を過ぎて、やっとお昼の休憩になる。
「お疲れ様です!」
休憩室では、午後からパートの小平未希が準備をしていた。
「おはよう!あれ?未希さん、雨降ってた?」
「今は降ってないけど?なんで?」
「いや、ほら、あなたのズボンのすそ、濡れてるから」
「あー、これ?そこの搬入口のとこに水溜りが出来てて、越えたつもりでバシャッとハマってました。思った以上に体力が老化してて自分でもびっくり!帰りは制服で帰らないと、です」
「あらら、何をやってるんだか」
「ドンくさいのはいつものことなんで。
あ、仕事いきますね」
「はい、お願いします」
見た目はボーイッシュで、仕事も早いし運動神経も良さそうなのに、たまにやらかす未希は、なんだか憎めない。
腰掛けて、おにぎりを一つだけ食べた。
朝から旦那が握ってくれてたシャケのおにぎり。
もう一つは昆布かな?私が好きだから。
「あ、お疲れ様です。小平さんが来たので、私は上がりますね」
佳苗が着替えにやってきた。
「お疲れ様、また明日もよろしく」
「えっと、あの、すみません!店長には話してあるんですが、明日はお休みさせてください」
「そうなの?」
「突然、夫のお母さんが遊びにくることになったので…」
「そっか、店長が知ってるなら大丈夫。ごゆっくりね」
「はい、すみません」
着替えを済ませて、退勤記録を付けそそくさと帰って行った。
店長に話してあるって言われても、私は聞いてないぞ。
シフトを変えないといけないのに、なんで私にも連絡しないのか?と店長に腹が立つ。
店長とチーフでは立場は下だけど、年齢は私の方が上だ。
ちょっと厳しく言っておこう。
そもそも、店長は佳苗には甘い気もするし。
…と思っていたのに、その日は店長には会わなかった。
次の日も店長はお休みで、急遽ヘルプに未希にお願いした。
次の朝。
「ごめんねー、突然のヘルプ頼んじゃって」
「あー、大丈夫。今日は朝からなにも用事なかったし」
「迷惑かけたから、これ、食べて!私のおごり」
「あっ!これは限定品のマスクメロンゼリーだ!好きなやつ!」
佳苗も店長もいないので、未希に朝から出勤してもらった。
「それにしても、店長まで休むってどうなんだろ?それをチーフにも言ってないとか。ちょっと、責任の重さをわかってない」
「でしょ?佳苗さんもさぁ、私にも言ってくれないとね、シフトで苦労するのは私なんだから」
遅めのお昼休み。
売り場はしばらく他の店員に任せて、やっと休憩できる。
休憩室のテレビは、午後のワイドショーだ。
また、夫源病についてやっていた。
「最近、この話題多いよね?定年退職した夫がずっと家にいると、そのせいで奥さんがストレスで病気になるってやつ」
「あー、でもわかる気がする。うちの旦那も友達は多い方じゃないし、家事はほとんどできないから」
「未希さんとこの旦那さんも家事はやらないの?」
「やってほしいんだけど、下手に手伝ってもらうと片付けに倍の時間がかかるから、つい自分でやっちゃう」
「やっぱりそうだよね?」
「チーフのとこも?」
「あ、ごめん、うちは違うんだけど。一般的にはそうだろうなと思って」
「違うの?家事をやってくれるの?」
「やってるというか、ほとんどやってくれる」
「ん?専業主夫じゃないよね?」
「違うよ、共働き。普通の会社員」
「なのにやってくれるの?なんで?いいなぁ?」
ゼリーを食べ終わり、テーブルをきれいにする。
「うちの場合、特殊なのかな?」
「めずらしいと思う」
「あのね…」
「なんですか?」
「私の下着も新しいのを買ってきてくれるんだけど」
「……」
「特殊だよね?」
「特殊だ、間違いなく!でも、変なデザインとか反対に旦那さん好みの奇抜なやつだったりするとか?」
「それはないかな?普通、より少しいいやつかも?」
詳しく聞きたいんだけど、と、椅子を近づける未希。
「家事って、掃除とかゴミ捨てとか?」
「どちらも。朝ごはんもちゃんと作ってくれる。晩ご飯は、私が早いと私が作るけど」
「なんですと!じゃあ、反対に、チーフはなんの家事をやってるの?」
問われて考える。
「食べた食器の片付け、だいたい自分の分だけ」
「それ以外はほとんど?」
「ほとんど。それに下着だけじゃなくて、たまに靴や傘まで新調してくれる」
「至れり尽くせりとは、チーフの旦那さんのことだ!いいなぁ。この、幸せもの!」
「幸せ?なのかなぁ?」
改まって幸せかと聞かれると、心のどこかでモヤモヤしている。
不幸だとは、絶対言えないだろうけど。
幸せ、なのかなぁ?