テラーノベル
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親なんて、大人なんて、みんな身勝手な生き物だ。
今の俺も、もう大人だけど、あんな奴らみたいにはなりたくない。
あんな奴ら、もう一生関わりたくない。
そう思っていたのに。
「会いに行かないの?」
そう言って俺を見上げるその瞳はあまりにも澄んでいて、俺は何も言えなくなってしまった。
あぁ、そうだった。
俺もお前と、同じ歳の頃、ここに来たっけな。
俺の家は、言わば、金持ちの家だった。
大きすぎる家の中は、使っていない部屋で溢れていた。俺と両親とお手伝いさんの四人で住んでいた。お手伝いさんの名前はユキといった。
働き者で、とても綺麗な人で、優しくて、大好きだった。
俺用に四つばかり部屋を貰っても、まだまだ有り余っているくらいの家は、どこもかしこも年中過ごしやすい温度が保たれていて、暑いとも寒いとも感じたことがなかった。
不自由なんてものを知らなかった。
ただ、いつだって俺とユキちゃんしか住んでいないような家の中は、がらんとしていて、酷く静かだったことだけは記憶にあって、それが幼かった俺に寂しさを感じさせた。
仕事で各国を飛び回っていたのだろう、両親はほとんど家に帰ってこなかった。
たまに帰ってきた両親と夕食を一緒に食べていると、父さんは決まって俺に同じことを尋ねた。
「勉強はしているのか?」
「成績は落ちていないか?」
「この程度の学力じゃ、生き残っていけないぞ」
俺は父さんの期待に応えたくて、塾やたくさんの習い事に精一杯の時間をかけて、目一杯の努力をし続けた。
しかし、父さんは100点以外は認めなかった。
苦手だった算数のテストで、今までで最高得点の98点を取ったときも、習い事で通っていたダンススクールのコンテストで準優勝したときも、一つも褒めてはくれなかった。賞状を持って、俺は父さんのところへ駆け寄ったけれど、父さんは「第二位」 の文字を見たあと、それを床に放り落として一言だけ吐き捨てた。
「一番でなければ意味がない」
小6の夏、たくさんの練習を重ねていろんな人に認めてもらえた証が床に落ちていった日、俺は父さんの期待に応えることをやめた。
一方で、母さんは、とても過保護な人だった。
小学6年生の秋、学校の友達が放課後に遊びに行かないかと誘ってくれたことがあった。母さんに遊びに行って来るとメールを送ってから、出かける準備を始めた。
しかし、玄関を出ようとした瞬間に、幼い頃から持たされていた子供用の携帯電話が鳴った。出ると、取り乱したように焦った母さんの大きな声が聞こえて来た。
「大ちゃん、どこに行くの!?」
友達と河原に遊びに行くと電話越しに答えると、母さんはもっと大きな金切り声で捲し立てた。
「ダメよ、絶対に行っちゃダメ!そんな危ないところになんて行かないで、お家で一人で遊びなさい。それに、大ちゃんにそんなところに連れて行こうとした子は誰なの!?全く、うちの子に何かあったらどうしてくれるのよ。」
直感的に、誘ってくれた子の名前は言わない方がいいような感じがして、俺はずっと母さんの電話を黙って聞いていた。
何も言わない俺を気に留めずに、母さんは最後に言った。
「大ちゃんは、ママが選んだ子とだけ仲良くしていたら、それでいいのよ?」
その言葉を最後に、電話は一方的に切れた。
昔から母さんのことは、俺のこととなると途端に干渉したがる人だとは思っていた。
学校に行く前、学校から帰って来た後、塾や習い事に行く時、必ず母さんに連絡をしてから出かけるようにする、というのが俺と母さんとの約束事だった。
家を空けがちな母さんは、俺を心配してくれているんだ、離れていても大切に思ってくれているんだ、と物心が付き始めた頃の俺は、そう思って嬉しく思うこともあった。
しかし、日を重ねて、俺の心と体が成長していくごとに、俺に対する母さんの言葉と行動が、大きな違和感となって心の中に暗く深い穴を開けていった。
