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50
次の日。
阿部は、朝から新しいノートを眺めていた。
昨日書いた最後の一行。
『昔の俺も、今の俺も、全部連れて帰る。』
読み返すと。
少しだけ不思議な気持ちになる。
帰る。
以前は、その言葉を考えるだけで怖かった。
今も怖くないわけではない。
それでも。
前とは違った。
帰った先に。
やりたいことがある。
会いたい人たちも。
一緒にいたい人もいる。
「……あとは」
阿部が呟く。
隣でコーヒーを飲んでいた目黒が顔を上げた。
「何?」
「みんな」
「うん?」
阿部はノートを閉じる。
「まだ何かあるのかなって」
目黒は。
少しだけ眉を下げた。
「あべちゃん」
「何?」
「もう探さなくていいんじゃない?」
阿部が瞬く。
「でも」
「館さんも翔太くんも、ふっかさんも岩本くんも」
目黒は指を折るように続ける。
「ラウールも康二も、佐久間くんも」
「……うん」
「みんな、自分で話したでしょ」
阿部は黙った。
確かに。
それぞれ形は違ったけれど。
みんな。
自分の傷を言葉にした。
「まだ何か隠してるかもしれないじゃん」
「あるかもしれないよ」
目黒は否定しなかった。
「俺だって、全部話せたかって言われたら分かんないし」
「……」
「でも、それをあべちゃんが見つける必要はないでしょ」
阿部は。
少しだけ俯く。
目黒が、その手を取った。
「話したくなったら話す」
「うん」
「話したくないなら、そのまま一緒にいる」
「うん」
「それでいいと思う」
阿部は。
しばらく考えてから。
小さく息を吐いた。
「俺、また治す係になってた?」
「ちょっとだけ」
「気をつけてたのに」
「気をつけてても、あべちゃんだから」
「それ褒めてないよね」
「半分くらいは」
阿部が睨むと。
目黒が笑った。
「じゃあ今日は」
「うん?」
「何もしない日にしよう」
「何もしない?」
「誰の傷も聞かない」
「うん」
「帰ることも考えない」
「うん」
「ただ遊ぶ」
阿部は。
少し考えてから笑った。
「それ、いいかも」
昼を過ぎる頃。
広くなった部屋には、いつものように人が増え始めた。
最初に来たのはラウール。
その次が康二。
少し遅れて深澤と岩本。
宮舘と渡辺。
最後に佐久間。
気づけば。
魔王ソファは、いつもの九人で埋まっていた。
「ねえ」
阿部が言う。
「今日、何する?」
佐久間がすぐ手を上げる。
「アニメ!」
渡辺が嫌そうな顔をする。
「俺分かんないからやだ」
「じゃあゲーム!」
深澤が言う。
ラウールが冷蔵庫を開けながら。
「その前に何か食べたい」
「また食べるの?」
渡辺が見る。
「お昼軽かったから」
「知らないよ」
宮舘は。
もう立ち上がっていた。
「何か作ろうか」
阿部が笑う。
「館さん、本当にすぐキッチン行くね」
「駄目?」
「駄目じゃないけど」
康二がカメラを構える。
「今日何もせえへん日ちゃうん?」
「そうだよ」
「館、料理しとるで」
阿部は少し考える。
「館さんにとってはこれが何もしないなんじゃない?」
宮舘が振り返る。
「そうかもね」
「ほら」
「じゃあ俺も写真撮るんが何もしないや」
「それは違う気がする」
康二が笑う。
結局。
宮舘が簡単なものを作って。
みんなで食べて。
ゲームをした。
佐久間とラウールが本気になり。
深澤が途中からルールを理解していないことが発覚し。
渡辺がそれにキレる。
「ふっか、ずっと何してたの?」
「雰囲気で!」
「雰囲気で勝てるゲームじゃないから!」
「でも今三位だよ?」
「なんでだよ!」
みんなが笑う。
岩本は。
そんな深澤を見ながら。
ただ笑っていた。
以前なら。
深澤が場を回す側だった。
今日は。
何も考えずに遊んでいる。
負ければ悔しがる。
勝てば喜ぶ。
途中で疲れたと言って。
岩本の肩にもたれる。
それを見ても。
誰も何も言わない。
阿部は。
少しだけ嬉しくなった。
ふっかが何もしなくても。
九人は九人だった。
夕方になると。
ゲームに飽きたラウールが。
魔王ソファの一番広いところを占領した。
「ラウ場所取りすぎ」
阿部が言う。
「足長いからしょうがない」
「それ理由になる?」
渡辺も。
宮舘の隣で完全にくつろいでいる。
「翔太、最初このソファ嫌いって言ってなかった?」
佐久間が言う。
渡辺は目を閉じたまま答える。
「見た目は今も嫌い」
「でも毎回同じ場所座ってるよ」
「ここが一番楽なの」
宮舘が笑う。
「気に入ってるね」
「うるさい」
その反対側では。
深澤が岩本にもたれて。
康二は床に座ってカメラの写真を確認している。
佐久間は阿部の横。
目黒は。
