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三文小説
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篝火

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鼻歌混じりに上履きを履く。
気分はずっと、高揚したままだ。
昨日となにも変わらないはずの校舎が、やけに新鮮に映る。
「もしかしたら」と、夢想して。
「そうだったらいいな」と、期待を膨らませた。
一段飛ばしに階段を駆け上がり、しっかりと踵を上げて廊下を抜け、教室のドアを開けた。
「ぁっ!めめおはよー!」
「はよ」
「おはようさん!ジャージ持ってきたか?」
「ぁ?あるけどなんで?」
「今日、身体測定あるやん」
「めめなら、「ぁ、忘れた」って言ってもおかしくないねって、今康二くんと話してたの」
「荷物増えんの嫌だから、予備置きっぱにしてるよ」
「なるほどねー!相変わらずカバン空っぽそうだし、ニヤニヤしちゃったよ」
「「忘れたんかな?」ってな」
「これもう着替えていいやつ?お前らもジャージだし」
「うん、さっきシバちゃん来て、「着替えとけー」だってさ」
「シバちゃんって呼ぶなよ…」
「ちょっとでも可愛く聞こえた方がいいかなーって」
「そういえば、今日は身体測定で一限から四限まで潰れるんだったな」と思い出すと、途端に嬉しくなった。阿部くんに会えるまでの時間が、一層近くなったような気がして、自然と口元が緩んでいた。
「あれ、今日のめめニコニコだね」
「なんかいいことあったん?」
面と向かって指摘されると、気恥ずかしい。
「別に」
それだけ答えると、
「出た、クール系男子だ」とラウールが揶揄ってくる。
「違うっつの」と軽く反論して、お返しに、その高い鼻をギュッと摘んでやった。
身体測定という行事は楽ではあるが、実際、ヒマでヒマで仕方がない。殆どの時間を待機に使っているわけだから。
視力、聴力、歯の検査、内科検診が終わり、次は身長と体重を測るらしい。
体育館へ向かうクラスメイトたちの最後尾に、ダラダラとくっついていった。
その道中、三年の教室の前を通ったが、阿部くんはいなかった。
「それはそうか」とも思う。
今は生徒全員が何かしらの測定をしていて、教室は全て空っぽなのだ。
阿部くん一人だけがポツンと座っている方がおかしい、そう思い至っては照れ臭さの入り混じった、しかし軽やかな笑い声が漏れた。
人だらけの体育館に入るが、一年以外に、二年や三年も一緒なようだ。赤と緑の靴底が見える。
首を左右に回し、先程と同じようにその面影を探したが、人が多すぎて見つけることはできなかった。
「めめ、どうしたの?」
「なんやそないキョロキョロして」
「んや、なんでもない」
:
身長と体重の測定も早々に終わり、これで教室に戻るのかと思っていたが、最後に問診があると康二から聞かされた。
「問診?なんの?」
「中学ん時、三年でやったやろ?あれや」
「ぁー、あれか」
去年から追加になり、検査や測定とは別に設けられている項目があったのを、今になって思い出した。
渡り廊下を戻る。
階段脇の壁には、掲示板がくっついている。
どの階にもあるものだが、そこに、一枚だけ張り紙がしてあった。
掲示板というのは何も無ければ見ないが、何かあるとついつい見てしまうものだ。
案の定、吸い込まれるようにしてその薄っぺらい紙の前に立ったが、直後、そこから動けなくなった。
【1位 499点 阿部 亮平】
「ぁ、べくん…だ……」
それは、先週あった実力テストの、三年の順位を知らせるものだった。
昨日教えてくれたものと全く同じ読み方の名前が、表の一番上にあった。
口で聞いただけだったので、「あべ りょうへい」をどんな字で書くのかは分からなかったが、なんとなく、この人だ、と思った──が、
「阿部くん、頭良いんだ」
ふと、朝に感じていた夢想と期待に雲が差す。
目線を足元に落とし、じっくりと考えてみる。
──まだ直接聞いたわけじゃない。
──俺が勝手に決め付けていいものじゃない。
──でも、じゃあ、なんで…?
