テラーノベル
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一月。雪が、谷を埋めた。
峠の道は、週に二日しか通れなくなった。それでも、交換は、続いた。木曽の男たちが、雪を踏んで、米を担いで上がった。隣村の男たちが、味噌と薪を。下流からは、塩。
証は、六百枚になっていた。
三つの村は、冬を越していた。年寄りは、死んでいなかった。味噌はあり、塩はあり、薪はあった。大畑は、何も言わなかったが、要を見る目が、秋とは違っていた。
要は、それを、仕組みの勝利だとは思わなかった。三つの村の人間が、雪の中を、十キロ、担いで歩いた。それが、冬を越させた。仕組みは、担ぐ理由を、作っただけだ。
*
一月の終わりに、証が、止まった。
最初に気づいたのは、つむぎだった。
「要さん。米屋に、証が、来ない」
「来ない?」
「先週、受け取ったのは、十二枚。その前の週は、四十枚。その前は、八十枚。減ってる」
要は、三冊の台帳を見た。発行は、続いていた。週に、五十枚から七十枚。回収は、ほとんどない。世の中にある証は、五百八十枚。
五百八十枚が、どこかにある。でも、米屋には、来ない。
「味噌屋は」
「聞いた。同じ。塩屋も。薪小屋も。証が、動いてない」
要は、峠の小屋の、相場の板を見た。
『米一枚 味噌三枚 塩五枚 薪一枚』
先月、味噌は二枚だった。塩は三枚だった。上がっている。
「物が、足りなくなってる」隣村の孫が、板の前で言った。「証を持ってる人が、証を使わない。だから、物が、動かない。動かないから、値が、上がる。値が上がるから、もっと、証を使わなくなる。使わない方が、来週、もっと買えるから」
要は、孫を見た。十九歳が、デフレの構造を、板一枚から読んでいた。
「そのとおりだ」
「どうする」
要は、答えを持っていなかった。
*
夜。要は、村の家を、一軒ずつ、思った。
四十軒。そのどこかに、証が、眠っている。つむぎが見た、二十枚の男。たぶん、他にも、いる。冬が怖い人間。足りないことが、怖い人間。証を、引き出しの奥に、集める。集めると、安心する。安心するから、使わない。使わないから、村に、証がなくなる。証がなくなるから、他の人間も、怖くなる。怖くなるから、持っている分を、使わなくなる。
誰も、悪くなかった。
全員が、怖いだけだった。
「要さん」
つむぎが、火の前に座った。
「証、貯め込んでる人、私、たぶん、わかる」
「言わないんだろう」
「言わない。でも、一つだけ、言う。その人たち、悪い顔じゃない。怖い顔」
「わかってる」
「わかってるなら、どうするの。悪い人なら、罰すればいい。怖い人は、罰しても、もっと怖くなるだけ」
要は、火を見た。
大剥離の前、要は、こういう問題を、見たことがなかった。銀行のシステムに、「怖い」という項目は、なかった。残高と、取引と、承認と、ログ。人間の怖さは、システムの外にあった。
今は、システムの中にある。証を貯め込む人間の怖さが、証を止めている。
仕組みで、怖さを、どうにかできるのか。
「一ノ瀬さんなら、何て言うかな」要は、つぶやいた。
「東京の、公証人の人?」
「江戸の商人の話を、してた。割符。手形。それから、もう一つ、言ってた気がする。江戸の藩札の話。藩が出した紙の金。それが、どうなったか」
要は、思い出そうとした。一ノ瀬の事務所。紙の匂い。棚の、昭和、平成、令和。
「……期限」
「期限?」
「藩札には、期限があるものがあった、って。一年経ったら、紙に戻る。だから、皆、期限の前に、使う。貯め込めない」
つむぎは、少し考えてから、言った。
「証に、期限をつける」
「貯め込んでも、紙になる。だったら、使う。使えば、動く」
「怖い人は、怒る」
「怒る」要は認めた。「でも、怒って、使う。使えば、村に、証が戻る。戻れば、他の人間の怖さが、減る。たぶん」
「たぶん」
「たぶんだ。絶対は、ない」
*
翌朝、要は、三つの村の長に、話をした。
大畑は、黙って聞いていた。隣村の長は、腕を組んでいた。ばあさまは、目を閉じていた。
「期限は、どのくらいだ」大畑が言った。
「半年。発行から、半年。半年経ったら、峠の小屋で、新しい証と、交換する。交換しなければ、紙になる」
「交換するなら、同じことだろう」
「同じじゃないです。交換するには、峠に、持ってこないといけない。持ってきたら、三人の立会いが、枚数を、台帳に書く。誰が、何枚、貯め込んでいたかが、わかる」
「わかって、どうする」
「何もしません。ただ、わかる。本人も、自分が何枚貯め込んでいたかを、三人の前で、言うことになる。それだけで、たぶん、変わる」
隣村の長が、鼻を鳴らした。
「人を、恥で、動かすのか」
「恥じゃないです」要は言った。「顔です。顔を見られて、枚数を言う。それが、評判になる。評判は、盗めない」
ばあさまが、目を開けた。
「……わしの村で、昔、そういうことがあった」
全員が、ばあさまを見た。
「塩を、貯め込んだ家があった。村の塩が、足りなくなった。村長が、その家に行って、言った。『お前の塩は、お前のもんだ。だが、お前の顔は、村のもんだ』。その家は、翌日、塩を出した」
沈黙があった。
「期限、やってみろ」ばあさまは言った。
リフェアリー
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コメント
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「期限」、めっちゃ生きた手応えのあるアイデアだと思いました…。デフレの構造を村の規模で描くってすごくないですか。つむぎの「悪い顔じゃない、怖い顔」って台詞がじわじわ来ました。貯め込む人の心理を「悪」じゃなくて「怖れ」で説明するところ、本当に優しいし真っ当だと思います。ばあさまの「顔は村のもんだ」も痺れた…。要が仕組みの外側にある人間の怖さと向き合い始めた第27話、この冬がどう動くのか気になって仕方ないです。