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緩やかなカーブを描く栗色の髪。細いのに出るころは出ている身体包むのはベージュのスーツで、ブラウス胸元から僅かに谷間が見える。
目じりが少し下がった大きな瞳が、園香を観察するように見つめていた。
彼女はしばらくすると、なにかに驚いたように潤いがある厚めの唇を右手で覆った。
指先の上品なピンクベージュのフレンチネイルが、よく似合う。全ての手入れが行き届いた美しい女性。
(この人は……)
名乗られなくても直感した。彼女が夫が“誰よりも信頼する”パートナーだ。
しかし一体なぜこの場にいるのだろう。
病院で会うのは難しいと理由もあわせて伝えている。退院日だって同じようなものだ。それくらい分かりそうなものなのに。
思わず夫に非難の目を向けてしまったが、彼は園香の気持ちに気付かないのか、それとも気にしないのかにこにこ上機嫌に微笑みながら口を開いた。
「園香、こちらは何度か話した、ビジネスパートナーの名木沢希咲さんだ」
瑞記の言葉と同時に希咲が微笑む。
「お久しぶりです、奥様。あ、ごめんなさい覚えていないんですよね」
すぐに反応出来なかった園香を見て、希咲が困ったように眉を下げる。
彼女に記憶の件を知られているのは分かっていたけれど、こうも遠慮なく言われると気分が良くない。
「私たち何度か会ったことがあるんですよ。奥様が私たちの仕事についてかなり気にしていたようなので、丁寧に説明させて貰ったんです」
よくない先入観があるせいか、彼女の言葉に含みがあるように感じてしまう。
希咲とは対照的に暗い表情の園香の態度に苛立ったのか、瑞記が責めるような表情になる。
「園香、返事くらいしたらどうだ?」
「……ごめんなさい、お客様がいらっしゃると知らなかったので驚いてしまって。名木沢さん失礼しました」
本当は謝りたくなんてなかったが大人として失礼な態度であったのは自覚している。
(電話で話したときに瑞記が言ってくれたらよかったのに)
園香は彬人が一緒だとちゃんと伝えている。必要な情報だと思ったからだ。
夫はただ気遣いが出来ないだけなのだろうか。
(それともわざと?)
文句を言わせない為に、事前に知らせなかったのだとしたら……。
「瑞記、奥様の親戚の方も紹介して」
考え込んでいると、再び希咲の声が耳に届く。
「ああ。彼は白川彬人。園香の遠縁なんだ。ソラオカ家具店の社員で将来の重役候補だって言われている」
「それはすごいわ。彬人さん、改めて名木沢希咲です。仲良くしてくださいね」
希咲はそう言って女の園香でも見惚れてしまう華やかで甘い笑みを見せた。
とくんと心臓が跳ねる。この状況に既視感があったのだ。
(なんだろう。以前も同じようなことがあった?)
「初めまして白川です」
でも彬人と希咲は初対面のようだ。
なぜか落ち着かない気分になり戸惑っていると、彬人が瑞記に向かって口を開いた。
「部屋で話したらどうだ? 彼女は退院したばかりだから立ったままでは負担になる」
「ああ、そうだな。二人とも上がって」
瑞記に促されて玄関から繋がる廊下を進む。突き当りの扉の先は広めのリビングだった。
白い珪藻土の壁にライトブラウンのフローリング。ラグとカーテンと布張りのソファはライトグレー。派手さはないがシンプルで清潔感のある印象の部屋だと感じた。ただ特別好みとも思わない。
(このインテリアは夫婦で決めたのかな)
生活していた部屋を見たら記憶が戻るきっかけになるかもしれないと思ったけれど、ぴんと来るものはなくて落胆した。
「園香がソファに座っていいよ。彬人はそっちでいいか?」
瑞記は園香には三人掛けのソファを示し、彬人はオットマンに座るように促した。自分はラグの上に直接座る。
怪我が治っていない園香と客人の彬人に椅子を譲ってくれたのには気遣いを感じて、久しぶりにほっとした気持ちになった。
「ありがとう」
「いいよ。気にしないで」
瑞記も穏やかに微笑んで答える。
(私がにこやかにしてると瑞記の機嫌もよくなるみたい)
失礼だと感じる瑞記の態度は、園香側にも問題があるのだろうか。
(彼との愛情が思い出せないから些細なことが気になるのかな)
もっとおおらかになれば、この先の夫婦生活が上手くいくかもしれない。
「あの、瑞記に聞きたいことがあって……」
「あ、ちょっと待って。お話の前にお茶を淹れちゃいますから」
瑞記に話しかけたのと同時に、希咲の声が割り込んだ。
「え?」
「すぐに戻るので」
希咲はそう言うとキッチンに向かう。慣れた様子に園香は思わず眉を顰めた。
「瑞記、名木沢さんはよく家に来るの?」
「どうしてそんなことを聞くんだ?」
瑞記の声が警戒したように一段低くなる。
(まただ。私が名木沢さんの話をすると彼はすぐに警戒する)
「お茶を淹れるのに勝手がわからないと困ると思ったから」
「ああ。それなら大丈夫。仕事の帰りに何回か来て貰ったことがあるから」
「……そう」
せっかく前向きになった気持ちが早くも萎んだ。
(私は彼女の出入りを容認していたのかな)
その可能性は低い気がする。
希咲の人柄はまだつかめないものの、なんとなく苦手なタイプだとも感じているのだ。
でもその気持ちを瑞記に言っても、きっと伝わらないし、ぎくしゃくするだけ。
「……私の部屋はどこなの?」
園香は希咲について意見を言うのはひとまず諦め、話題を変えた。
それぞれが個室を持っていると聞いているから、早く自分の部屋を確認したい。
「そこだよ」
瑞記が指さしたのは園香の背後だった。振り向くと引き戸の扉があった。扉を外してリビングの一部として仕えるよくある造りの部屋のようだ。
「瑞記の部屋は?」
「俺は玄関の側」
「そうなんだ」
夫婦と言うよりルームメイトのようだと思った。
「お茶を飲んだらゆっくり部屋を見たらいいよ。何か思い出すかもしれないからね」
「ありがとう。そうします」
園香はすっかり疲れた気分で頷く。彬人はさっきからずっと口を挟まずに園香たちのやりとりを眺めていたが、どこか浮かない表情に見えた。
「お待たせ」
微妙に気まずい空気を破るように、明るい声と共に希咲が戻って来た。
彼女は湯気を立てたカップをテーブルに並べると、瑞記と同じようにラグの上に直接座った。