「めめー?どしたん?」
「置いてかれちゃうよー?」
「…ぁ、今行く」
募る疑問を振り払い、だいぶ空いてしまっていた列まで小走りでテレテレと戻った。
:
「新しい学校生活はどう?」
体感で三十分くらいだろうか。
やっと順番が回ってきて、布が張ってある塀のようなもの?に囲まれた中にある椅子に腰を下ろそうとすると、若めの女性の先生からそう尋ねられた。
「なんも変わんないっす」と答えると、先生は「そう」と微笑んだ。
決まりきったことしか聞かれないと思っていたので、少し意外だった。
ちゃんと会話をしてくれる人だと感じては、不思議と姿勢は前のめりになっていた。
「あなたは…、αね」
「ぅす」
「検査と診察は去年初めてやったと思うけど、一年過ごしてみてどうかしら?体調に変化はあった?」
15歳になると、全世界の子供は、全員同じ検査をする。
それは「判定診断」というものだ。
男・女という【第一の性】とは別に、俺たちはそれぞれに【第二の性】を持っている。 これらは普段「メイン」、「サブ」と呼び分けられる。
サブは三種類あり、去年した診断で俺の元に届いた結果が、そのうちの一つである「α」という性別だった。
αは知能が高く、優秀な人が多い。大企業の社長や有名なスポーツ選手は大体がαだというが、では自分はどうかと考えてみても、「絶対違うだろ」と全くピンと来てはいなかった。
二つ目はβ。
中間の性別で、人口としては一番数が多いらしい。知能も運動神経も普通くらいと聞いたことがある。
三つ目はΩ。
基本的にはαやβと変わらないが、「発情期」と呼ばれる周期的な発作によって強いフェロモンを出す。Ωだけは、男の人でも妊娠するという特徴を持っている。そういった「特異性」が原因で、他のサブから酷い扱いを受けていた時代もあったという。Ωは、αと「番」になることで、発情期が軽くなったり、フェロモンが出にくくなったりするそうだ。
検査結果が出た時のことを思い出してみる。
周りのクラスメイトたちはいろいろな反応を示していたが、その時の俺は、特に何も感じなかったように思う。
「とてもデリケートなことだから、お友達のサブクラスを軽い気持ちで聞いたらいけませんよ」と、当時の担任が言っていたことを、ぼんやりと覚えている。
四十代くらいの、優しい女性の先生だった。
特に一年間これといって何もなかったが、一つだけ気になることがあった。
「体調か分かんないんすけど、昨日変なことあって」
「どんなこと?」
「匂いがしたんです」
「匂い?」
「その人のサブは知らないし、なんなら昨日初めて会ったのに、嗅いだ瞬間、この人だって思うような、そんな感じの」
「そうだったの」
「ねぇ先生」
「なにかしら?」
「その人がもしΩだったら、俺の運命の人って可能性、どれくらいある?」
「運命の番のことね。そうね、そういう関係にある方達は、今の目黒くんと同じように、直感で惹かれていくんですって。どちらも同じくらい、自然と惹かれ合っていくそうよ」
「どっちも…か……」
「ただ、一生のうちで運命の番に巡り会える可能性はうんと低いわ。普通に出会って恋をして、運命の相手じゃなくても番になる方達もいるし。そう重要なことじゃないのよ、運命かどうかは」
「そうなんすか?」
「あなたが誰と生きていきたいか、誰を守りたいか、それが大切よ」
「守るって…?」
「Ωの子は、みんな毎日怯えている。それが原因で心を病んでしまう子も少なくない。αは優秀な子、権力を持った方、それぞれ高い地位にいるけれど、その分余力がある。だから補ってあげて。「守られている」と感じられるだけで、Ωは安定していくから」
