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どれくらい歩いただろうか。
最初は枯葉や枯れ枝を踏む音に驚かされたけど、分かれ道に着くころにはいちいち気にもならなくなっていた。
まっすぐ行けば山頂。左に行けば社がある。
社のある方は余り人が通らないためか、かなり道が細くなっている。
幽霊が出るのはこの辺りだと、臨は言っていた。
見た感じ特に変わった様子はない。
ただ暗い、森が広がっているだけだ。
僕はリモをぎゅっと抱きかかえたまま、辺りを見回した。
「臨、本当にここ何だろうなあ」
「噂では、ねえ。でも、幽霊が猫を殺すかな、っていう疑問はあるけれど」
「幽霊に猫は殺せませんよ、実体がないですからね。やるなら何かに憑りついてだと思いますよ?」
「だから幽霊はいないっての」
リモの言葉を僕は強く否定する。
狸は僕の顔を見上げ、
「いや、そんなに強く否定されましても」
と、困った様子で言う。
困ろうが何だろうが知ったこっちゃない。
幽霊はいないんだ。
実際、幽霊の噂がある場所に来ても何も起きないじゃないか。
その時だった。
「おお! 久しぶりの人!」
ぼやっとした女の声が聞こえ、僕は声がした方を向いた。
社へ向かう道の道端に、それはいた。
肩まで伸びた髪、白いセーターに白いスカート……
全体的にうっすらとしていて、向こうの景色が透けて見える。
三十手前くらいの女が、嬉しそうな顔をしてこちらを見ている。
出た。
僕は思わず一歩後ずさったが、臨は違った。
僕の横をすごい勢いで駆け抜けていき、幽霊に近寄っていく。
「貴方がここに住んでいる幽霊ですか!」
臨が悦び溢れる声で言うと幽霊の方が怯んだようで、目を大きく見開き臨を見つめた。
「え? あ、え……えーと、そう、だと思うけど……」
臨の勢いに気圧されたのか、幽霊の言葉はなんだか自信なさげだった。
「やったー! 今日はいい日だなあ。喋る狸と幽霊にまで会えるなんて!」
そんなに喜ぶことかよ……
臨は親友だが、その考えは僕には理解できない。
幽霊は頬をひきつらせて、はあ、なんて言っている。
「貴方たち……子供、よね? こんな時間にこんな所うろついていたら駄目じゃないの?」
「大丈夫です!」
被せ気味に臨が言う。幽霊に心配されるとかどういうことだよ。
「それよりなんでこんなところにいらっしゃるんですか? 噂では来た人を追い掛け回すって話ですけど」
追い掛け回すなんて初耳だぞ、臨!
僕はさらにリモを抱きしめる力を強くさせた。
「ちょっと紫音さん、苦しいですよ?」
「あ……ごめん」
正直、今の状況は訳が分からなくてリモを抱きしめずにはいられなかった。
ちょっとごわっとしている毛皮だが、それでも丸いフォルムは僕を落ち着けさせてくれる。
良かった、リモがいて。
「だって、誰も私の話聞いてくれないんだもん! 追いかけるに決まってるじゃないの」
そう幽霊は主張し、目元に手をやる。
……泣いているのか? いや、幽霊って泣くのか?
そんなことを考えていると、臨がずい、と幽霊に近づき言った。
「お願いってなんですか? 俺たちが聞きますよ!」
今、さらっと僕まで巻き込みやがった。
臨の言葉を聞き、幽霊はぱっと表情を明るくさせて言った。
「ほんと? じゃあ、私のお腹をばっさり斬ってほしいの!」
あまりにも明るい声で幽霊が言うので、僕は言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
……ばっさり斬るってどういうことだ?
幽霊は下を俯き、お腹のあたりをさする仕草をしながら哀しげな声で言った。
「私、妊娠中に事故で死んじゃって……お腹にいた子が死にきれないとずっと泣いていてそれで私も成仏できないでいるの。だから私のお腹を斬ってくれたら! 一緒に成仏できるはずなの!」
妊娠、事故……その言葉だけで心が痛む。
そう言えば、少し前に大きな事故があったって病院で聞いたっけ?
詳細は聞いていないし調べなかったけれど、その関係者だろうか?
