テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「はぁ…っ、ッ、く…はッはぁッ、っ急がなきゃ…」
あちこちを駆け回ったために、大きく収縮を繰り返す心臓がズキズキと軋む。
この痛みは、激しく動かし続けている脚と、足りない酸素のせいだろうか。
それともまた別のーー。
それは、ふとした瞬間に感じた、ほんの小さな異変から始まった。
いつの間にか、黄色いタグのついたティーバッグの残りが少なくなっていたことに気付き、その翌日の仕事帰りにスーパーへ寄った。
隅の方にあったとしても目を引くほどのパキッとした明るさのあのパッケージが、その日は陳列棚のどこにも見当たらなかった。
一時的に売り切れてしまっていることもあるかと思い、その時は特に気にも留めずに次の入荷を待つことにした。
しかし、更にその翌日にもう一度見てみても、その翌週以降も、何度確認してもその紅茶は売っていなかった。
店を変えようと、薬局や大きめのショッピングセンターへ行ってみても、どこにも見当たらない。
そんなに人気がある商品なのか、とあの日自分が、あの紅茶に出会えた奇跡のようなものを感じはしたが、それでも「何かがおかしい」と思う気持ちは拭いきれなかった。
かくなる上はと、普段はあまり使用しないようにしている通販サイトでも探してみようと思い立った。
一度スイッチが入ると歯止めが効かなくなる、という自身のお金の使い方の癖を分かっているので、ちゃんとお店まで足を運んで、現金を使う、ということを日々意識しているが、時には通販に頼ることもある。
数ある商品の中から良いものをじっくり選ぶことができるし、値段の比較も楽にできる。
唯一怖いところがあるとすれば、お金を使っているという感覚が鈍るので、その点は俺との相性が悪いような気がして、普段は使用を控えているのだ。
よって、スマホには通販系のアプリを入れていない。
何かをネットで購入したいときは、ウェブから検索をしてサイトのページに飛ぶようにしている。
そしてその時、俺は、今のこの状況が自分で思っている以上に、深刻であったことを思い知らされた。
検索したい単語を画面上部の丸みを帯びたバーに打ち込んでいくと、優秀な機械は検索内容の予測と、アクセスの多いキーワードを自動的に表示してくれる。
英字モードで正確な商品名を打ち込んだところで、パッと映し出された文字が目に飛び込んでくる。
俺は名称の後ろに続いた単語を読んだ後、すぐに絶句した。
「廃盤……?!」
その情報は嘘か誠か。
どちらであるかを判別することは、検索ワードを見ただけでは難しい。
真偽の程が気になって仕方がない。
通販サイトの波に乗ることなどすっかり忘れて、俺はその衝撃的な文字の羅列をタップした。
アクセスの多い順番に並べられた記事のタイトルを、上から順繰りに読んでいく。
どのネットニュースにも、その商品が廃盤になることが決定した、という内容ばかりが書かれていて、これがガセでは無いということを飲み込まざるを得ないのだと理解した。
「廃盤を受けて、各地でこの商品を購入する消費者が急増するだろう」
という文言によってどのニュースも記事が締め括られていたことで、どれだけ探してもあの黄色に会えなかった理由に、ようやく合点がいった。
ここまでが昨日の出来事である。
あらかたのニュースを頭に入れてから、あべちゃんに相談をしようとしたところで、ちょうどよく彼の あくびが聞こえた。
あべちゃんは先程まで、ツナとシャチにもたれかかって昼寝をしていた。
あべちゃんはむくっと起き上がり、眠そうに目を擦ったかと思うと、何かを感じ取っていきなり背筋をピンと伸ばした。
「あ、あべちゃんおはよ、どしたの…?」
「…俺があと少し」
「え?」
「佐久間、もうすぐお別れかも」
そう言って寂しそうに笑うあべちゃんの花は、萎れかけているように見えた。