「他に気になることはある?」と聞かれたので、「変なこと聞くんすけど…」と前置きをしてから、
「Ωで、優秀なことってありますか」
と尋ねた。
先生は、
「それはその人の個性よ。性別は関係ないわ」
と微笑んだ。
:
結局、全校生徒の身体測定と問診が終わるまでに昼休みの時間が過ぎていたらしく、一時間休んだあとで五限だけ授業をすることになった。
六限が潰れてくれたことで、更にテンションは上がった。
食堂で買った唐揚げ丼と、物足りないかもしれないと念の為に購買で買った鮭おにぎりとを食べる。
「昨日部活決めてきたで!」
「あ、そうなんだ。何入んの?」
「料理部と写真部や」
「掛け持ちすんの?キツイだろ」
「どっちもやりたいんやもん!料理も作って写真も撮るとかカッコええやん!」
「ま、潰れない程度に頑張れ。ラウールは決まったの?」
「ぅ、ぅん……」
「え、なんかあったの?」
「大変やったもんなぁ…あんなぁ?」
困ったように眉を寄せながら俯き、ラウールは卵焼きをちびちびと齧っている。
フォローするように康二が間に入り、昨日何があったのかを話してくれた。
〜 〜 康二の回想 始 〜 〜
一階に降りて、あまり入る気はないが一応運動部も見てみようということになった。
渡り廊下と、教室側の廊下とを繋いでいるその真横、一番端の「3−1」の教室の前を通り過ぎようとした時、俺たちの行く手を阻む「何か」が突然、そこから飛び出してきた。
それは、俺たちの前に「ちょこん」という効果音が鳴りそうな出立ちで両腕を広げて立ち塞がると、いきなり大声で「アニ研入んない!??!!!?」と叫び、こちらに迫ってきた。
:
「ちょっと待って、なにその不審者」
「話の腰折らんとってやぁ、まだ続きあんねん」
「いや気になるだろ。通報レベルでヤバい奴じゃん」
「学校の中やったからしてへんよ」
「中でよかったよ。…ぁ、ごめん、それで?」
「あぁ、そうそう、ほんでな?」
:
突然のことに俺たちはかなり驚いて、その先輩に手を引かれるまま、三年一組の教室に入っていった。
そこが「アニ研」の部室であろうことは、すぐに分かった。
アニメキャラクターのフィギュア、ペンライト、漫画、その他なにかしらのグッズが、ズラーッ!!と至る所に並んでいる。
彼は「ようこそ〜!好きに過ごして〜!」と元気よく笑いながら奥へ進み、徐に漫画を一冊手に取ると、適当な席へ座ってそれを読み始めた。
「ら、らう…どないする…?」
「わっかんない…これどういう状況…?」
「わからん。やって、あん人もう自分の世界入ってんで?」
「このまま出てっても気付かなそう…だけど…」
「そうするか…?」
「ねー!見て見てー!一年生達ーっ!」
「はっ、はいッ!!?」
「この先生の作画、マジ天才だと思わない!?ちょー綺麗なの!」
「ラウ行ってきてぇ…二次元分からん…」
「えぇ…僕だって陽キャと関わったことないよぉ…」
「およ?どったの?そんな遠くじゃ見えなくない?」
「ぁっ…すみません…!」
「どう!?どう?!読んだことある??!」
「まだ無いですけど…ぅん、すっごく綺麗…!僕もこういう絵柄好きです!」
「でっしょー!?声掛けてよかったー!君アニ研向いてるよ!」
「そ、そうですか…?」
「うんうんっ!ぁ、ねね、俺ね、最近こっちもハマってんの」
「ぁっ、これ僕もこないだ新刊読みました!面白いですよね!」
「っ!!ね!面白いよね!にゃははっ!やば!今日ちょー楽しい!」
ラウールは日頃から漫画を読むこともあってか、彼の話について行けているようだったが、俺はそっち方面のことはからっきしだったので、「すんません!ちょっと他んとこ見て来ますー!」と一言断り、料理部の見学をしに家庭科室へ向かった。