「斬ればいいんですね?」
臨は言うと懐中電灯の電源を切り、僕の方に戻るとスマホと財布と一緒に僕に差し出した。
「これ、預かってて?」
「あ、ああ」
何をしようとしているのか気が付き、とりあえず僕は預かった物を鞄にしまう。
そして臨は幽霊の方に戻ると、左手をかざした。
その手に雷でできた光の剣が現れ、臨の髪がふわりと浮く。
「って、ほんとに斬るのかよ、臨!」
「え? だって、彼女のお願いだよ? 断る理由なんてないじゃないか」
言いながら臨は不思議そうな顔をして僕を振り返る。
「いや、斬る前に他に聞くこととかなくない? 名前とか、伝えたいことがないかとか」
「そんなこと聞いてどうするの」
臨に真顔で言われ、僕は押し黙る。
僕は、今の仕事を始めて不慮の事故や事件で家族や恋人を失った人の記憶を消してきた。
彼ら彼女らは色んな後悔を抱えていた。
だから、残された人に何か伝えられるなら伝えたほうがいいんじゃないか、と僕は思うけれど。
「それを聞いて、残された人は幸せだと紫音は思うの?」
「それは……」
僕は繋ぐ言葉を考えてたが、何も出てこなかった。
残された人たちの顔なんて、僕はもうろくに覚えていない。
けれど心のどこかに、彼らの想いは残っているような気がする。
こうしたかった、伝えたかった。やらなかったことによる後悔は、いつまでも残り続ける。
だから、亡くなった人も何か伝えたいんじゃないのかと思っていた。
けれど臨の言う通り、それを聞かされたとして残された側は嬉しいだろうか?
……辛すぎる想いがあるから、僕は残された人たちの記憶を消したんじゃないか。
今更掘り起こしてどうなる?
「そんなのエゴだと、俺は思うよ」
「ちょっと貴方たち、何言ってるの? 私のお願い聞かないつもり?」
怒った様子で幽霊が僕と臨の間に割り込んでくる。あ、この幽霊動けるんだな。
彼女は僕と臨の方を交互に見て言った。
「ここまで聞いといて? もし聞かないとか言ったら……」
幽霊の言葉と共に、空気がピーン、と張りつめる。
『お前ら全員、この場でとり殺してやる!』
「え、なんで?」
僕が呟くと、臨が幽霊に近づき、無言で後ろから真っ二つに切り裂いた。
共に、赤ん坊の泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
何が起きたのか理解するのに、どれだけ時間がかかっただろうか?
幽霊は振り返ると、
「ありがとう」
と、さっきとは打って変わって優しい声で言い、すーっ、と消えていった。
臨は剣を消すと、あ、と呟いた。
「あの化け物のこと聞くの忘れてた」
「あ……」
幽霊はすでに跡形もなく、消え去ってしまっていた。
どこかでふくろうが鳴いている。
風が吹き枝が揺れ、葉が擦れる音が響く。
この場所に他にも幽霊や妖怪がいるのか、僕たちにはわからなかった。
むしろなぜ、リモと話せたりあの幽霊が見えたりしたのか疑問だった。
臨は細い獣道の奥を指差す。
「このままいけば例の社があるけど、行ってみる?」
「え?」
驚き臨を見れば、彼の目はとても輝いていた。
好奇心の塊。といえばいいだろうか?
僕が拒否しても、臨はひとりで足取り軽く進んで行きそうだ。
「幽霊には会ったんだし、もう帰ってよくね?」
どうせ拒否されるだろうと思いつつ、僕は主張してみる。
少なくともあの幽霊は化け物とは関係ないっぽい。
容姿が違う。
耳もないし尻尾もない。それに、実体がそもそもなかった。
臨は顎に手を当て、森の奥を見つめる。
「うーん……気にはなるんだけどなあ」
「僕は嫌だ。行きたくない。行くならひとりで行け。お前なら大丈夫だろ?」
「えー? 荷物持っていてもらわないとスマホや懐中電灯、壊れちゃうしなあ」
「おいこら待て。僕は荷物係か!」
リモを抱きしめたまま僕は臨に近づき、苦情を申し立てる。
彼は声をあげて笑い、
「ははは。そうじゃないけど、でもなくしたら困るし、雷で明るくなるとはいえ、辺りに浮かばせることまでできないしねえ……あ、そうか。それできたら便利だよね。雷の塊で辺りを照らすの。できないかな」
最後はひとりごとになり臨は手を宙にかざし、雷をバチバチと出現させる。
「そんな研究はあとでいーだろーが! ほら、帰ろうぜ!」
「あー、うん、そうだね。あんまり遅くなると面倒かも」
僕はスマホを取りだし時刻を確認する。
すでに二十時半を過ぎている。
「あ、さすがに帰らねーと」
「補導されたくはないしね。仕方ない、今日は諦めるよ」
言いながら、臨は僕に手を差し出してくる。
スマホと懐中電灯を返せ、と言う事だろう。
そう思い、僕はカバンの中からそれらを取りだし臨に手渡した。
「ありがとう、紫音」
「あぁ。行こうぜ、臨」
「うん」
僕は向きを変え、歩いてきた道を引き返す。
その時、リモがひく、と鼻をひきつらせ、きょろきょろと辺りを見回した。
「リモ?」
僕が声をかけると、リモはびくん、と身体を震わせる。
そして、首をぶんぶんと横に振り言った。
「早く帰った方がいいです。たぶん、危ないから」
「言われなくても帰るよ」
僕たちは、リモが何を言いたいのか考える間もなく、足早にその場を後にした。