いつの間にか阿部の手を握っていた。
阿部は。
部屋を見回す。
「……なんか」
「何?」
目黒が聞く。
「ここ」
もう一度見る。
「俺とめめの家じゃなくなってきたね」
深澤が笑う。
「遅くない?」
「最初から溜まり場じゃん」
佐久間も言う。
目黒は。
少し不満そうな顔をする。
「俺は二人の家のつもりだったけど」
阿部が笑う。
「でも嬉しそうじゃん」
「それとこれは別」
「九人いるの嫌?」
目黒は。
部屋を見る。
少し考えて。
「嫌じゃない」
「ほら」
「でも夜は帰ってほしい」
渡辺がすぐ言う。
「誰も泊まんないよ」
「佐久間は泊まりそう」
「なんで俺!?」
また笑い声が広がった。
少しして。
ラウールが突然言った。
「ねえ」
「何?」
「現実に帰ったら、何したい?」
その言葉に。
一瞬だけ。
みんなが静かになった。
以前なら。
重くなっていたかもしれない。
でも。
今日は違った。
佐久間が。
一番に手を上げる。
「イベント!」
阿部が笑う。
「分かってる」
「絶対行くからね!」
「約束したでしょ」
康二も。
「俺は写真撮りたい」
「また?」
阿部が見る。
「またや」
康二が笑う。
「今度は現実で、九人でいっぱい撮る」
「うん」
宮舘は。
少し考えてから。
「俺は阿部にご飯作る」
「何作る?」
「それは阿部が決めて」
温泉で交わした約束。
阿部は。
すぐに頷く。
「じゃあ起きて食べられるようになったら考える」
「うん」
渡辺は。
隣から口を挟む。
「俺はそれちゃんと食べたか確認する」
「二回?」
「三回でも聞く」
「増えてるじゃん」
ラウールが笑う。
「俺はまた勉強とか仕事教えてほしい」
「いいよ」
「でも、無理な時は?」
阿部は少しだけ笑った。
「無理って言う」
「よし」
ラウールも満足そうに笑う。
深澤は。
考えながら。
「温泉かな」
「また行くの?」
「今度は本物」
「あれも結構本物っぽかったけど」
「トイレから行かないやつ」
阿部が吹き出す。
「それ大事」
岩本は。
「九人で踊りたい」
と答えた。
「この前みたいにぐちゃぐちゃじゃなくて」
「ちゃんと?」
阿部が聞く。
「ちゃんと」
「じゃあ練習しないと」
「する?」
「する」
そして。
みんなの視線が。
最後に目黒へ向く。
「蓮は?」
佐久間が聞く。
目黒は。
少しだけ考えた。
それから。
阿部を見る。
「普通に家に帰りたい」
阿部が瞬く。
「家?」
「うん」
「病院出て」
「一緒に家帰って」
「ご飯食べて」
「寝て」
「朝起きたい」
派手なことは何もない。
でも。
阿部には。
その願いが一番目黒らしく思えた。
「……うん」
阿部が笑う。
「帰ろうね」
目黒も。
静かに笑った。
「で、あべちゃんは?」
佐久間に聞かれる。
「俺?」
「そう」
「帰ったら何したい?」
阿部は。
みんなを見る。
イベント。
写真。
ご飯。
勉強。
温泉。
ダンス。
目黒との普通の生活。
考えれば。
もうたくさんあった。
阿部は。
少しだけ笑う。
「全部」
「全部?」
「うん」
一人ずつ見る。
「全部やりたい」
康二が。
嬉しそうに笑う。
「忙しいで」
「いいよ」
阿部は。
迷わず答えた。
「忙しくても」
少しだけ間を置く。
「みんなとやりたい」
誰も。
大げさには反応しなかった。
ただ。
それぞれが。
少しだけ笑った。
以前。
全部から逃げたかった自分が。
今は。
やりたいことを増やしている。
一人で生きたいと思った自分が。
今は。
九人でいる未来を。
当たり前のように話している。
阿部は。
魔王ソファに座る八人を見ながら思った。
もう。
誰かの傷を探さなくてもいい。
治ったわけではない。
忘れたわけでもない。
それでも。
こうして。
一緒に笑える。
それで。
少しずつ。
帰る準備になっているのかもしれなかった。
その日の夜。
みんなが帰ったあと。
部屋は。
急に静かになった。
少し前まで。
佐久間の声。
康二の笑い声。
翔太とふっかの言い合い。
ラウールが何か食べたいと言う声。
いろんな音が。
この部屋に溢れていた。
阿部は。
魔王ソファに座って。
新しいノートを開いた。
目黒は。
隣で静かに飲み物を飲んでいる。
「何書くの?」
「今日のこと」
阿部は。
少し考えて。
ペンを動かした。
『帰ったらやりたいこと。』
その下に。
一つずつ書いていく。
『佐久間とイベントに行く。』
『康二に写真を撮ってもらう。』
『館さんのご飯を食べる。』
そこで。
少し笑った。
『翔太にちゃんと食べたって報告する。』
隣で目黒が。
「報告なんだ」
と言う。
「絶対聞かれるから」
「二回?」
「多分三回」
二人で笑う。
阿部は。
続きを書いた。