運動部に一人で入っていく勇気は全く無かった。
〜 〜 康二の回想 了 〜 〜
「いや、最後まで一緒にいてやれよ」
「せやかて気まずいんやもん!話全っ然わからんし!」
「それでラウールはその人と漫画読んで、なんとなく決めたってこと?」
「意外と楽しかったし、そんなに気合い入ってるところよりかはいいかなーって思って、「僕、ここ入ろうかな…」って呟いたの。そしたらその人もっとテンション上がっちゃって…」
「上がっちゃって?」
「そこから、部活が終わるまでずっとマシンガントーク」
「きっつ…、よく入ろうって思ったな」
「変な言い方だけど、なんか可哀想に見えてきちゃって…」
「なんで?」
「多分だけど、部員その人しかいなかった」
「そんなことある?」
「多分三時間くらいアニ研にいたけど、その間ずーっと、誰も入ってこなかったんだよ」
「そもそもだよ?なんで部活できてんの?最低人数とかあるだろ」
「それはわかんないけどさ…。漫画読んでて楽しそうなのに、たまーに寂しそうな顔するからさ、なんか、ね…。見捨てられなくなっちゃって」
「ふーん、お人好しだな」
「でも良いことあったよ!帰る前に連絡先交換してもらったんだけどさ、明日、その先輩とそのお友達でパーティーするからおいでよって、誘ってもらったの!」
「へー、よかったじゃん」
「あと二人一緒に行きたい人がいるんですって聞いてみたらOK貰えたから、三人で行こう!」
「「えっ」」
「ちょぉ待ってや!俺も明日誘われてる!料理部の先輩に!二人んことも誘ってええですか?聞いて、OKもらっててん!」
「えーっ!!すごい偶然だね!」
「待て待て。俺行くのおかしいだろ、なんで俺を人数に入れたんだよ」
「だって、僕だけ行くの寂しいし、それに部活は関係ないパーティーって言ってたから…」
「やって、友達好きに誘ってええよって、その先輩が言うんやもん…」
「「ダメだった…?」」
「……はぁ…それ、何時にどこでやんの?」
「明日のお昼休みに、屋上で。「お昼ご飯もあるから、手ぶらで来てー!」だって」
「楽しみやんな!」
ラウールはともかく、康二の方は友達もそのパーティーとやらをきっかけに料理部に引き入れようとしているようにも感じられたが、二人の顔を立てるためにも行っておくか、と苦い顔のまま頷いた。
昼飯を食べ終え、五限が始まった。
数学の授業だったが、校庭をぼんやり眺めていると「インスウブンカイ」とか言う呪文が聞こえてきたので、本格的に耳のシャッターを下ろした。
「中学のおさらいだぞー」と担当教師は言っていたが、絶対嘘だ。
そんな呪文、初めて聞いた。
それから五十分後、放課後のチャイムが鳴った瞬間席を立ち、急いで図書室に向かった。
飛んできた「目黒ッ!廊下を走るなァッ!」というシバヤマの激昂には振り向きもせず、「サーセン!!」の一言だけで躱して、角を曲がる。
まだガヤガヤと周りは騒がしかったが、やはり図書室だけは静かだった。
中に入り、その姿を探す。
が、阿部くんはまだ来ていなかったので、本棚の周りをブラブラと歩き回りながら待つことにした。
──阿部くん、本好きなのかな。
──俺も、なんか読んでみよっかな。
「三日で飽きそう」なんて思っていたのに、なんとも良い加減なものである。
阿部くんとの接点が一つでも多く欲しいのだ。
多分、いや、絶対、阿部くんと俺の共通点は「人間かどうか」くらいしか無いだろう。
勉強はできないし、あんな風に真面目に過ごせない。
…そういえば、阿部くんはシャツを一番上のボタンまで留めて、ネクタイもキュッと締めてたな…。
春とはいえ、ここ数日は毎日太陽が高く昇っているが…。
暑くないのだろうか?
