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愛華がテニスサークルに入部して1週間がたった。
愛華は自分が思っていた以上にテニスサークルを満喫していた。
幼少期からテニスを嗜んでいた愛華は部長からも重宝がられ、部員からも教え方がうまいと言われ、入って2日もしないうちに『テニスのうまい豊宮さん』という立ち位置を得ていた。
しかし、事態はそれだけにとどまらなかった。
「愛華、ちょっと愛華ってば」
ベンチで座っている際に玲奈に肩を揺さぶられ、愛華はやっと気がついた。
「え、なに……?」
「なにボーッとしてるの?」
「そんなことないけど……」
その言葉に、玲奈はハァとため息をついた。
「何言ってんの、ずーっと一点を見つめてたわよ。こっちが話しかけても生返事ばっかりでさ……」
「おかしいな……」
「誰を見てるの……?」
玲奈が愛華の視線の先を確認すると、九条が鷹野と一緒に練習試合をしていた。飛び散る汗、爽やかな笑顔、キレのいい動き……どれをとっても愛華には輝いて見えた。
今まで男子のテニスの試合などは見たことがあったが、そんな風に見えたのは初めてだった。
(どうしてこんな風に思うのだろう?)
心の奥底から湧き上がる感情に、名前を付けられず愛華は少し戸惑っていた。
「はは~ん」
玲奈は愛華の表情を見つつ、ニヤリと微笑んだ。
「愛華……恋してるね」
「ななななななな!?」
玲奈は愛華の肩をポンポンと軽く叩くと、ちょいちょいと九条の方を指さした。
「惚れちゃったのは、あの人に……でしょ?」
「いや……そんなのわかんないよ……」
「でもさ、他の人の声が聞こえないぐらいジッと見つめるなんてさ、普通じゃないよ?」
「それは確かにそうだけど……」
「多分恋、いいや、絶対に恋だね。でもさ、九条先輩はアレだよ?」
九条が鷹野のボールを返すごとにコートを取り囲んでいる部員たちから黄色い声が上がる。
「あの黄色い声を上げてる子達が全員愛華のライバルってことになるけど、大丈夫そう?」
愛華は口を尖らせながら玲奈に反応する。
「別にあの人がす……好きだなんて一言も言ってないし」
「じゃあ九条先輩が誰かにとられてもいいんだ?」
その言葉を聞いた瞬間、愛華の胸に黒い感情が流れ込んできた。
愛華の中で九条が顔の知らない『誰か』に微笑みかけ、抱きしめ、そして唇を近づけて……。
「嫌だ」
愛華の言葉を聞いて、玲奈はやっぱりね、という顔になる。
「ほらね、やっぱり好きなんじゃない」
「……そうかも」
「じゃあ、言い寄ってみればいいじゃない」
「言い寄るって……どうすればいいの? こういうのって、男性の方からグイグイ来てくれるものじゃないの?」
「グイグイって?」
「俺のものになれよ……みたいな感じでこう、グイッと来てメロメロにしちゃう……みたいな」
「あははは、愛華ってば漫画の読みすぎだよ。こういうのは駆け引きが大事なの」
「駆け引き?」
「すぐに『好き好き』って言うんじゃなくて、ちょっと焦らしてみたりだとか、逆にぐいぐい攻めて行ってあなたのことが大好きなんですよってアピールしたりとか。漫画みたいに待ってるだけじゃだーれも来やしないよ」
「そうなんだ……でも、私、どうすればいいのかわかんないよ」
玲奈がニヤッと笑う。
「ふふん、愛華ってばもう忘れたの?」
「なにが?」
「明日は『新入生歓迎会』が開催されるでしょ?」
「そういえばそうだね……でもそれがなにか?」
玲奈が愛華の頭をポンポンと叩く。
「そこで九条先輩の隣に座って色々話すのよ。特に愛華は知らないことが多いんだから『教えてください~』なんて言いながら近づけば相手も悪い気しないって」
「そ、そうかなあ……」
「あーもう、そんなに自信なさげに振舞ってどうするの!? せっかく花の女子大生になったんだよ? 楽しまなきゃ損じゃん!」
玲奈の言葉に、愛華はハッとした。
自分で選んできた道なのに、まだ自分は何もできてない。ただぼんやりと歩いているだけだ。
自分で歩くと決めたのなら、意志を持って歩きたい。
「そうだね、そうする!」
グッと拳を握り、うなずく愛華を見て玲奈は微笑む。
それは、保護者が子供の成長を見守るような目だった。
愛華の視線の向こうで、九条がペットボトルから水を飲んでいた。それだけで絵になる男には、愛華以外の視線も注がれている。