小6の秋、河原に遊びに行くことができなかった日から、俺は母さんの愛情が理解できなくなった。
父さんから向けられる支配も、母さんから受ける依存も、全部が気持ち悪かった。
二人から向けられる、それぞれの束縛が苦しかった。
疲れた。
水面に雫が一滴落ちて水の輪を作って広がっていくみたいに、俺の頭の中にその一言だけが浮かんで、心に波紋を作っていった。
そんな日が続いたある日、思ってもみなかったことが起きた。
外では雪が降っていた。
相変わらず家の中にいれば寒さなんて何も感じない、そんな快適な家の中に電話の音が鳴り響いた。
パタパタとスリッパの音を鳴らしながら、少し急ぎ足でユキちゃんが電話の方へ駆け寄ってきて、電話に出てくれた。
俺はユキちゃんの相槌をなんとなく聴きながら、小学校最後の冬休みの宿題で出されたドリルを解いていた。
「はい、、ぇ………、そんな……」
ユキちゃんの声が段々と曇っていったのが気になって、俺は手に持っていた鉛筆を置いて、声のする方へ近付いて行った。
電話が終わって、受話器を下ろしたタイミングで俺はユキちゃんに尋ねた。
「ユキちゃん、どうしたの?」
「…大ちゃん……。びっくりしないで聞いてね。」
俺は、その時のユキちゃんの悲しそうな目が今でも忘れられない。
「旦那様と奥様が、亡くなったって……。」
小6の冬、俺は、父さんと母さんに二度と会えなくなった。
次の出張先に向かっている途中で、父さんと母さんは交通事故に巻き込まれたんだと、ユキちゃんは言っていた。すぐに病院に運ばれたけれど、助からなかったそうだ。
その後は、父さんと母さんの会社の人が俺とユキちゃん を車に乗せて、父さんと母さんのところまで連れて行ってくれた。
二人とも寝ているみたいだった。
会うたびに動いていたものが、ピッタリと動きをやめてしまっていることが不思議だな、くらいにしか思えなかった。
多分、感情が追いついていなかったんだと思う。
俺は泣かなかった。いや、泣けなかった。
いつもいなかった存在がこの世から消えてしまっても、俺の中では何も変わらないような気がした。それに、これで自由になれると、ホッとしてしまった自分がいたような気もした。
俺は冷たいのだろうか。
普通なら、人はこういう時泣くんだろうか。
よく分からなかった。
だって、この二人のことが好きだったのかさえ、その時の俺にはもう、よく分からなかったのだから。
俺たちをここに連れて来てくれた会社の人は、涙の一つも溢さずに、ぼーっと白い布がかかった二つの膨らみを眺める俺を、気持ち悪いものでも見るような目で見ていた。
両親と永遠にお別れすることになったあと、俺は親戚の家を転々とした。
遺産だとかなんだとか、住んでいた家だとか、そういうのは会社の人とか、親戚の人とかが難しい話をしていた後に、パッとどこかに消えた。きっとその大人たちで都合よく分け合って懐に入れたのだろう。
「大ちゃんはどうしたい?お父さんの会社だし、大ちゃんが跡を継ぐなら、私たちでお金も会社のことも大切に保管して守っておくよ?」
小学生相手にそんな小難しい話をされても困った。
しかし、恐らくそれが親戚の人たちの狙いだったのだろう。
実際のところ、あの人たちは、俺には何も渡すつもりがないように見えた。
遺産とか、家と会社の所有とか、そういうことはよく分からなかった。ただ、俺はこれから離れ離れになってしまうユキちゃんのことだけが心配だったから、親戚の人に一つだけお願いした。
「ユキちゃんが一生困らないくらいのお金、ユキちゃんにずっと渡し続けて」
親戚の人は、面倒くさそうな、嫌そうな、そんな顔をしていた。
親戚の人たちはみんな優しい人たちばかりだったけど、全く馴染めなかった。
いつでも腫れ物に触るように接して来る人たちに、「家族を無くした可哀想な子」なんて思われたくなくて、親戚の家でも学校でも無理に明るく振る舞うようになった。
ユキちゃんとは、ずっと手紙でやり取りをしていた。
父さんと母さんのことが落ち着いた後、親戚の人が俺の携帯電話を解約してしまったので、連絡を取る方法が手紙しかなかった。