考え事が横に逸れたが、ひとまず今からでも始められることを、その第一歩を本にしてみよう。
思い立ったらすぐ行動だ、と読みやすそうなものが並んでいる棚まで行って、目的の条件に合いそうなものを端から探していった。
「これ何順?「て」の次「ま」なんだけど」
どうしてかタイトルが五十音順に並んでおらずで苦戦していると──
「作者順だよ」
──後ろから声がした。
ハッとして、たちまち自分の顔は明るくなっていった。
「阿部くんっ!!」
振り返り、嬉しさのままにその名前を呼ぶと、彼は目元にクシュッとシワを寄せて、白く覆われていて今は見えない口元に人差し指を当て、首をコテン、と傾けた。
「図書室の中ではお静かに、ね?」
「ぁっ…ごめん…」
「ふふ、やっぱり今日も来たんだね」
「うん。阿部くんに会いたかったから」
「…そう」
「阿部くん、体調悪いの?」
「ぇっ…、と…、…どうして…?」
「マスクしてるから」
「…ちょっと…風邪、引いちゃっただけ」
「そっか、無理しないでね」
「ありがとう。何か探してるの?手伝おうか?」
「ううん、大丈夫。俺がやんなきゃいけないことだから」
「? そう?」
今まで馴染みが無かったおかげでかなり困ってはいるが、一人でやり遂げたかった。
「ごゆっくりどうそ」と掛けてくれた柔らかい声に「ありがとう」と返し、もう一度背表紙たちと睨めっこを始めた。
「これと…、ぁ、これと……あと二冊…」
「ぉ、これにしよう、あと一冊は……うん、これだ」
じっくり探して選んだ四冊を左手に持ち、阿部くんが座っているカウンターの前へそれらを置いた。
「借ります」
「はーい。たくさん読むんだね。本好きなの?」
「好きになろうとしてるとこ」
「ふふ、じゃあ昨日の絵本は、久しぶりの読書だった?」
「ぁー、、ふはっ、ぅん」
「今日借りてくれるの、全部面白くておすすめだよ」
「阿部くんは、これ全部読んだことあるの?」
「ここにある小説は大体全部読んでるから、気になるのあったら、あらすじ教えるよ」
「すご…ぇ、いつ読んでんの?学校もあるし、勉強もしてるでしょ?」
「さぁ?」
「さぁって…」
阿部くんの答えに、むくれたくなる。
ここにある小説を全部読んでいることは知れても、「阿部くんが読んだことがある」という話がメインじゃない。
いつ読んでいるのか、図書室の外に出た瞬間から「阿部くんが何をしているのか」は、教えてくれない。
──どうして「阿部くん」を見せてくれないの?