「やっぱり廃盤になっちゃうから…?」
俺はあべちゃんの「お別れ」の意味をちゃんと知りたくて、変にぼかさず直球で問い掛けた。
あべちゃんは俯いて床をじっと見つめたまま、ぽつり、ぽつり、と答えてくれた。
「佐久間、初めて会った時に俺が言ったこと覚えてる?「この世の全てには気持ちがある」って」
「うん、覚えてるよ」
「俺たちは、いつだって一方的なんだって」
「どういうこと?」
「ホコリさんが教えてくれたんだ。「物」に宿る気持ちも言葉も人間には聞こえない。だから、俺たちがどんなにその人のことを好きでも、飽きられたり、邪魔に感じられたり、無くなってしまったりすれば、いつかは消えてしまう」
「え…それって」
何かの大きな都合があって、あのメーカーは、もう商品を作らなくなる。
そんなのは、この世界にごまんと転がっているような、よくある話だ。
人気が出なかったから、売り上げが見込めないから、会社の意向があるから。
そんな、ありふれた理由で消えていくものがある。
今までなら、日常の中に埋もれていくような小さな出来事にしか感じなかっただっただろう。
しかし、俺はこの時、初めて失いかけているものの大きさを感じて、抱えきれないほどの悲しみと寂しさを突きつけられたような気持ちになった。
「だから俺、もうすぐ消えちゃうと思う」
覚悟を決めているかのようなその声と、今にも泣き出してしまいそうなその瞳に、なんと声をかけたら良いのだろうか。
一つだけ。
ただ一つだけ。
俺の中に確かにある聞きたいこと、今はそれしか投げかけてあげられそうになかった。
「…いつまで?」
「ん?」
「あとどのくらい一緒にいられるの?」
苦しい。
喉と鼻が、燃えるように熱くて、セメントのようなものに堰き止められているかのようで、息が詰まる。
何かを言うたびに強まる閉塞感のせいで、肺が壊れてしまいそうな気がした。
あべちゃんは、ゆっくりと目を閉じてから言った。
「あと三十個。ここから少し離れた場所に、あとそれだけ」
「っ、それどこにあるの!?あべちゃんどこにあるかわかる!?」
「うん、わかるよ」
「行かなきゃ…あべちゃん、一緒に来て欲しい」
「ありがとう。そんな風に思ってくれて。すごく嬉しいよ」
「ちょっと待ってて!財布取ってくるから!」
ショルダーバッグに財布とスマホだけを突っ込んで、あべちゃんには胸ポケットに入ってもらって、勢いよく外へ飛び出した。
「道案内よろしくね、あべちゃん」
「うん、そんなに慌てなくても大丈夫だよ。そこを右に曲がって」
「わかった!揺れると思うけど、落ちないでね!!」
「大丈夫だよ。これが最後のおでかけになるかもね」
「そんな寂しいこと言わないで…っ…!」
脚力には全く持って自信が無いが、それでも一分でも一秒でも早く辿り着きたかった。
一緒にいられる時間がもう残り少ないのなら、それをちゃんと指折り数えたかった。
いつまでなのか分からない。
なんて、そんな曖昧なカウントダウンはごめんだった。
あべちゃんとのお別れまでを、明確に目で見て認識できることは、それはそれで寂しさが増すだろう。
それでも、それでもだ。
「誰か」じゃなくて、俺がよかった。
最後に残った「あべちゃん」を、他の誰にも連れて帰って欲しくなかった。
諦めるように終焉をただ待っているようなあべちゃんの言葉に、また息が苦しくなる。
こんなに息が詰まるのは、心臓が痛いのは、きっと、走っているせいだけじゃない。
寂しいから、まだ一緒にいたいと思うからだ。
溢れた息をぐっと飲み込んだ時に固く閉じた瞼が、やけに水気を帯びていて冷たかった。
あべちゃんのナビに従って辿り着いたスーパーは、隣町にあるものだった。
初めて入る店内は、何がどこにあるのかを把握するのに時間がかかる。
逸る気持ちをなんとか押し込めて、天井からぶら下がっている商品カテゴリーのプレートに目を凝らしていく。
