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ダフネはストレートの黒髪に赤目という、ここイスグラン帝国ではごく一般的な見た目をした女の子で、ゆるいウェーブのあるくすんだ暗めの髪色にマラカイトグリーンの目をしたリリアンナとは似ても似つかない容姿の義妹だった。
リリアンナの母親マーガレット・エリザベス・ウールウォードが、隣国マーロケリー国の流れを汲む令嬢で、リリアンナはマーガレットの髪色と瞳の色を色濃く受け継いだのだ。
昔は隣り合った国と言うこともあって国交のあったイスグラン帝国とマーロケリー国だが、十数年前マーロケリーにイスグランが戦争を吹っ掛けて以来、ほとんど交流がない。
リリアンナの母マーガレットも、その影響で親元へ戻ることが出来なくなって、リリアンナは母方の祖父母や縁戚関係者には一度も会ったことがないのだ。
幼い頃に旅行先の船内で母からもらった林檎の実は、マーロケリー国の特産品で、イスグラン帝国で見かけることはほとんどない珍しいものだと、リリアンナは大きくなってから知った。
たまたま船内にいた貿易商が持っていた品の中からミチュポムを見つけたマーガレットが、リリアンナにも自分の故郷の味を食べさせたくて買ったのだ。
結局三つ買ったうちの一つを体調が悪そうだった紳士――確かランディと名乗った――にあげたのだが、幼かったリリアンナはそれ以外のことを余り覚えていない。
ランディと名乗った男はどこかの統治者になると言っていたが、それが首都エスパハレでなかったことだけは確かだ。
庭に植えられたミチュポムの木は、そのとき食べた果実に入っていた種子を、母親が持ち帰ってきて大切に育てていたものだ。
どんなに叔父一家にいじめられても、この木のそばに立てば、母親の気配を感じられるようで何とか頑張れたリリアンナである。
その木が植えられたのはリリアンナが六つの時だったから、庭の若木にはまだ花も咲かなければ結実することもない。だがあと数年も待てば、ルビーのように真っ赤な、愛らしい小ぶりの実を結ぶことだろう。
***
イスグラン帝国には金髪・碧眼の者や黒髪・赤眼の者が多く、リリアンナのような赤毛に緑の目をした人間は殆んどいない。
マーロケリー国との国交が途絶えて十数年が経った今では、敵国の色味として忌み嫌われる対象ですらある。
それもあって、リリアンナは叔父夫婦に引き取られてから約二年間、それを理由に迫害され続けてきたのだ。
「本当アンタは役立たずだねっ!」
養母エダからの叱責には、必ずと言っていいほど続きがある。
「これで容姿がダフネみたいに恵まれていれば金持ちの貴族に金で売り払うことも出来るものを。母親似のその汚らわしい見た目じゃあ相当なもの好きくらいしかアンタのことを欲しがらないよ!」
リリアンナとしては亡き母を思い起こさせる愛しい自分の容姿も、エダにとっては忌まわしき対象でしかないらしい。
「お母様ぁ、そんなに言ってはお義姉さまが可哀想よぉ?」
クスクス笑いながらそばにあったインク壺を手にした義妹が、リリアンナの頭頂からそれをダラダラと注ぎかけた。
没食子(カシやナラの木の枝にできる虫瘤)と鉄をワインに漬け込んで作るインクは、基本的には無臭とされているけれど、浴びせかけられたからだろうか。リリアンナはほんのちょっとだけ酸っぱい香りを感じて、うつむいたまま眉根を寄せた。
インクはリリアンナの赤毛を伝って、ポタポタと床や服に滴り落ちる。
今はそれほど濃く見えない薄墨色をしているそれが、空気と反応して酸化が進むにつれ、黒みを増して紫黒色になることをリリアンナは経験から知っていた。
リリアンナが持っていたドレスの殆んどは、取り上げられてダフネのものになっている。
代わりにリリアンナに宛がわれているのは、綿で作られた型遅れのブラウスが三着と、シンプルなロングスカートが二枚だけ。
インクが乾ききってしまうと汚れが沁みになってしまうのでそれだけは避けたかった。
「ほら、気持ちの悪い緑色の目のは無理でも、髪の色はこうすれば少しは見られるようになりますわっ」
さも義姉のために良いことをしてあげたと言わんばかりの口振りで告げたダフネに口ごたえをすれば、さらにひどい仕打ちをされる。
「有難う、……ございます」
リリアンナはこの場から少しでも早く立ち去りたい一心でうつむきがち。目にインクが入らないよう気を付けながら視線を伏せたままダフネへ礼を言うと、ダフネのすぐそばで一部始終を見ていたエダが、満足げにふんっと鼻を鳴らしたのが分かった。
「感謝の気持ちぐらいすんなり言えないものかしらね。ホント愚図な子」
エダの嫌味に「申し訳ありません」と一礼すると、エダは満足したように「床が汚れるからさっさと引っ込んでちょうだい」とリリアンナをしっしと追い払った。
***
ランディリックが、ウィリアムからずっと気に掛けていた少女――リリアンナ・オブ・ウールウォードの現状についての知らせを受けたのは、彼女が叔父一家からそんな扱いを受けている頃のことだった。