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#さくいわ
桔梗
35
ゆき
433
線香の匂いが春を待ちわびたような風に乗せられて、高く高く登っていく。やがてそれは、天国まで届くのだろうか。それかシャボン玉のように、届くより前に儚く消えてしまうのだろうか。行く末は、誰にも分からない。
黒色のロングコートの袖から出た指先が冷たくて、俺はそっとポケットに忍ばせた。温まったカイロが乾いた熱を与えてくれる。今日は叔父さんの一回忌だった。親戚一同で墓参りを済ませて、今は大人たちが談笑をしている。年の若い子供はこの家系には俺一人しかいなくて、俺は淡々とついていけない話が繰り広げられる時間に退屈していた。
そっと風の吹く方へと目を向ける。さっと山の開けたそこには鮮やかな海がある。穏やかな快晴の青色と残酷なほど生命力に満ちた海の色のコントラストが綺麗で、まるで有名な写真家が撮った作品のようだった。冷たい風が頬を刺す。その突風は、俺を海へと誘っているようだった。「おいで」と手招くように。
大人たちをくぐり抜けた俺は坂道を下って、浜辺へと降りていった。白い砂に僅かなゴミが混ざったそこには誰もいない。こんな季節で、なにしろ地元の人ですらあまり来ないような海岸だ。俺は静かに息を吸って、長く吐いた。ざーざーと音を立てて押しては引いていく波をぼんやりと眺める。俺はその辺に落ちていた木の枝を適当に拾い上げて、砂浜に線を描いた。なんの意味もない、境界線。
ざばっと音がして足元の色が変わる。先ほど書いた線は呆気なく消えていて、その代わりのように足元に淡いピンク色の何かが現れた。なんだこれ。俺はその場にしゃがんでそれを指先で拾い上げる。それは角の取れた丸いなにかだった。磨かれていないそれは濁ったように表面が霞んでいて、ただの石のようで、それでいてなぜか宝石のような魅力があった。
俺は波に濡れてしまわないようにそっと立ち上がって海岸から離れていく。手の中に小さく収まったその石を握りしめて皆のもとへと戻ろうとした、その時だった。
「それ、おれの……!」
「……え?」
背後から突然声がした。は? いや、ありえないでしょ。だって、さっき誰もいなかったじゃないか。人が隠れられるような岩もないし、この浜辺には俺一人しかいなかった。……じゃあ、この子供の声は?? 俺は途端に恐ろしくなって足がすくんだ。春の昼間とはいえど、この手の話はとてつもなく苦手なのだ。俺は手に握りしめた石をぐっと掴んで、意を決して振り返った。何かいたら逃げよう。何もいなかったら……その時も逃げようと、覚悟して。
ぎゅっと目を瞑って俺は身体を反転させる。そして薄目でそこを確認しようと、震える瞼をこじ開けるとそこには見慣れない髪色をした少年がいた。少年とはいえ、俺と変わらないくらいに見える。海に身体を沈めて、肩から上を水面から出しているその少年は少し離れた場所から俺を睨むように見つめていた。しかし、なぜ、
「……ピンク?」
その少年の髪色が、鮮やかなピンクなのだ。そうだ、ちょうどこの石のような色をしている。海水浴でもしていたのだろうか? え? こんな時期に? それに、肌は濡れているのに髪の毛はふわりとしていて濡れている様子ではない。瞳は明るい茶色をしていて、太陽の光を含んだそれはキラキラと輝いていた。睫毛は長くて肌は白い、人形みたいな子供だった。
少年は俺と目が合うと途端に顔を背けた。なんだか、怯えてる? そんな様子の少年は威嚇をするようにもう一度声を放った。波がざばんと大きく歪む。まるで、少年の情緒と共鳴しているように。
「……それ、おれのなんだけど」
「……え、あぁ、これ?」
ピンク髪の少年は俺の握った手を指差して拗ねたような声でそう言った。こちらを見ているものの、なぜか目が酷く泳いでいて一向に視線が合わない。人見知りなのか? そもそも、なんでこいつはこんな派手な髪色をしてるんだ? そんな髪色に釣り合わず少年は少し怯えたように俺をみる。
というかこれ、こいつのものなら返さないと。そう思い、少年の方へと足を進める。すると少年はびくっと体を震わせて海の中で後ずさりをした。俺はどうしたものかと思いながらもそっと近づく。そして、ようやく伸ばしたら手が届くほどの距離で少年にその石を手渡した。ピンクの石を包みこんだ少年の指先は白く細く、美術の教科書に載っていた彫刻を彷彿とさせた。
