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教室の黒板に、白いチョークの粉が舞っていた。
蓮司は、誰もいない放課後の教室で、
いたずらっぽく笑いながら文字を書き足していく。
『エロカップル』
『加害者ごっこ』
『正義=欲望』
「よし、できた」
くるりとチョークを放ると、
蓮司は、適当に座った机の背に肘を置きながら、スマホを手に取った。
映し出されたのは、昼休みに撮られたひとつの動画。
遥が引き倒され、制服が乱れ、笑い声が飛び交う。
その画面の隅には──日下部の姿が映っていた。
何もできず、ただ立ち尽くしていた。
「“共犯者”ってさ、実際に殴んなくても、成立するんだよなぁ」
ぽつりと呟く。
そこに悪意はない。あるのは、退屈を埋める知的な愉悦だけだ。
「“正義”って看板をつけてれば、手を出さなくても、十分燃料になるし──」
すべては予定通り。
日下部は「守る」という選択肢にしがみついて、何もできない。
遥は「守られる」ことで自分を呪い続けている。
そのふたりを「歪める」だけで、クラスは勝手に動き出す。
蓮司は、それを「舞台」と呼んでいた。
──翌朝。
黒板の落書きは誰にも消されず、
上書きされたようにチョークで加えられていた。
『どっちも加害者、どっちもオモチャ』
『どっちが抱かれてる? 賭けようぜ』
遥が教室に入った瞬間、女子が声を上げた。
「てか、昨日も一緒に帰ってたんでしょ?」
「“また?”って感じ~。絶対なんかしてるよね~?」
「え、今度こそ“こっち”から始めたんじゃない?」
──“どっち”が加害者か。
“どっち”が汚してるか。
そう言われ続けるうちに、
誰も“どっちが被害者か”なんて聞かなくなった。
遥は、無言だった。
一瞬だけ、日下部の席を見たが──今日も、そこは空だった。
「都合いいよね〜、どっちも“やってる側”ってことにすればさ」
蓮司が言ったわけではない。
けれど、彼が一度笑っただけで、言葉が空気に染み込んでいく。
日下部が、登校してきたのは昼休みの後だった。
その瞬間、クラスにざわりとした波が立つ。
「やば、タイミング〜」
「ねえ、今日も“セット”?」
「どっちが犯人でどっちが被害者か、聞いてみようよ〜」
そう囁かれたとき、
日下部は、遥の方を見なかった。見られなかった。
ただ、自分の机に座り、視線を落とした。
机の中には、誰かが押し込んだ丸めた紙。
そこにはこう書かれていた。
『お前もヤッたんだろ? 正義って言い訳してさ』
握りつぶす指が、震えた。
──誰にも見せなかったが、遥は、その拳の震えを、知っていた。
知っていたのに、声をかけられなかった。
(ちがう、ちがうんだ……)
遥もまた、自分の机に書かれた文字を見つめていた。
『共犯者』
誰も、殴ってこない。
けれど、視線と囁きが、傷口を開き続けていく。
それでも、ふたりは黙っていた。
蓮司の声が、昼のざわめきの中でふと聞こえた気がした。
「ほら、見ろよ──
“守った”のに、“壊れた”だろ?」
その言葉が、脳の奥にこびりついて離れなかった。
遥も、日下部も、気づいていた。
自分が“罰”になる。
近づくほど、互いを壊していく。
なのに──離れられない。
(……オレが、壊したんだ)
(……オレが、守ろうとしたから)
同じような自責の念が、
別々の胸の奥で、ひとつずつ、息を詰まらせていく。
誰にも届かないその静かな「共犯」が、
静かに、教室の空気に染み込んでいった。