テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
表情を見て、ハッとした。
提灯の淡い明かりが、薄ぼんやりと照らし出す幼い容貌には、悲喜が交々に入り乱れていた。
その端々に、時折まるでノイズのように、凄絶な憎悪が走る。
赤の他人、身内や仲間、あるいは自分。 そんな“誰か”を生かすため、人が人を手にかけた時代。
狂った世相を写すのは、なにも装いだけではない。
彼そのものが、そういった異常な社会風土をまざまざと体現しているようだった。
「………………」
氷のように冷たく、しかし火の粉を繽紛と舞い散らすような視線は、私たちの斜め後方へと、脇目も振らず注がれている。
睨めつけている。 そういった表現のほうが正しい。
そこに誰が居るのか明白だが、首を動かすことができない。
かの視線は、こちらをいっさい捉えていないにも関わらず、射竦められたように身動きがままならない。
あれは少なくとも、子供に扱える瞳じゃない。
生き物が、人型をしたモノが、冗談でも誰かに差し向けて良い目線じゃない。
これまでに、いったい何を見て、どのような体験を経れば、あんな目つきをするに至るのか、想像するだに恐ろしく。 また、遣る瀬のないものが込み上げてくる。
刀霊………。
彼について、吹さんはひとつ勘違いをしていることが判った。
いやもしかすると、こちらの心情に配慮して、敢えてあのような言い回しを選んだのかも知れない。
“もはや二度まで人を斬ることはできまい”
その言葉を聞いて、“少なくとも一度は誰かを?”と、私は恐怖した。
きっと真実は違う。
“もはや、二度と人を斬ることはできまい”
本来、こちらが正しい表現なのではないか。
あの太刀に、何があったのかは知れない。
どのような経緯で、宗旨替えをするに至ったのか。
そう、まさに宗旨替えだ。
それまで、“彼”が手にかけた人間の数は、その身が啜った血潮の量は、恐らく………。
「お前……、“羽”か?」と、史さんの声がした。
いつもの口調より遥かに真剣味を帯びてはいるものの、特に慌てた様子のない、普段通りの声色だった。
「………気安くコイてんじゃねぇや。 この神さま崩れがよぉ?」
乱暴に応じた童は、今にも唾を吐き棄てそうな様相を、これ見よがしに顕した。
木履をガリガリと鳴らし、参道の中程まで歩み入る。
俄かに結桜ちゃんが身構えるも、やはりこちらの事は眼中にないのか、彼は一向に動じない。
「………なにしに来やがった?」
「あ? なにしに……、だと? おいおい………」
史さんの問いかけに、童は肩を震わせてくつくつと笑った。
雨雲が戻ってきたのか、遠雷が聞こえる。
「おう大将。 ちと会わねぇうちにあれかい? すっかり耄碌しちまったんじゃねぇのかね?」
「あ? なんだと?」
「内が此処に、てめぇん所に来た理由だ? んなもん、一個に決まってらぁ」
肌身がまるで、帯電したようにピリピリする。
のみならず、毛穴という毛穴から、極寒の冷風が体内へ吹き込んでくるような心地がした。
そんな中、童は端的に告げた。
「てめえをぶっ殺すためよ」
さながら、自分に不可能は無いのだと、そう言いたげに。
理外のセリフを、事もなげに口にした。
「ちょっと……! ちょっと待ってください!」
ほのっちが声を張った。
振り返って確認することはできないが、どうにか場を鎮めようと躍起になっているのが、声のトーンで分かる。
「誤解があるんです! あの事については───」
「お前さんに用は無えや。 さっさと失せろ。 そこいらのダチ公も一緒に連れてけ」
有無を言わせぬ口調に圧され、継ぐべきセリフをグッと飲み込む気配がした。
あのほのっちが、舌戦で引けを取った。
そもそも、諍いにすらなっていない。
底知れないモノが目の前にいる。
開きに開いた毛穴から、嫌な汗が滲み出していた。
「黙って聞いてりゃてめえ………」と、選手交代とばかりに、今度は史さんが低い声色で言った。
「段平振り回すしか能のねぇ青二才が。 やれるもんならやってみな?」
「ちょ……っ!? お父!!」
「は……? ハハハ。 へぇ………?」
荒事に不慣れな私でも分かる。
この展開は、非常によろしくない。
「下がります………!」
機を見た結桜ちゃんが、小さな背中を精一杯に使って、私たちの身柄を少しずつ拝殿の方へ押し込んでくれた。
「上等だよ………。 上等じゃねぇか? なぁ?」
刹那、童の頭上に稲光が走り、耳を劈く雷鳴が辺りを震撼させた。
七月の末とは思えないほど冷たい風が、頬に肌身に容赦なく切りかかってくる。
パラパラと軽やかな音を立てて、霰が降り出した。
そんな劇的な舞台を整えて、童が吼える。
「天国作刀“羽”! 見参だこの野郎ッ!!!」
落陽を思わせる赤光が、矮躯を起点に爆発し、視界をたちまち真っ赤に灼いた。
その間際、たしかに耳にした。
「あまくに………」
天国と言えば、日本刀工の祖とされる人物だ。
大和国の住人と、具体的な活動地について記文が残されているにも関わらず、存在自体が疑問視される謎めいた刀工でもある。
しかし、現にこうして、“実子”を称する刀霊が現れた以上は
「神通を宿す天国の太刀………」
結桜ちゃんが譫言のように呟いた。
問い質す余裕は無い。
烈しい明るみに晒された網膜が、今にも煙を上げそうな錯覚に見舞われていた。
「お、知ってんな? そこの……、なんだ?」と、童の声がした。
どこか得意げな、弾みを感じさせる声色だ。
「九尾……、九尾のガキんちょか。 そうよ、察しの通り、内ら天国作刀にゃ神通力がある」
境内の隅から隅にいたるまで、奔放に撒き散らされた赤光が、細い肩口に留まる一刀へと、見る見るうちに集束を開始した。
程なく、勁烈な緋々色を蓄えた刀身が、今度は一転して私たちの心胆を、じわりと焦がしに掛かった。
澄んだ刃金の表面に、晴れやかな日差しを彷彿とさせる光の束が、幾重にも通流している。
場違いな事とは分かっているが、美しいと、そう思わずにはいられなかった。
紛れもなく、地上の太陽がそこに在った。
「天国作刀“羽”」
その持ち主である彼は──
いや、それそのものの彼は、やおら口を開いた。
上機嫌な心模様に触発され、口が軽くなったのか。
それとも、みずからの手の内を明かしても尚、己の勝利が揺らぐことはないという、並々ならぬ自負からか。
「宿す神通は、“成就”」
世の中には、決して覆しようのないものがあるのだと、淀みのない口振りで示した。
彼の侵入を許した時点で。
いや、彼とこうして見えた時点で、私たちの負けは確定していた。
それを裏付けるように、突如として友人の悲鳴が聞こえた。