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美琴が祖母から聞いた話を、北斗へとメッセージを送信してみたが、すぐには返事は戻ってこなかった。塾が終わる時間に合わせて送ったから、そこまで時間を空けずに読まれているはずなのだが……
――いきなり、あやかしと結婚とか言われても、困るだけよね……
猿神というと日吉神の神使のことも同じように呼ぶみたいだが、あの山に住んでいるのは狒々という大猿のあやかしなのだという。獣やあやかしを従えて、人里に降りては田畑を荒らし、人を攫うという悪行を繰り返していたが、里の過疎化が進んだことで十分に妖力が補えず、今は力も衰えつつあるというが。
それを封印しようと山へ向かった祓い屋が何人もいたが、誰一人として成功して戻って来た者はいなかった。真知子は腹立たしいと眉間に皺を寄せながら吐き捨てるように言っていた。
「喰った人間の力はそのまま己の力になるんだと。力ある祓い屋が向かえば、その力はそのまま猿のものになる。おぞましいことだ……」
本人に自覚は無いみたいだけれど、北斗は何かしらの理由で大猿から気に入られてしまったのだろう。彼が大人になるのを何年も待つくらいには固執されている。
北斗からの返信が通知されたのは、日付が変わる少し前だった。さすがに今晩はすんなり眠りに付けるわけもなく、美琴は足音を立てないよう気をつけながら部屋から出て、台所でグラスにミネラルウォーターを汲んでいる時だった。
部屋着のポケットに突っ込んでいたスマホが能天気な軽い着信音を奏でたから、慌てて画面を確認する。
『その猿神っていうのは、言葉が通じるんなら、話し合うことはできないのかな? いつも聞こえる声は、結構優しそうな感じなんだけど』
こちらから何も動かなければ、きっとまたあの時と同じように一方的に連れ去られてしまうだけだ。猿神は北斗の家を突き止めているし、誕生日が過ぎれば容赦なく攫いに来るだろう。
対話ができるのなら説得に応じて貰える可能性もあるのでは、と思いたくなる北斗の気持ちも分からない訳じゃない。
――でも、お婆ちゃんから聞いた感じでは、そんな友好的な相手じゃない気がする……
人を贄としか見ていないモノが、命乞いに応じてくれるだろうか? そうでなくても既に何年も待たせている状態なのだ。悲観的なことしか頭に思い浮かばない。
北斗へどう返事していいか考えあぐねていると、スマホがもう一度着信を知らせて来た。
『猿神ってやつと、ちゃんと話してみたい。もし良ければ、八神さんも一緒に付いてきて貰えないかな?』
完全に乗りかかってしまった舟。断られないと分かっているはずなのに、それでも確認してくるのは北斗の誠実さなのだろうか。美琴は『もちろん』という一言だけをガッツポーズの絵文字と共に送信した。
その次の土曜日。見覚えのあるシルバーのプリウスが八神家の屋敷の門前に停車していた。ブラックの缶珈琲を片手に持ったまま運転席から降りてきたのは、相変わらず作務衣姿の八神孝也。祓い道具作りを専門にしている親戚だ。寝起きなのか後ろ髪が一束跳ねている。ハザードが点滅する車体に凭れ、どんより曇っている空を見上げて、ハァと諦めが混ざった溜め息を吐いている。
しばらくすると、門の奥からカラカラと玄関扉が開く音が聞こえ、孝也は首だけで振り返った。
「孝也おじさん、今日は無理言ってごめんなさい。よろしくお願いします」
美琴が門から出て来て、実父のハトコへと声を掛ける。少し大きめのボディバッグに動きやすそうなスポーツウエア。これから軽くハイキングにでも向かうような軽装だったが、美琴の手には白色の紙を長い筒状に丸めたものが二本握られている。
「まあ、いつも世話になってる真知子おばさんから頼まれたら断れねーよ。ここん家、車運転できる奴いないんだろ?」
高齢の真知子のは既に返納済みだし、ツバキ達はあやかしだから運転免許なんて持ってはいない。林間教室が行われた宿泊施設の場所までは電車とバスを乗り継いでも手前までしか辿りつけそうもなく、真知子に相談したら孝也を足代わりに呼び付けることになってしまった。
お礼を言ってから後部座席のドアを開くと、美琴と一緒に出て来ていたゴンタが当然の顔をして先に乗り込む。こないだは留守番だったことを拗ねていた子ぎつねも、今日は連れてって貰えると四尾をブンブン振って喜んでいる。
孝也には視えていないみたいだが、ボンネットの上にはアヤメがちゃっかり腰を下ろしていた。鬼姫は両足をバタバタさせて発車するのを待っていたけれど、車が動き始めるとすっと姿を消したから、また様子を探りに先に向かってくれたのだろうか。
屋敷から十五分ほど車を走らせた後、待ち合わせていたショッピングモールの駐車場で北斗と合流した。こんな不可思議なことを親には話すことができず、今日は朝から部活があると誤魔化して出てきたらしく、ヨネックスのブルゾン上下にリュック、カバーを付けたテニスラケットを持って来ていた。
「テニス部だったんだね」
「うん、中学から始めたから、そんなに上手くはないけど。――いざという時はこれも武器になるかな?」
軟式用だというテニスラケットを軽く振って、ニヤッと笑って見せる。けれどいつもの横伸びした笑顔ではなかったから、無理して明るく振る舞っているだけだと美琴にはすぐに分かった。