「17. お茶」と書かれた板を見つけると、俺は早足でその商品棚の列まで向かった。
あの鮮やかで、見るだけで元気になれそうな黄色いパッケージは他の商品も所狭しと並ぶ中で、一際目立っていた。
「あった……っ、ッあった…!やっと見つけた!」
「ふふ、佐久間、ここお店の中だから、そんなに大きな声出したらみんなに見られちゃうよ?」
「だって、嬉しいんだもんっ、どこ行っても無かったから…っ」
商品が残っていたことに、こんなに嬉しさを感じたのは初めてだった。
同時に、望みの薄かったもの、自分が大切だと思うものを手に取れることに、限りないほどの感謝の気持ちを抱いたのも初めてだった。
俺はたった一つ残っているその袋を手に取り、急いで会計を済ませた。
エコバッグを忘れてしまったので、剥き出しのまま商品を手に掴んで家路を歩いた。
道すがら、よくよくパッケージに書いてある様々な文字を読んだ。
商品情報の枠内に、「25袋」と書かれていたのを、ふと見つけた。
この表示に俺はわずかに首を傾げて、あべちゃんへ問い掛けた。
「あべちゃん、二十五袋入りって書いてあるよ。さっき三十って言ってなかった?」
「うん、あと三十だよ」
「んにゃ??」
「あと五つは、佐久間のお家にあるよ」
「そっか…っ」
どうやら最後の三十袋は、全て俺が手にしたようだ。
この封を開けずにずっと持っていれば、いつまでもあべちゃんと一緒にいられるのではないかと思ったが、そんな俺の思惑を見透かしたように、あべちゃんは言った。
「賞味期限切れちゃうと美味しさが十分に抽出されないから、早めに飲んでね」
その日から、俺は毎日あべちゃんと紅茶を飲んだ。
どこに行くにも、あべちゃんと一緒に出かけた。
仕事の日も、休みの日も、どんな時も。
あべちゃんは最後まで渋っていたが、一緒にお風呂にも入った。
あべちゃんがお湯に浸かるまでは絶対に目を開けない、という条件付きで。
お別れしなければいけない、という悲しみに目が向いてばかりだった俺に、あべちゃんが言ってくれたのだ。
「いつになるか分からない「さよなら」が一番寂しくて、苦しくて、痛いと思うんだ」 と。
その言葉を聞いた俺は、確かにそうだと思った。
あべちゃんと迎える最後の日を、俺もあべちゃんも、ちゃんと分かっている。
日毎減っていくティーバッグを思うと、お湯を沸かすことすら怖かったのだ。
電気ケトルに埃を被らせようとしていた俺に、あべちゃんは優しい声でそう言ってくれた。
「一緒にいられるこの時間を目一杯大切にして、あと少しで訪れるであろう別れの日を、最後の最後まで笑い合って過ごそう。」
そう二人で約束をした。
その時に俺の小指を掴んだあべちゃんの小さな手は、ぷるぷると震えていて、瞬間、大きな声で泣き出してしまいたくなった。
そうできなかったのは、あべちゃんも耐えていたから。
必死に、声を上げないように堪えていたから。
消えたくないという気持ち、俺と離れたくないと思ってくれている、あべちゃんのその全ての気持ちに水を差すようなことはしたく無かった。
そして、無慈悲にもこの日は訪れた。
今日は、あべちゃんとのお別れの日。
永遠なんてものがあるのなら、誰か分けて欲しかった。
でも、そんなものはどこにも無い。
約束はしたけれど、それでもやっぱり、どうしようもなく寂しくて。
もう少し一緒にいられたらと足掻くたびに悔しくて。
最後はちゃんと笑えるかな、と想像するたび視界が滲んだ。
一つ一つ、ゆっくりとした動作で手を動かしていく。
左肩に乗った小さな息吹は、静かに俺を見守ってくれていた。
教えてもらったことを反芻しながら、カップにお湯を注いで温める。
思い出を閉じ込めるように、最後のティーバッグを入れたカップに蓋をする。
トレーに全てを乗せて、一歩一歩、リビングまで足を進めていく。
小さなテーブルにそっとカップを置いて、腰を下ろす。
蒸らし終わったであろう頃を見計らって蓋を外すと、そこに付いた水滴がポタポタと天板を濡らした。
