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Side 青
この日だけ入ることが許された病室。
もう明日からは別の人が入院してくるそうだ。
電気のついていない暗い部屋。
機械は何も置いていない。
空っぽでマットレスだけのベッド。
そこに独りぼっちの俺。
「きょも…」
泣くことはできない。たぶんきっと、枯れ果てた。
右手に持ったCDを見つめる。意味がないとはわかっていても持ってきてしまった。
ここにいたあなたに聴いてほしくて。
彼は前、俺に楽譜と歌詞を書いた紙を預けてくれた。いつか使って、と。
その記憶をしっかりと繋いでおきたくて、それを5人の声で紡いだ。
ジャケットには『泡沫』の文字。
人ってやはりいずれは消えゆくものだ。
でも形になるならば、永久は保証できなくても残る。
そのかたちを、俺は握りしめた。
ふたりで眺めた桜はすっかり花を落とし、葉桜になっている。
たったひとりの人間だって、一本の木だって、変化しつづける。
終わりがどんどん近づく。
だから永遠なんてない。
それでも願ってしまうのは、俺のエゴなのだろうか。
帰ろうと踵を返しかけたところ、ふと床に視線が向く。
ベッドのすぐ近くに、花びらが一枚落ちていた。
まだあったんだ、と懐かしい思い出が去来する。
きょもが拾って、そのあとどうしたかはわからないが知らない間に落ちてしまったのだろう。
それは彼の残り香のようで、大切にポケットにしまった。
病院の自動ドアをくぐると、初夏の爽やかな空気が俺を包む。
玄関先の小さな花壇には、中庭の大きな桜の木とは違う幼く細い木がある。
それでも生き生きと、凛と立っていて、新しい息吹の力が感じられた。
夏の疾風が吹いて、その枝を揺らした。
終わり