テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
ランディリックの執務室の片隅に、分厚い書類の山と並んで、小さな机と椅子が置かれていた。
そこにリリアンナが腰を下ろし、羽根ペンを握っている。
「――この印は、領主が支払いや徴収を確認した際に押すものです」
執事のセドリックが机に帳簿の写しを置き、落ち着いた声で説明する。
実弟の怪我のため、王都エスパハレにある実家へ戻っている家庭教師のクラリーチェの代わりを買ってくれているのだ。
「これは旦那様の印ですが、リリアンナ様が領地へ戻られたらウールウォード家のものがここへ捺されることになります」
リリアンナは素直に頷き、紙に写し取っていく。学ぶ姿勢は真摯に見えるけれど、時折ぼんやりと手が止まったりするところから察するに、心ここにあらずのようだった。
「――では、続きは旦那さまにお願い申し上げます」
そう言い残し、セドリックは屋敷の用事に呼ばれて執務室を出ていってしまう。
基本的にライオール邸で働く使用人たちの取りまとめ役を担っているのは、彼――執事セドリックだった。
掃除や食事の支度から物資の管理まで、日常の営みを円滑に回すための采配を一手に振るっている。
そのため彼は常に忙しく、リリアンナに付きっきりで座学を教え続けるわけにはいかなかった。
結果的に執務室にランディリックとふたりきりで残されたリリアンナは、執務机で書類に目を通すランディリックの傍らで黙々と筆を走らせる。
ランディリックは書類へ目を通す傍ら、時折横目にリリアンナの様子をうかがった。
「数字はなるべく列ごとで揃えるといい。そうすれば桁を見間違えるリスクが格段に減らせる。見やすい帳簿作りも円滑に仕事を回すうえで重要だからね」
「……はい」
ランディリックが気になった点を指摘すれば、リリアンナからはごくごく短い返事だけが返ってくる。いつものリリアンナならそこから話を膨らませて、もっともっとその先を学ぼうとしたり、またはちょっと休憩……みたいな感じで雑談を交えてくるのだが、それ以上の言葉が続かない。
領主である自分の言いつけだから素直に従ってはいるものの、リリアンナが心の片隅に不満を抱えているのを、ランディリックは薄々気づいていた。
ランディリックから、カイルの看病へ行くことを禁じられたのが、相当腹立たしいんだろう。
だがあのままでは確実にリリアンナの方も倒れてしまっていた。「カイルのもとへ行くな」と言い渡した決断に後悔はない。
だが――。
従順でいながらも不機嫌さを隠しきれていないリリアンナを前に、ランディリックは書類に視線を戻しつつ胸の奥に小さなざらつきを覚えてしまう。その、言葉にしづらい不快なきしみが何に由来するものなのか自分でも分からないのがやけにもどかしかった。
コメント
1件
ギクシャクしてる?