だがしかし、その視線を返したのは愛華にだけだった。
九条は水を全て飲み終え、口元を拭うと愛華に向かって軽く手を挙げた。
「ほら、九条先輩が挨拶してるよ」
愛華はどうしていいのかわからず、とっさに頭を下げてしまう。
(どうしよう……うれしくて頭が上げられない……)
九条はそんな愛華を見て、ニヤッと笑っていた。
***
飲み会の当日。
愛華は自室で漫画を読みふけっていた。
愛華にとって飲み会とは未知のものであり、どうしていいのかわからず漫画をヒントにしようと思ったが故の行動だった。
だがしかし、前に玲奈の言っていたことも頭を横切っていた。
『漫画みたいに待ってるだけじゃだーれも来やしないよ』
確かにそうかもしれない。
漫画の中の主人公達はなにか特別なものがあって勝手に男の方からやって来てくれることの方が多い。でも、自分にそれがあるとは今は思えなかった。
ふぅ。
ため息をついて持っていた漫画を近くにあったテーブルに乗せた。
あと2時間後には家を出て店に向かわなければいけない。
今日の授業が休講でなければ、飲み会の前に玲奈に色々と教えてもらおうと思っていたのだが、そうはいかなかった。
コンコン。
乾いたノックの音が愛華の部屋に響き渡り、彼女はそれに軽く返事をする。
「どうぞ」
「失礼します、果報でございます」
「何しに来たの?」
「お嬢様が今夜はお食事がいらないと仰っていたので、何かご病気かと思いまして……」
「違うわよ、言ってなかった? 新入生歓迎会に行くのよ。飲み会ってやつね」
「飲み会……でございますか?」
「そう、この前入ったテニスサークルの人たちが計画してくれたの。新入生は気兼ねなく参加してくれってことだったから、参加させてもらうことにしたの」
「あの……お父様はお許しになられたのですか?」
愛華は少しムッとして果報をにらみつける。
「お父様は関係ないでしょ。それに……もう言ってあるわよ。なんだか色々言ってたけど、私は私の思った通りに動きますといって説き伏せてあるの」
果報は少し心配そうに愛華を見つめている。
「しかしお嬢様、大丈夫ですか? よろしければ私がついていきますが……」
「もうっ! 子供扱いしないで! 飲み会ぐらいひとりで行けます!」
愛華の剣幕に、果報は頭を下げる。
「失礼いたしました、では、お帰りの際にもしお困りであればお呼びつけください。すぐに迎えに参ります」
「そんなことはないわよ、あんまり過保護にしないでほしいわ」
果報は少し心配そうな顔を向け、何かを言おうとしたがやめた。
これ以上の言葉は愛華の怒りを買うだけだ。
「では、私は他に用事がございますので失礼します」
愛華の部屋を出た果報は、外の風景を見て口に手を当てる。
「これはいつも以上の『見守り』が必要になりますね」
果報は少し早足で自室へと向かって行く。
自室へと着いた果報は、本棚にあるファイルを取り『追跡報告書』と書いてあるページを見ている。
「東王大学テニスサークル『てーきゅー』。現在の部長は鷹野健也で、彼は2年前にできた大塚美沙という彼女がいる……と。鷹野は紳士的な態度が一貫している。ふむ、彼はあまり脅威ではないかもしれないですね。ただ……」
果報は次のページの『九条礼人』の名前に視線を落とし、眉間に皺を寄せる。
「サークルの副部長でムードメーカー……だが、彼と仲の良かった女子部員はほぼ全員サークルを辞めている。不思議なことに新人歓迎会の翌日から九条と辞めた部員の距離が異様に近くなっていた……と。ふむ……、真っ黒ですねえ」
果報はファイルをパタンと閉じると顎に手を当てた。
「この男からお嬢様を守らないと……」
果報は目の前にある姿見をにらみつけると、準備を始めた。
***
「いやー、俺、豊宮さんと話してみたかったんだよね」
隣に座ってニコニコと笑っている九条に向かって、愛華はぎこちない笑顔で答える。
「そうなんですか」
自分の中ではそんな返事をするつもりはなかった。
もっと話を広げるようなことを言ってもっと九条のことを聞き出したい気持ちでいっぱいだった。
だけど、今の愛華は緊張のせいで自分がちゃんと笑えているのかどうか、面白い話をできているのかどうかもわかっていなかった。
「く、く、九条先輩はどうしてテニスサークルに入ったんですか?」
絞り出して出てきた質問がそれだった。
