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約束の日。
康二は、いつもより少し早く目が覚めた。
窓の外は、まだ薄暗い。
スマホを手に取ると、翔からメッセージが届いていた。
翔太:おはよう。今日、よろしくね
康二は少し笑って、返信する。
康二:おはよ! こちらこそ
たったそれだけのやり取りなのに、胸がいっぱいになった。
今日、二人で話す。
これからのこと。
お互いの気持ち。
そして、二人がどうしていきたいのか。
何度も考えた。
考えて、考えて。
でも、最後に残った気持ちは、いつも同じだった。
――翔太と、一緒にいたい。
*
夕方。
康二が働くカフェ。
二人が初めて出会った、あの場所。
雑誌の撮影で翔が訪れた日、康二は彼をただの有名人だと思っていた。
少し緊張して、敬語で話して。
それなのに、何度も会ううちに、少しずつ距離が縮まって。
「タメ口でいいよ」
そう言われて、思わず関西弁が出てしまった日。
翔太が笑ってくれたこと。
初めて二人で出かけた日。
気持ちを伝え合った日。
そして、自分から距離を置こうと決めた日。
全部、この恋の一部だった。
カラン。
ドアベルが鳴った。
顔を上げると、翔太が立っていた。
「……お疲れ」
「……お疲れさま」
二人は少しだけ笑った。
「久しぶり、ってほどでもないか」
「うん。でも、なんか久しぶりに感じるな」
翔太は、店内を見回した。
「ここ、変わんないね」
「そらそうやろ。カフェやもん」
「ははっ、確かに」
いつものやり取り。
いつもの笑顔。
それだけで、康二は泣きそうになった。
*
閉店後。
二人は窓際の席に向かい合って座っていた。
初めて翔太が康二とゆっくり話した、あの席。
翔太は、テーブルの上に置いた手を見つめていた。
「……俺さ」
「うん?」
「最初にここに来たとき、こんなことになるなんて思ってなかった」
康二は小さく笑った。
「俺も。まさか翔太とこんな関係になるなんて、思ってへんかったもん」
「最初、敬語だったよね」
「やめて、恥ずかしいから!」
「『ほんまに?』って急に関西弁になったとき、ちょっとびっくりした笑」
「もうええって!」
二人で笑う。
けれど、笑い終わると、少しだけ静かになった。
翔太が、ゆっくりと顔を上げる。
「……康二」
「ん?」
「俺、康二と出会えてよかった」
その言葉に、康二の笑顔が止まった。
「……なんで急に、そんなこと言うん」
「ちゃんと伝えたかったから」
翔太はまっすぐに康二を見つめた。
「俺、仕事が好きなんだ。応援してくれる人たちも、メンバーも、全部大切」
「……うん」
「でも、康二と出会ってから、頑張る理由がひとつ増えた」
康二の目に、涙が浮かぶ。
「疲れたときに、康二と話したいって思う。うれしいことがあったら、一番に伝えたいって思う」
翔太は少し照れたように笑った。
「康二が笑ってくれると、俺もうれしいんだよ」
「……翔太」
「だから、これからも一緒にいてほしい」
康二は、ぎゅっと手を握った。
「……俺な」
声が震える。
「翔太のこと、ほんまに好きやねん」
翔太は黙って聞いていた。
「好きやから、ずっと怖かった。俺のせいで翔太の大切なものがなくなったらどうしようって。翔太が頑張ってるのを、俺が邪魔したらどうしようって」
涙が一粒、頬を伝った。
「翔太が有名な人じゃなかったら、こんなこと考えんでよかったんかなって……何回も思った」
「……うん」
「でもな」
康二は涙をぬぐった。
「翔太がどんな仕事をしてても、どんなに忙しくても、俺が好きになった翔太は、翔太やねん」
言葉が途切れる。
うまく話せない。
それでも、伝えたかった。
「俺、翔太が頑張ってる姿が好き。みんなに笑顔を届けてる翔太も好き。でも……俺と話してるときに、普通に笑ってくれる翔太も、大好きやねん」
翔太の目が、少し潤んだ。
「……康二」
「せやから、もうひとりで決めへん。怖くなったら、ちゃんと翔太に話す。翔太の気持ちも聞く」
康二は涙をぬぐいながら、笑った。
「これからも、一緒に考えていきたい」
翔太はしばらく何も言わなかった。
そして、ゆっくりとうなずいた。
「……うん」
その声も、少し震えていた。
「ありがとう」
翔太は目を伏せ、笑った。
「俺、康二に出会えて、本当によかった」
その言葉を聞いた瞬間、康二はとうとう泣き出してしまった。
「……もう、ほんまに……泣かせんといてや……」
「え、俺のせい?笑」
「翔太のせいやん……!」
翔太は困ったように笑いながら、テーブルの上に置かれた康二の手に、自分の手をそっと重ねた。
「……ごめん」
「……謝らんでええよ」
康二は涙で濡れた顔のまま、笑った。
「うれしいから、泣いてるだけやもん」
翔太は、その顔を見つめていた。
そして、静かに言った。
「これからも、よろしくね。康二」
「……うん」
康二は、しっかりとうなずいた。
「こちらこそ、よろしくな。翔太」
*
帰り道。
駅までの道を、二人は少し離れて歩いていた。
人目がある場所では、恋人らしく振る舞えない。
それは、これからも変わらないかもしれない。
それでも。
駅に着く少し前、翔太が立ち止まった。
「康二」
「ん?」
「今日、来てくれてありがとう」
「……約束したやん」
「うん。でも、ちゃんと言いたかった」
翔太は笑った。
「俺、明日からも頑張れそう」
康二は、目を細めた。
「……俺も」
二人は少しだけ見つめ合い、それぞれの改札へ向かった。
別々の道。
別々の生活。
でも、心の中には同じ約束があった。
いつか、今よりもっと安心して一緒にいられる日が来るように。
その日まで、お互いの大切なものを大切にしながら、歩いていこう。
*
翌朝。
康二はいつものようにカフェの準備をしていた。
コーヒーの香りが店内に広がる。
テーブルを拭いて、椅子を整えて、窓の外を見る。
すると、スマホが震えた。
翔太:おはよ
康二は笑った。
康二:おはよ! 今日も頑張ってな!
翔太:康二もね
そして、もう一通。
翔太:また、あの席で話そう
康二は、窓際の席を見た。
二人が初めてゆっくり話した席。
悩んだ日も、笑った日も、泣いた日も。
たくさんの思い出が詰まった場所。
康二は、ゆっくりと返信した。
康二:うん。いつでも待ってるで
送信したあと、康二は小さく笑った。
恋は、映画みたいに簡単じゃない。
好きだからといって、すべてがうまくいくわけでもない。
それでも。
誰かを大切に思う気持ちが、明日を頑張る力になることがある。
何気ない一言が、一日を明るくしてくれることがある。
そして、何度でも帰ってきたくなる場所がある。
康二にとって、それはこのカフェだった。
そして、翔太にとっても。
ここは、ひとりのアイドルではなく、ひとりの人間として笑える場所になった。
カフェのドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ!」
康二は、いつもの笑顔で顔を上げた。
今日も、いつもと同じ一日が始まる。
けれど、その日常は、昨日より少しだけ輝いて見えた。
――『カフェでのひととき』 完。
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