突然、少年がざばんと音を立てて姿を消す。俺が呆気にとられているうちに少年は再び海面から顔を出した。そうしてやっと、俺の思考は「潜っていたのか」と認識する。春の冷たい海水が頬にぴたりと張り付く。なぜか、その海の体温を不快には思わなかった。
「……ありがと」
少年はどこか儚げな笑みを浮かべて軽く頭を下げた。その動きはどこかぎこちなくて、一生懸命に親の真似をする子どものように見えた。俺は「どういたしまして」と返事をして、絶妙な気まずさの対処法を考えた。こいつもあまりおしゃべりではなさそうだし、一体何を話せばいいというのか。学校の話? いやでも、いま春休みだし、宿題もないし……。あ、そうだ。
「……いくつ?」
「え?」
「歳、いくつ? 俺は11歳。もうすぐ12だけど」
「とし……?」
少年はこてんっとメトロノームのように左右に首を傾げるだけだった。なんだ、秘密にしたいのか? そしたら……好きなものとか? 気に入っている給食のメニューとか、好きな教科とか? いや、そもそもそんな雑談なんてする必要あるのか? 俺はそっと後ろを振り返って、丘の上の墓地を眺めた。今帰ってもきっと大人たちはまだつまらない話を繰り広げているだろう。そしたら、まだこいつと話してるほうが楽しいかもしれない。歳はわからなかったけど、近そうだし。
「……寒くないの?」
「さむくないよ」
「なんで海で泳いでるの?」
「……すき、だから」
「海が?」
俺が問いかけると、少年は「うん」と小さく頷いた。いくら海が好きだとはいえ、この季節は流石に寒いだろう。夏でも水温が低いとかでプールの授業が休みになるんだから。俺は確かめるようにそっと海に指先を沈めてみる。そしてすぐに引っ込めた。つめたい。風邪を引いてしまうのではないかと心配になって少年の方を再び見てみたものの、彼は平気そうに空を眺めていた。……変なやつ。
「……あ、名前は?」
「なまえ?」
「そう。俺、岩本照。照らすって書いて、ひかる」
少年は「ひかる」と小さな声で繰り返した後に「うーん」となにかを悩み始めた。俺に名前を教えるのか迷ってるのか? いくら秘密にしたがりだったとして、名前くらいいいじゃん。俺は拗ねたようにちょっとだけ唇を尖らせる。小さい頃からの癖だった。少年はそんな俺を見て、慌て始めた。なんだ、気持ちを察するのは得意なのかよ。
「……っぁ、さ!」
「さ?」
「さくまっ……!」
「佐久間?」
俺が聞き返すと少年はぶんぶんと首が取れそうなくらいに激しく頷いた。そして、どこか嬉しそうな表情をしていた。ふわりと揺れるピンク色の髪が、お姫様のドレスみたいだった。思わず「きれい」と声を漏らすと、少年の肌が少しだけ赤く染まったように見えた。雲の切れ間から現れた太陽の光が俺たちに降り注ぐ。春のひだまりは暖かくて気持ちがいい。俺はおもわず欠伸をした。すると、なぜか佐久間も俺の真似をして欠伸をした。なんだかそれがくだらなくて、笑ってしまった。また俺を真似るように、佐久間も笑った。なんだか動きや行動が全部ぎこちないやつだったけど、笑うのだけは俺よりも上手だった。
「おーい! 照!!」
背後から突然声がする。振り向くとそこには黒いスーツを着た父親がこちらへ走ってきているところだった。ぽちゃりと水の音がした。砂に足を取られて少し走り辛そうにしている姿を見て、俺はそちらへと歩み寄った。傍まで近づいてきた父親からは、煙たい匂いがした。
父親は「いなくなって心配したんだぞ」と大きな手で俺の頭を撫でた。俺は「ごめんなさい」とあまり心のこもっていない謝罪を口にして、父親と丘の方へと歩いていく。そして、その途中で佐久間に「さようなら」を口にしていないことを思い出して俺は振り返った。しかし、そこには誰もいなかった。ただ、波が白い泡を立てて踊っているだけだった。
立ち止まった俺に気がついた父親が「照? どうした?」と声をかけてくる。本当に佐久間は人見知りなんだろうな。でも、話してみればいいやつだと分かった。素直で、笑った顔が穏やかで、作り物みたいに綺麗だった。
「変なやつ……笑」
また会えるといいな。心のなかでそう呟いて、俺は父親の方へと戻っていった。「なんでもない」と伝えてからもう一度だけ振り返る。そして、そっと小さく手を振った。春休みが明けたら、友達にこのことを話してみよう。綺麗なピンク髪の友達ができた、なんて、みんな信じてくれなさそうだけど笑。
コメント
1件
は〜。もう期待しかない💦