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第6話 傷は、もうない
訓練用の剣を、握る。
握れた。
構える。
構えられた。
身体も、思ったより自然に動いた。汗ばんだ手のひらに、木剣の重みが馴染んでいく。
ここまでは、問題なかった。
模擬戦の相手が、一歩踏み込む。
剣先が、斬月の胸へ向く。
その瞬間。
身体が、止まった。
貫かれた記憶が、鮮明に蘇る。骨と何かが擦れる音。声にならない悲鳴。呼吸が、勝手に浅くなる。
以前の自分なら、ここで歯を食いしばって続けていた。
「武神候補なのだから」
そう自分に言い聞かせて、震える身体を無理やり動かしていた。
だが今は、違った。
斬月は、自分から剣を下ろした。
「……今日は、ここまでにします」
声は、まだ少し掠れていた。それでも、はっきりとした声だった。
模擬戦の相手が、動きを止める。何か言おうとして、結局何も言わずに頷いた。
戦えなかった。
けれど、それを失敗だとは、誰も言わなかった。
自分の限界を知り、自分の意思で止められたこと。
それもまた、回復の一つとして扱われた。
*
数日後。
斬月は、再び訓練場に立っていた。
胸には、傷一つない。肉体は完全に再構成されている。
それでも、剣を刺された記憶は、まだそこにあった。
怖かったことも、覚えている。
自分を刺した兵が、自分への恐怖によって生贄にされたことも、忘れていない。
「武神様」と呼ばれることへの恐れも、消えてはいない。
斬月は、訓練用の剣を握った。
手が、まだ微かに震えている。
「武神になるためですか」
声をかけてきたのは、澄明だった。復帰審査の記録帳を片手に、静かにこちらを見ている。
「あなたの記録は、何度も読みました」
澄明は、記録帳の表紙に軽く指を置いた。
「戦績だけを見るなら、武神候補の誰よりも先に名が挙がる。天界は、あなたにそれを期待しています」
「……分かってる」
「分かっているなら、聞き方を変えます」
澄明の声は、静かなままだった。
「天界の期待は、あなたが今、剣を握る理由になっていますか。それとも」
斬月は、すぐには答えなかった。
震える手のまま、剣を握り直す。
「……まだ、分かりません」
少し間を置いて、続けた。
「だから、自分で決められるところまでは、戻りたいんです」
澄明は、記録帳に何かを書き込んだ。
「その答えで、十分です」
斬月は、剣を構えた。
武神になるかどうかは、まだ決めない。
恐怖を消すことも、傷をなかったことにすることも、目標にはしない。
ただ、自分の未来を、もう一度自分で選べるようになる。
木剣の切っ先が、静かな訓練場の空気を、真っ直ぐに切った。
*
稽古を終えた斬月に、壁際から声がかかった。
「様になってきたじゃねえか」
岐雲だった。腕を組んで、壁に寄りかかっている。いつからそこにいたのか、斬月は気づいていなかった。
「見てたのか」
「見てたっつーか、澄明に呼ばれたんだよ。お前の様子、見といてくれって」
「余計なことを」
「余計かどうかは、俺が決める」
岐雲は壁から離れ、斬月の隣まで歩いてきた。
「手、まだ震えてんな」
「……分かってる」
「分かってて、握ってんのか」
「悪いか」
「悪くねえよ」
岐雲は、そう言って、震える斬月の手に、自分の手を重ねた。
止めるでも、支えるでもなく、ただ隣にあるだけの重みだった。
斬月は、振り払わなかった。
「……俺たち、死んでんのに、まだこんなに怖いもんがあるんだな」
「そりゃそうだろ。死んでも、覚えてることは覚えてるんだから」
岐雲の声は、いつになく静かだった。
「忘れられねえから、俺たちは俺たちなんだよ」
斬月は、少しの間、その手の重みを感じていた。
やがて、小さく笑った。
「……お前、たまにいいこと言うな」
「たまにで悪かったな」
岐雲も、笑った。
重なった手は、しばらく、そのままだった。
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コメント
1件
おお、第6話、読み終えたよ。斬月が「無理に続けない」って自分で決めて剣を下ろした場面、すごく好きだな。あれ、単なる敗北じゃなくて「自分の限界を認めて止める」という選択、回復の一環として扱われるのがしっくりきた。岐雲の「忘れられねえから、俺たちは俺たちなんだよ」も重い。死んでも記憶は消えない、その覚悟と優しさがにじんでて、じんわり来たよ。次も気になる。