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ども、僕は氷花。
これから今までに僕の身に起こった出来事を話していくね。
身バレしませんように、、、。
僕は、生まれたときから上の兄弟がいた。
とても面倒見が良く、優しかった。
その頃はとても仲が良く、両親共穏やかだった。
わからない、今思うとそう感じていただけだったかもしれない。
僕が幼稚園に通い始めた頃、4歳差の下の兄弟が生まれた。
その頃僕はとてもその子をかわいがった。
うちには猫がいた。
上の兄弟が拾った猫。
そして、新しく引き取った猫。
それらは、とても仲が悪かった。
僕は、幼稚園ではたいてい先生といた。
友達は多かったほうだと思っているが、ただ喋る程度。
先生に引っ付いて手伝っている方がよっぽど褒められた。
僕は地元の小学校に入学した。
それからまもなく、クラスの男の子によくものを取られるようになった。
そいつは足が速く、教室と廊下を逃げ回る。
もちろん追いつけない。
こういう時こそ怖い先生の出番。
僕はたくさんの習い事をしていた。
ピアノ、ダンス、塾的なもの、英会話。
正直、そのときは乗り気じゃないものが多かった。
習い事の先生は苦手な人も多く、苦痛だった。
2年生になった。
幼稚園の頃よく仲良くしていた子とクラスが一緒になった。
ものを取ってくる男の子がいたのでその存在はとても助かった。
ただ、学級内に問題児が集結してた。
毎日のように喧嘩が勃発。
それも苦痛だった。
私は、ピアノを辞めた。
練習がめんどくさかった。
当時はまだ手が小さく思いのままに弾けないので不満を持ったのだろう。
親にも起こられるのが嫌だったので素直にやめた。
3年生になった。
この頃からだ。男の子からのいじめがひどくなったのは、、。
一番心が傷つけられたのは、声のことでいじめられたからだ。
「声が変。」、「よく変わる声キモい。」
そんな言葉何千と聞いた。
僕は、3人兄弟の真ん中の子。頼るのが苦手とも言われるポジションである。
本当に誰にも言わずに一人で抱え込むだけだった。
この年令になってまで僕がそんな事言われてたら、きっと失声症にでもなっていただろう。
家では、上の兄弟と母親の喧嘩がよく聞こえるようになっていた。
幸い、僕には一人部屋があった。
避難はできていた。
だが、隣の部屋から漏れてくる罵声は僕の耳にまで届いた。
4年生になった。
前とは別の幼稚園の友達と一緒になった。
このときは一番いじめが少なかった気がする。
友達とも思い出が多いような、、、。
上の兄弟が良く怒られるようになっていた。
一度、夜に暗い中一人庭に放り出されていたのを見た。
それに恐怖を覚えた。
なぜ、母親がそんなことをするのかわからなかった。
ただ、自分がそうならないように必死になっていた。
5年生になった。
また友達と一緒になった。
とても喜んでいた、、はずだった。
僕は、男子から机と椅子の背もたれに手を思いっきり挟まれたり
アルコールを目にめがけて吹きかけられたり
他にも殴りかかられることもあった。
涙も我慢しづらくなっていた。
だが、4年生から習い始めた空手は、それに対抗できた。
精神を鍛えることも同時に行っていけた。
遠くの学校を受験したいと思い、勉強に専念した。
もともと外でそんなに遊んだことの無い私にはどうってことなかった。
ただ、母親からビシビシと伝わってくる期待は僕のその心を邪魔した。
6年生になった。
仲いい友達がたくさんいて、あたりかと思っていた。
だが、僕が空手を習っていることを知っていたり、クラスでトップの成績を持っていたりした僕は
クラスの人達からしたらいじりやすい大きな的だったのだろう。
いつか先生がいった良くないあだ名。
すぐさまクラス中に浸透していった。
それから、ほんとに仲のいい友達以外には自分の名前で呼ばれることはなくなった。
それは卒業までずっと続いた。
とても苦しかった。
いよいよ受験。模試ではずっとA判定。