それでもとても楽しかった。ユキちゃんと文字越しに話せることが、俺の唯一の幸せだった。
それから二年くらいが経った頃、ずっと俺に気を遣いながら一緒に生活をしてくれていた親戚の人に、俺は中学を卒業したらこの家を出ていくと伝えた。
高校に行かなくて良いの?とか、働き口は少ないぞ?とか、心配しているようなことは言われたが、その人たちの目には「これで厄介払いできる」という気持ちがはっきりと見えた。
お世話にはなったから、ちゃんと最後まで筋は通して、俺は卒業式を終えたあと、でかい荷物を持って家を出た。
行く宛てなんて、もちろんなかった。
でも、このまま一緒に暮らしていくこともできなかった。
ひとまず今日寝られそうなところを探しながら歩いていると、いきなり大量の雨が降ってきた。
傘を持っていなかったから、大きな屋根の中に入って雨宿りすることにした。
しばらく経っても雨は止みそうになかったが、このままでは日が暮れてしまう。
濡れるのを覚悟で雨風を凌げるところを見つけて、明日から働けそうなところを探し回ろうと決めて立ち上がると、不意に横から声を掛けられた。
「君、こんなところでどうしたの?」
俺とそこまで歳が変わらない人に見えた。
多分、大学生くらいだと思う。
俺は、どう答えたら良いかわからなくて、当たり障りのないことだけを答えた。
「…ぇ…ぁ……あまやどり…」
「そうなんだ。大きな荷物だね、どこかに行くの?」
「えっと、、寝泊まりできそうなところ」
「そっか。じゃあ、今日はうちに泊まる?」
「えっ…」
お人よしなのか、警戒心が薄いのか、得体の知れない人間をそう簡単に家に入れて良いのかと、その人の言葉に戸惑ったが、その人は優しく笑って言った。
「風邪引いたら大変。困った時はお互い様でしょ?」
底抜けに優しい人だった。
俺はその人に促されるまま中に入った。
門を抜けると、俺が子供の頃に住んでいたあの家と同じくらい、いや、それ以上に大きな家があった。
「渋くて古臭い家だけど、ゆっくりしていってね」
「あ、ありがとう…ございます…」
「いえいえ、今タオルとか持って来るからね。あ、そうだ、お腹は空いてる?」
「…はい…」
「うん、わかった。ちょっと待っててね。ふかざわくーーーん!」
「若!?どうしました!?」
「うちの前に、とっても可愛い子が立ってたんだ。寝るところが無いって言ってたから、今日はとりあえずうちに泊めたいんだけど、いいかな?」
「良いも何も、若がそう言うなら、俺はそれで良いと思います。」
「ありがとう。じゃあ僕、タオルとか取ってくるね。」
「いえ、俺が行きます」
「ううん、この子と一緒にいてあげて。なんだか、この子は深澤くんと仲良くなれそうな気がするから」
「へい」
若、と呼ばれていたその人は部屋を出て行った。
ドタバタと大きな足音を立てて入って来たその人は深澤と言ったか、その人も俺と二歳くらいしか変わらないように見えた。
深澤と俺の二人だけの空間になる。
気まずい、何か話した方がいいんだろうか、こいつは本当は迷惑だと思っているんじゃ無いか、なんて考えていたら、深澤は急に質問して来た。
「お前、名前なんていうの?」
「佐久間大介」
「佐久間ね。俺、深澤。ダチからはふっかって呼ばれてる。そんでお前さぁ、行く宛てあんの?」
「…………………………………ない。」
「間なが。んなこったろうとは思ったよ」
「なんで分かったの?」
「見りゃ分かんでしょ。こんな大雨の中、でっかいカバン持ったガキが、泊まるとこ探してるとか、明らかに訳ありだろ」
「明日には出てくから。迷惑かけてごめん」
「ぁ?誰が迷惑なんて言ったよ」
「え?」
「ちょうどこの組、そろそろ代替わりすんだよ。骨のある奴探してたんだよねぇ」
「ん?」
「お前、ここに住み込みで働かない?」
「………は?」
15の春、俺は家と仕事をもらった。
続
コメント
2件
さっくん…🥺🩷
佐久間くんの過去辛いな…(;_;) 手を差し伸べてくれたふっかさん達は本当にいい人!続き楽しみにしてます!