『ラウに勉強を教える。』
『ふっかと温泉に行く。』
『照と九人で踊る。』
少しだけ。
手が止まる。
それから。
『めめと家に帰る。』
目黒が。
その一行を見る。
「そこ最後?」
「まだある」
阿部は。
もう一度ペンを持つ。
そして。
少し考えてから。
一番下に。
ゆっくり書いた。
『九人で生きる。』
書き終えて。
阿部は。
しばらくその文字を見ていた。
目黒も。
何も言わない。
ただ。
隣にいる。
「……いっぱいあるね」
阿部が言う。
「うん」
「帰ったらやりたいこと」
「前よりずっと増えた」
阿部は。
少し笑った。
「夢の中でも増えたし」
「うん」
「帰ってからも増やしたい」
目黒が。
阿部の手に触れる。
「増やそう」
「うん」
しばらくして。
阿部は。
ふと立ち上がった。
「どうしたの?」
「ちょっと待って」
寝室へ向かう。
少しして。
手に持って戻ってきたのは。
古い日記だった。
目黒の表情が。
少しだけ変わる。
阿部は。
新しいノートの隣に。
古い日記を置いた。
二冊。
並べる。
片方は。
夢に来る前の自分。
片方は。
夢に来てからの自分。
阿部は。
古い日記を開いた。
破られたページ。
残っている文字。
『しばらく一人で生きたい。』
その言葉を。
じっと見る。
記憶は。
もう戻っている。
だから。
その前後に。
何を書いていたのかも。
今は分かる。
『全部忘れたい。』
『誰にも会いたくない。』
『仕事も行きたくない。』
『もうアイドルなんてやりたくない。』
『しばらく一人で生きたい。』
阿部は。
目を伏せた。
「あの時」
小さく言う。
「本当にそう思ってた」
目黒は。
何も否定しない。
「うん」
「全部嫌だった」
「うん」
「誰にも会いたくなかった」
「うん」
「めめのことも」
少しだけ。
言葉が止まる。
「嫌いじゃなかったのに」
目黒を見る。
「一緒にいられなかった」
「分かってる」
目黒は。
静かに答えた。
阿部は。
もう一度。
古い日記を見る。
それから。
隣の新しいノートへ視線を移した。
『帰ったら、九人でまた歌いたい。』
『怖くないわけじゃない。でも、やりたい。』
『昔の俺も、今の俺も、全部連れて帰る。』
そして。
今日書いた。
『九人で生きる。』
二冊を。
何度か見比べる。
「……全然違うね」
目黒が。
「うん」
と答える。
阿部は。
少しだけ笑った。
「願い」
「変わったね」
その言葉を口にした瞬間。
胸の奥が。
少しだけ温かくなる。
忘れたかった。
一人になりたかった。
全部から逃げたかった。
あの頃の自分を。
否定するつもりはなかった。
あの時は。
それしか思えなかった。
それくらい。
苦しかった。
でも。
今は。
違う。
阿部は。
新しいノートに手を置く。
「全部忘れたいとは」
少し考える。
「もう思わない」
目黒が。
静かに阿部を見る。
「怖いことも覚えてるし」
「うん」
「嫌だったことも」
「うん」
「思い出すと今でもしんどい」
「うん」
「でも」
阿部は。
新しいノートを見た。
「楽しかったことも」
「みんなといたことも」
「全部同じ俺の記憶なんだよね」
目黒が。
ゆっくり頷く。
「うん」
「だったら」
阿部は。
古い日記を閉じた。
「もう消さなくていいかな」
目黒の表情が。
少しだけ揺れる。
阿部は。
その隣で。
新しいノートも閉じた。
でも。
二冊は。
そのまま並べて置いた。
過去の自分と。
今の自分。
どちらかを捨てる必要はない。
「俺」
阿部が言う。
「一人で生きたいとも思ってない」
「うん」
「アイドルも」
少しだけ迷う。
「怖いけど」
目黒を見る。
「またやりたい」
目黒は。
何も急かさず。
ただ。
小さく笑った。
阿部も。
少し笑う。
古い願いが。
間違っていたわけではない。
あの時の自分には。
必要だった願い。
でも。
今の自分は。
もう。
違う願いを持っていた。
一人ではなく。
九人で。
忘れるのではなく。
全部抱えて。
その先へ。
生きたいと思っていた。
#❤️💙
みら

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コメント
1件
第50話、読んだよ〜!! めっちゃ温かい回だった…。阿部くんが「治す係」って自覚してるところとか、それに対して目黒が「半分くらいは褒めてる」って返すの、二人の空気感がすごく良かった。 最後の二冊のノートを並べるシーン、じんわり来た。過去も今も全部抱えて生きていくって決めた阿部くん、本当に強くなったね。 九人でいるのが当たり前になってる光景、こっちまでほっこりしたわ。読み終えて、なんだか優しい気持ちになれた。ありがとう!