それはなんだか、俺たちの代わりに泣いてくれているように見えた。
あべちゃんの背中から出てきたティーカップに、スプーン一杯分のガーネットをお裾分けして、カチンと陶器をぶつけ合った。
紅茶で乾杯するなんて後にも先にもこの日が最後だろうな、なんて、そんなくだらないことを一生懸命考え続けた。
「おいしいね」
「うん、佐久間の淹れ方、とっても上手になったね」
「ほんと?嬉しい」
「これなら、俺がいなくても…」
「あーべーちゃん?そういうのは無しって言ったでしょ?」
「ふふ、ごめんごめん。つい」
「昨日買ってきたマドレーヌ食べよう?」
「俺、チョコ味がいい」
「おっけ、待ってね。半分でいい?」
「うん、大丈夫。持てる」
「おいしい?」
「うんっ、おいしい…っ、でも、このチョコ味、ちょっとしょっぱい」
「プレーンもしょっぱいかも…っ」
「ぁははっ、塩が入ってるのかな…ッ、」
わざとらし過ぎて、面白いくらいだった。
「笑っていたい」
その気持ちだけが、今の俺たちを突き動かしている。
でもそれは意思だけのことで、俺もあべちゃんも、何一つそれを実現できてはいなかった。
お互い、必死でそこに目を瞑って気付かないフリをしていた。
二人とも、頑固すぎるほどに意地を張っていた。
喉を通っていく温かい紅茶は、やっぱり渋くて、苦くて、でも、その奥でほのかに甘さを残して溶けていく。
「んなぁ〜」
「みゃぁ〜」
ツナとシャチも、あべちゃんとの別れを察したのか、テーブルの上にぴょんと飛び乗り、ひと鳴きした。
「ツナさん、シャチさん、今までお世話になりました」
「にゃ」
「ぉぁー」
あべちゃんからの挨拶に応えるようにまた鳴いて、あべちゃんの両頬に伝う雫ごと毛を繕うように舐めていた。
「えへへ、くすぐったい」
今のこの気持ちをどうやり込めたら良いと言うのか。
どうすることもできない運命に、ただただ身を任せることしかできない無力さを思い知っては、胸が締め付けられた。
失いたくない。
まだ一緒にいたい。
ここにいるみんなが、俺の「大切」なんだ。
どうして連れて行ってしまうの。
そんなやるせない気持ちで自然と歪んでいく顔を隠すように、俺はツナもシャチも、あべちゃんも全員まとめて抱き締めた。
「ぐすっ…みんな大好きだよ…っ」
「ん“にゃあ“」
「み“ーっ」
「ふふっ、佐久間、苦しいって言ってるよ?」
「ごめんね、でも…あと少しだけでいいからこうさせて…」
もふもふの体と、ふわふわな声が、砕けそうな心を癒してくれる。
「あべちゃん、ありがとね。すごく楽しかったよ」
「俺もだよ。今までありがとう」
「これ飲み切ったら、もうおしまい?」
「うん、きっと」
「まだ取っておきたいなぁ…」
「だーめ、紅茶は温度が命だよ」
「こんな時までおいしさに厳しいなぁ、ちょっとは名残惜しさみたいなもの、見せてよ」
「んふふ、それは「無し」って佐久間が言ったんでしょ?」
「そうだけどさ…。ねぇ、あべちゃん、最後に一つだけお願いがあるの」
「なぁに?」
あべちゃんのことだから、恥ずかしがるだろうか。
でも、俺の中での最上級はこれ以外には無いから、どうか嫌だと感じたとしても、今だけは受け取って欲しい。
きつく結んだ両の指を解いて、あべちゃんと見つめ合う。
ようやく解放されたと言うようにツナとシャチは、テーブルから飛び降りて俺から距離を取っていたのが視界の端すれすれに見えた。
あべちゃんの前に、まるでダンスの誘いでもするかのように片手を差し出して、
「乗って?」
と伝えた。
あべちゃんは素直に手のひらの上に座り、俺を見上げた。
俺の顔の高さまでその手を持ち上げて、ゆっくりと胸元まで近付けた。
今まで本当にありがとう。ずっと大好きだよ。
そんなありふれた気持ちが、伝わりますように。
ぽろぽろと零れ落ち続けて湿ったその小さな唇に、そっと口付けた。
ボフンッ!
