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side 元貴
朝の電車は、いつもより混んでいた。
(まあ、すぐ着くし)
僕はそう思って、奥に押し込まれる。
人の体温。
押される肩。
こういうの、ちょっと苦手。
でも平気。
――のはずだった。
背中に、違和感。
最初はただの圧力だと思った。
混んでるし。
仕方ない。
でも、 それは圧じゃなかった。
ゆっくり。
確かめるみたいに。
「……っ、」
息が止まる。
理解した瞬間、体が固まる。
(え……)
頭が真っ白になる。
逃げなきゃ。
そう思うのに。
足が動かない。
声も出ない。
心臓だけがうるさい。
周りはいつも通り。
誰も気づかない。
僕だけが変。
僕だけが、分かってる。
(やめて)
心の中で何度も言う。
でも体は動かない。
怖い。
振り向くのも怖い。
もし睨まれたら。
もし逆に怒鳴られたら。
「何か?」
って言われたら。
僕、言える?
言えない。
そのまま時間が過ぎる。
次の駅。
ドアが開いた瞬間、無理やり抜け出す。
ホームに降りた途端、足が震える。
呼吸が荒い。
手が冷たい。
何もされてない顔で歩く。
でも中身はぐちゃぐちゃ。
トイレに駆け込む。
鍵を閉めて、しゃがみ込む。
「……っ」
涙が出る。
悔しい。
怖い。
気持ち悪い。
でも一番強いのは、
(なんで動けなかったの)
っていう自分への怒り。
叩けばよかった。
声出せばよかった。
僕が弱いだけじゃん。
鏡を見る。
目が赤い。
でも、これから仕事がある。
「……大丈夫」
無理やり笑う。
夜。
家のドアを開けると、いつもの匂い。
「おかえり」
若井の声。
その瞬間、胸がぎゅっとなる。
安心してしまう。
「……ただいま」
涼ちゃんが近づいてくる。
「疲れてる?」
「うん、ちょっと」
普通に言えた。
でも、背中に手が触れた瞬間。
びくっ。
体が勝手に跳ねる。
静まり返る部屋。
「元貴?」
若井の声が低くなる。
逃げたい。
でも隠しきれない。
「……ごめん」
涙が、勝手に溢れる。
「電車で」
それだけで、空気が変わる。
「触られた」
小さな声。
でも、はっきり。
若井の目が、冷える。
涼ちゃんの呼吸が止まる。
「……いつ」
「今日」
沈黙。
重い。
僕は慌てて言う。
「大したことないよ、ちゃんと逃げたし、っ」
若井が一歩近づく。
「大したことある」
震えてる。
怒りで。
「なんで連絡しなかったの」
責めてない。
でも苦しい声。
「迷惑かけたくなかった」
本音。
その瞬間、涼ちゃんが僕を抱きしめる。
「迷惑って何」
優しいのに、少し怒ってる。
「僕たち、何のためにいるの」
僕の涙が止まらない。
「動けなかった」
声が震える。
「怖くて」
「当たり前だろ」
若井が即答する。
「固まるのは普通だよ」
強い声。
でも目が赤い。
「悪いのは相手」
涼ちゃんが何度も背中を撫でる。
「元貴は悪くない」
その言葉が、やっと胸に落ちる。
さっきまで自分を責めてた心が、少しほどける。
若井が額をくっつける。
「俺、守れなかった」
「違うよ」
僕が首を振る。
「僕が言わなかった」
「それでも」
若井の声が低い。
「もう一人にしない」
涼ちゃんも頷く。
「怖いなら、怖いって言って」
「僕たちにだけは」
僕は泣きながら頷く。
「……怖かった」
やっと言えた。
その一言で、二人の腕が強くなる。
触られた感覚は消えない。
でも。
抱きしめられてる温度が、上書きしていく。
その夜、僕は二人の間で眠る。
何度も目が覚める。
でもそのたびに、
「いるよ」
って声がする。
もう一人じゃない。
それだけで、少しだけ強くなれる。