これが友達相手なら、同性相手ならもっと別の質問もできたように思う。だけど、今の愛華の精神状態ではこれが精いっぱいだった。
「あー、俺? 高校までテニス本気やってたんだけど、怪我しちゃったから今は軽くやってるって感じ」
「あら……怪我ですか?」
「ああ、ちょっと腕をね。でも日常生活とかちょっとテニスする分には大丈夫なんだよ。こう見えても俺、全国大会で準優勝まで行ってるからね」
「うわあ、すごいです!」
「あはは、ありがと。豊宮さんはどうなの? なんでテニサーに入ったの?」
「私は……友達が欲しくて」
「へえ、なんかいっぱいいそうな感じするけど」
「いえ、小中高とエスカレーター式の学校にいたので、友達はほとんどエスカレーターで女子大に行っちゃって……だから友達がいないんですよ」
「そっか、それはなかなか辛いね。じゃあ、良かったら俺と友達になろうよ」
「え……?」
九条は愛華に対して微笑みかけて、持っていたカシスオレンジを掲げる。
「じゃあ、新しい友情に乾杯!」
「え、あ、はい! 乾杯!」
九条に言われるまま自分の持っているウーロン茶を掲げて、軽く触れ合わせた。
愛華はそれだけで満足だった。
でも、もう少しだけ近づきたい……でも、それをどうすればいいのかわからなかった。
その瞬間、玲奈がトイレに立ったのが目の端に見えた。
「先輩すみません、ちょっと私、お花を摘みに……」
「え、ああ、はいはい」
愛華は玲奈をトイレの前で待ち伏せすると、必死になってその手を掴んだ。
「ねえ、玲奈! どうしよう!?」
「え、ちょっとなにが!?」
「九条先輩に『友達になろう』って言われちゃった!」
「へ~、いいじゃん」
「でも私、それだけじゃ嫌なの……もっと近づきたいっていうか」
もじもじとしながら言葉を重ねる愛華の頭を玲奈が撫でる。
「はいはい、そんなに焦らないの。今日はとりあえず『友達』のままでいればいいよ。無理にガツガツ行くよりも、ゆっくりと仲を深めればいいじゃない」
「そ、そうかな……でも、なんかもっと仲良くした方がいいと思うし……」
「で、そんな愛華はどう仲良くするプランを持ってるって言うの?」
「そ……それは」
「ほらね。まだ恋愛初心者のバブバブ赤ちゃんの愛華が無理しちゃダメだよ。そうしないとあっという間に男に襲われちゃうぞ~」
「う……わかった。とりあえず今日はこのままで我慢する」
「あっちが『友達になろう』なんて言ってくれたんだから、すぐに呆れて他に行くことはないと思うからさ、焦らない焦らない」
「うん」
愛華はふぅとため息をつくと、飲み会の会場へと戻っていく。
「すみません、九条先輩」
「いいよいいよ、じゃあ、2回目のかんぱーい!」
「え、あ、はい、かんぱーい!」
ごくごくと飲み始めたウーロン茶は、さっきよりも飲みやすくなっていた。
「なんかこれ……飲みやすい」
「はは、飲み会の雰囲気で飲み物の味なんて変わるからね、さ、グイッと飲んじゃって」
「は、はい」
愛華は持っているウーロン茶を飲み干すと、なんだか体が火照るのを感じた。
「九条先輩……なんだか今日は暑いですねえ」
「そう? まだ4月だしちょっと肌寒い気がするけど」
「おかしいな……あぅ、なんだかポワポワしてきました」
愛華は頭がぐらぐらと揺れる気がしてきた。
どうしたのだろうか、今になって風邪でもひいたのだろうか?
それならいけない、果報に連絡して風邪になったから迎えに来いと言わなければ。
果報のことだ、すぐにここまで来てくれるだろう。
ええと、ここの店の名前はなんだったか……。
愛華は色々考えていくうちに真っ黒な世界に身を落としていった。
「あれ、豊宮さんどうした?」
心配そうな顔で九条が愛華の口元に耳を近づける。
「え、ちょっと気持ち悪い? あー、それはいかんね。ちょっと外に出よう、夜風に当たれば少しは気分もやわらぐよ」
九条は愛華に肩を貸して体を起こす。
「んぅ……」
「大丈夫大丈夫、ちょっと緊張しちゃったんだよね、豊宮さん」
九条は他の人にわからないようにスッと早業で愛華の尻を撫でながら腰に手を回す。
愛華は自分が今何をしているのかわからなかった。
九条は愛華と店の外に出ると、キラキラとネオン輝くホテル街へと歩いていく。
「へへへ、今日の獲物ゲット~」
ニヤニヤ顔で笑う九条の顔がネオンに照らされる。
その数メートル後ろでは、果報が九条をにらみつけていた。