漫画で描く擬音ならこれだろう、というような音が鳴り、真っ白い煙があたり一面を覆った。
予期していなかった出来事に驚いた拍子に息を深く吸い込んでしまった俺は、大きく咽せた。
「んんぅッゲホっ!けほッ!なになになに!?」
もくもくと靄をかける不透明な世界の中で大いに戸惑っていると、不意にあの優しい声が聞こえた。
「やっぱり佐久間に拾ってもらえてよかった」
少しずつ晴れていった視界に映ったのは、俺と同じくらいの背格好をした男の人の姿だった。
「…あ、あべちゃん…ですか…?」
「ぁははっ、なんで敬語なの?うん、俺だよ?」
「〜っ…!!あべちゃああああああ!!」
「うぉ、佐久間重たいよ〜」
なにが起きているのか、なんて、そんな野暮なこと、今はどうでもよかった。
目の前には、変わらずあべちゃんがいてくれている。
それだけで十分だった。
体の大きさが変わっただけ。
小さくても、大きくても、今俺を抱き締め返してくれているあべちゃんは、今までと何も変わらないあべちゃんのままだ。
「あべちゃん体大きくなったけど、どっか違和感とか痛いとことかない?大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
「よかった…。なんだかよく分かんないけど、あべちゃんもう消えない?これからもずっと一緒にいられる?」
「うん、佐久間が俺を好きでいてくれる限りは、ずっと」
「…?大好きだよ?」
「ふふっ、これは骨が折れそうだね、ツナさん、シャチさん」
「うにゃ」
「んにー」
「……へ?」
ツナもシャチも、あべちゃんの言葉に同意するようにも、どこか呆れたようにも聞こえる声を上げて、俺をじっと見つめていた。
「あべちゃん、そろそろお店開けるよー」
「はーい」
「エプロン似合ってるよ」
「ほんと?へへ…嬉しい」
「初めての仕事、どんな気持ち?」
「すっごく緊張してる」
「あべちゃんなら大丈夫だよ」
「そうかなぁ?」
「うん。それに、何かあっても俺がずっとそばにいるから平気だよ」
「!ありがと…っ」
「これからもよろしくね、あべちゃん」
「うんっ!」
変わり映えの無かった愛しい日常に、突然、驚くような変化が訪れた。
特にこれと言って大きな出来事もなかった平和な毎日は、現実ではそうそう起こりそうもない衝撃を受けて急速に色付いた。
これは、平凡な俺と儚かった君とがこれからも一緒に歩んでいく、いつか恋になるかもしれない、そんな物語。
おまけ 〜妖精のきもち〜
初めて目を覚ました時、目の前が暗くて、とても心細かったのを今でもよく覚えている。
光の差している隙間に、どうにか体を捩じ込ませて真っ暗闇から抜け出すと、そこにはふわふわと空中に浮かぶものがあった。
声をかけると、それは気怠そうにしつつも俺と話をしてくれた。
彼はホコリさん。
もう随分と長いことここに住んでいるそうだ。
ここはトラックという車の中であること。
俺が今入っていたものは、段ボールと呼ばれている茶色い箱だということ。
車というのは物や人を運ぶ道具であること。
そんなことをたくさん教えてくれた。
俺の耳には、ホコリさん以外の声もたくさん聞こえていた。
車さんからは「そろそろガソリン無くなりそうだよ〜」という焦った声が。
段ボールの中からは「誰が僕を拾ってくれるかな?」とワクワクしているようなたくさんの声が。
ホコリさんは、俺を見て「まぁ、頑張れよ」と言った。
「何を頑張るの?」と尋ねると、ホコリさんは「長く生き残れ」と答えた。
どういう意味なのかと、また尋ねると、ホコリさんは俺の周りをぽわぽわと漂いながら、詳しく教えてくれた。
俺たち「物」は様々な役割を持っているが、それはヒトという存在の都合によって、良いようにも悪いようにも扱われる。
愛されれば長く生き続けることができる。
その逆だって、いつでも自分たちの背後に迫ってきている。
邪魔に思われてしまえば、居場所を失ってしまう。
飽きられてしまえば、触れてもらえなくなってしまう。
忘れられてしまえば、消えてしまう。