警戒されているのだろうか。
でも、何も意識なんてしていないように見える。
昨日伝えたことなんて、全て忘れてしまっているようで。
「はい、期限は一週間後です」と言いながらこちらに返してくれた本の束を、ギチギチと強く掴む。
──今一番聞きたいこと、聞こう。
胸の中で渦を巻いている靄から一度目を離して、本はカバンの中にしまった。
自習用の椅子を持ち出してカウンターの前に置き、そこへ腰掛ける。
「阿部くん」
「なぁに?まだ帰らないの?」
「うん、阿部くんに聞きたいことあるから」
「っ、な、にかな…?」
「すげぇ失礼かもなんだけどさ」
「うん、」
「…阿部くんのサブって、何?」
聞いた瞬間後悔した。
「軽い気持ちで聞いたらいけませんよ」
あの声が、耳に蘇ってきたのだ。
会って二日目の人に聞くことではなかったと思い直して、「ごめん、言いたくなかったら大丈夫」と言いかけた「言いたくn」くらいのところで、
「βだよ」
という返答があった。
その声は、昨日よりももっと冷たい響きを持っていた。
「…そ……ぅ、なんだ……」
大粒の雹に打たれたみたいだった。
色々な気持ちが体の中を行ったり来たりしている。
──Ωじゃなかったのか……。
それが、まず一番に浮かんだ。
人によってはΩという性別を嫌がる人もいるし、現代でも未だに差別意識を持っている人がいることも知っているが、個人的には、そういうものはどうでもいいと思っている。
同じ人間であることに変わりはない。体の構造が俺と少し違うだけで、実際とてもすごいことだ。
子供を産むなんて、誰にでも出来ることじゃない。
「尊敬」と表現するのも、なんだかバカにしているみたいな気がしてくるので言い方は違うと思うが、そういった、自分にはできないことができる人のことを、どうしてみんな認めてあげられないんだろうと疑問に思う時がある。
だからなんだという話ではあるが、別に差別したくて阿部くんのサブを聞いたわけではなかったということだけは、心の中だけででも弁解しておきたかった。
というより、答え合わせをしたくて聞いたのだ。
「心地良い」なんて表現じゃ足りないくらいだったあの匂いに、阿部くんが「俺の運命の人だ」と夢想していたのだ。
本能で繋がり、理屈じゃない何かで強く惹かれ合うΩ、運命の番は、この人なんだと期待していたのだ。
しかし、阿部くんはβだった。
気のせいだったのだろうか。
あんなに強く、鮮明に感じていたものを、「俺の勘違いだった」とまとめるには、まだなんとなく違和感があるが、本人がそう言うのであれば、きっと本当に勘違いだったのだろう。
ただ、落胆はすぐに消え去った。
ものすごく乱暴な言い方をするならば、別になんでもいいのだ。
阿部くんが、αでもβでもΩでも、なんでも構わない。
Ωだと思ったから好きになったんじゃない。
阿部くんだから好きになったんだ。
もう少し生物的な話をするならば、αがβの匂いに惹かれることもあるらしいって、運命を感じることもあるらしいって、ただそれだけのことなんだ。
そんなことより、今は失礼を謝る方が先だと、カウンターの天板スレスレまで頭を下げた。
「ごめん、いきなり変なこと聞いて」
「ううん、気にしてないよ。今日問診あったし、みんな気になるよね」
「ぁ、ぃや…、昨日から気になってた」
「…そう、なんだ」
「…」
「…」
「…ぁ、ぇ、絵本は、いつまで…?」
「んー…あと五日だから…うん、来週の火曜日までに返してね」
阿部くんの声は、少しずつ温かくて柔らかいものに戻ってはいたが、なんというか、よそよそしくなってしまったような気がした。
聞かなければよかったと頭を抱えたくなったが、ここでめげていても仕方がない。
せめて、何か一つでもアピールをして帰ろうと思い、大っぴらに前に出すつもりはなかったので先程カバンにしまった本を四冊、もう一度カウンターの上に立てて並べた。
『すいか色の花火』
『木洩れ陽は届かないままで』
『でたらめワーキング』
『するめ、食べるって言ったじゃん』
「これ、俺の気持ち」
そう口にしながら、本を阿部くんの前に押し出す。
阿部くんはチラッとそれに目をやると、柔らかく「ふふっ」と笑ってくれた──
──かと思いきや、俺の両手に触れない位置に自分のそれをそっと置いて本をこちらへ押し返し、優しい声で言った。
「これは「き」じゃなくて、「こもれび」って読むんだよ」
To be continue…
コメント
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徐々に皆んなが、出逢っていく感じが楽しそうです。 💚は本当の事を言えない何かがあるのでしょうか? 続きが気になります🫶
うぅーーーーー🖤頑張ってくれ🥹🥹🥹

どこまでかくしと失せるのかな 🖤の素直で一途な思いに 早く打ち明けてハッピーエンドに🥰