合格すると思っていた。
だが、第一志望校には受からなかった。
二次試験ではじき出されたのだ。
中学生。
楽しみだった学校。
知り合いも数少ないがいた。
新しい友だちをすぐさまつくり、その中でとても気の合う子を見つけた。
すぐに連絡先も交換した。
その子とはいつも仲良かった。
だが、別の子とは気が合わなかった。
というよりかは、嫌われていた。
僕が何をしたか?そんなの何もしていない。
今まで関わりを持つこともできない人になにかできるか?そんなわけない
ただ、あの子からは異様に嫌われていた。
いつも逆の意見を引っ張ってきて
絶対に敵対視してくる。
僕にそんなつもりはないのに。
ただ、僕の友達を取ってくるのはとても気に入らなかった。
このような生活を送ってきた僕。
いじめや友人関係、家族のことなどで勝手に自分を追い込んだ。
そして、ついに耐えきれなくなった。
それまでもずっと寝付けるまでネットに逃げていたこともあった。
それだけでは足りなかった。精神が安定しなかった。
書いていなかったが、
僕は6年生のときに一度倒れている。
しかも僕の誕生日にだ。
家族には何も気づかれなかった。
ただ、変なところで寝ているだけ、、そう思われたらしい。
それから僕は自分の身体に異変を感じていた。
起きた時、異様に頭が重く、ふらつき、気持ち悪くなる。
こんなことが続いた。
だが、誰にも言わずにただ過ごしていた。
そして、また倒れた。
しかも、親の目の前でだ。
ちょうど親が部屋を訪ねてきて、ドアの前で話そうとしていたその時。
強烈な吐き気と立ち眩み、そして頭痛がおそった。
その後、数分の記憶がない。
母親は心配はしてくれていたが、その日少しするともう何もなかったかのように振る舞っていた。
僕は、ベッドから起き上がり部屋を出る前に、いつも起こる立ち眩みの原因が知りたかった。
だが、兄が少し前に手術したことを思い出し、迷惑はかけたくないなと思い、ネットで検索してみた。
幸い、すぐにヒットした。
僕の症状に当てはまるのは、『起立性調節障害』。
僕の学年くらでおおい障害だ。
どうしたら治るのか知りたいが、病院はめんどくさい。
学校からの奨学金が停止されることがあったらすごくいやだ。
だから、黙っている。
精神の方に関しては、もちろん病んでいる。
これはしょうがないと思う。
人に頼らない性格なのでどうしてもこうなる。
だが、中学校でつくった親友にだけは全てを明かしている。
それだけでもココロがとても楽だ。
だが、どんどん精神は追い詰められていると理解してる。
これから、どうしようか、、。
だが、そんな僕でも無邪気に笑える場所がある。
それが推しだ。
推しというのは僕に元気を与えてくれる存在だ。
一番悩んでいた時期に出会えた推しは僕を救ってくれた。
推しのお陰で生きていると言っても過言では無い。
僕は今までにどうやって死のうか、このまちのどこだったらできるかななどよく考えていた。
そんなことがいまはほとんどない。
逆にお金を稼ぐ方法を探すくらいだ。
生きようと僕は足掻く。
だが、今まで経験してきたことから僕の人生はだいたい想像がついている。
どういう人がよってくるかとかは特に
だけど、僕が幸せになれない、なんてことは無いはずだ。
僕だって一生懸命に最後まで足掻く。
本当にやりたいことをもしできるならそれが幸せなんだろう。
僕にはそれを実行する力は今はない。
それを蓄えるため、それまで頑張って足掻く。
それが今僕が生きている意味、であり価値。
君にもそれを自分のなかに持っている?
自分で見つけることができないなら、
他の人に相談しづらいなら、
=ーーーーーーーーーーーーーーーーー=
以上で僕のストーリー完結。
どうだった?
結構めちゃくちゃな人生歩んでるけど、しっかり生きてる。
僕は幸せになれない人なんていないと思ってる。
友達や親などの身近な人に頼るのもいいけど、
推しを見てたらヒントをくれるかもよ?
次からは、BL小説書いていきます。