「所詮そんな存在なんだよ、俺たちは」
そう、ホコリさんは退屈そうに言った。
気持ちを持って生まれた以上は、長く生きていたい。
そう思った俺は、どうやったらいつまでも消えずにいられるのかと質問した。
「大切にしてくれるヒトを探せ。お前を愛してくれるヒトのそばで、お前が一番であり続けろ」
ホコリさんはそう教えてくれた。
ホコリさんもいつかは消えてしまうのかと聞くと、その時だけは楽しそうな声を出した。
「俺が住んでるここは、汚くても気にしないおっちゃんしか使わねぇトラックだから、そんな心配はいらねぇよ」
ホコリさんが良いパートナーと暮らしていけていてよかったと、心から思った。
佐久間を選んだのは、「物」を大切にしてくれそうだと思ったから。
優しそうなヒトだと思ったから。
その予想はしっかり当たっていて、俺は心から安心した。
これでずっと生きていける、と思った。
それに、毎日一緒に過ごしていく中で、どんどん好きになっていく佐久間と過ごせることが、何よりも嬉しかった。
だからこそ、いつだって佐久間の「一番」でいたかった。
ホコリさんから教えてもらった消滅というものに怯える気持ちもあったが、それ以上に、佐久間が一番好きなのは俺がいい、というわがままな気持ちの方が大きかった。
苦手だと言っていた紅茶を好きになってくれて嬉しかった。
俺が教えた淹れ方が一番美味しいと言ってくれて誇らしかった。
俺はこんなに佐久間が好きなのに、猫さんやお店のお客さんとばかり目を合わせるのが悔しかった。
いつでも、どんな時でも、俺を見ててよ。
そう思っても、佐久間が俺を邪魔に思ってしまうかもしれないと思うと、怖くて言えそうにはなかった。
いつも背中に感じていた俺の体を保ってくれている何かがぷっつり途絶えた時、俺は即座に「終わり」を直感した。
最後は笑っていたい。
せめてもの意地だった。
これがホコリさんの言っていたことの全てなんだと理解して、仕方のないことだと受け入れようとした。
でも、佐久間は受け入れなかった。
最後の最後まで、俺を惜しんでくれた。
その時俺は、同居している猫さんたちに日頃話していた相談事に自信が持てた。
「佐久間は俺のこと好きになってくれるかな?」
「どうしたら佐久間は俺のこと一番好きでいてくれるかな?」
そう質問すると、ツナさんもシャチさんも、
「あべちゃんらしくいたらいんじゃニャい?」と言ってくれた。
そのアドバイス通りに毎日過ごしていたおかげなのかな。
今もこうやって佐久間と同じ目線で一緒に過ごせているのは。
ホコリさんの言うことが正しいのなら、佐久間が俺を一番愛してくれているから、消えずにいられたってことなんだろうと思うんだ。
消えかけていた俺を全力で引き留めてくれた。執着してくれた。
それだけで、まだ何も伝えてはいなかったけれど、俺の気持ちに対しての返事を、佐久間からもらってしまったような気がしていた。
いつかは、タイミングを見計らってちゃんと伝えようと思っている。
でも、今はまだきっと、その時じゃない。
あの鈍い佐久間が、もっともっと俺を「一番」だって思ってくれた時。
俺に言ってくれた「大好き」って気持ちの奥にある、もっと深い愛情に佐久間自身が気付いてくれた時。
その時は、紅茶でも飲みながら、ゆっくり話をしたい。
俺が生まれた「家」はもう無くなってしまったけれど、無自覚でも俺を一番好きだと思ってくれている佐久間の気持ちがあるから、他の子を手に取ったとしても、もうやきもちを焼いたりはしない。
今度、佐久間がお金をくれる。
「お給料」と言うらしい。
お金を使ってしたいことは特に無いけれど、せっかくなら、お花を渡してみようかな。
太陽に向かって大きく伸びる、あのお花を。
俺の太陽は、これまでもこれからも、ずっと佐久間だけ。
END
コメント
7件

かわいいかわいいお話ありがとうございました🤗🤗🤗
素敵なお話でしたー🥺二人がまた一緒にいられるようになって良かった🩷💚 ホコリさん密かにお気に入りです🤭
泣きすぎて頭が痛いです…😭😭😭