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『そうですか。お互い頑張りましょう』
「……えっ」
飛びつくようにして開いたのに、何度読んでもメッセージはその一行のみ。
瑞希は今電車であることも忘れて、思わず声をあげてしまった。
(なに……これだけ?)
思わず脱力する。
拍子抜けしてしばらくすると、だんだんと怒りが沸いてきた。
(ミヤサカめ……)
たしかに、送った文章は愛想がなかったと思うけど、もう少しなんとかならないの?
というか、自分がすぐに面会をOKしなかったから、この女は面倒だと遠回しに切ろうとしてるんじゃなかろうか。
(もういいや、こんなのに返信なんて出来ないし)
本当に自分とやりとりする気があるのか、はなはだ疑わしい。
瑞希は腹立ちまぎれにスマホを鞄に突っ込むと、乗客の波に押されるようにして、ホームに降りた。
出社するとすぐに、給湯室に向かった。
現在時刻は8時40分。
5月でも、今朝は少し肌寒い。
タンブラーに熱いコーヒーを淹れると、ほっと息をつく。
(よし、今日も頑張ろう)
今日の予定を頭に浮かべながら通路を歩いていると、営業本部のドアが開いた。
無意識に鼓動が跳ねる。
けど、出てきたのは本部長で、和明じゃなかった。
(なんだ……)
軽く頭を下げて、瑞希は隣を通り過ぎる。
ほっとしたけれど、同時に小さな苛立ちも芽生えた。
どうして自分がビクつかなきゃいけないのか。
社内恋愛は、恋が終わってからも面倒だ。
予定はないけど、もう二度としたくないと思う。
瑞希は小さくため息をつくと、気持ちを切り替えて企画部のドアをあけた。
始業のミーティングを終え、瑞希はすぐに前日の続きにとりかかった。
クライアントからのメールに返信を済ませ、費用対効果の高い広告商材のレイアウトを考える。
ユー ザーが関心を持ち、かつ、クライアントのサイトに足を運びたくなるようなもの。
瑞希は素材と資料を組み合わせて、ひたすら頭を捻り続けた。
午後一番からは、営業との打ち合わせがあった。
それが終わると、アクセス解析や広告予算の変動などを分析して、データをまとめる。
きりがいいとこで時計を見れば、午後7時半だった。
(はぁー、疲れた……)
今日はここまでにしよう。
うーんと伸びをして、パソコンの電源を落とそうとすると、向いの神田が「帰るの?」と声をかけてきた。
神田は相変わらず、資料の山に埋もれている。
瑞希はそれを見ないようにして、そそくさと席を立った。
「帰るよ。言っとくけど、今日は手伝わないよ」
「ひでーな! 今日は違うって」
神田は少し傷ついたような顔で、机の上を漁り始めた。
「手伝ってほしいんじゃなくて……。あぁ、あった。これこれ。
悪いんだけど、これを情報システム部に渡してきてほしいんだよ」
「は? システム部?」
差し出された封筒を眺めながら、瑞希は怪訝な声で聞き返した。
企画部と情報システム部は、直接的な繋がりがない。
不思議に思っていると、神田がさらに言葉を続けた。
「これ、社内郵便が届いた時に、間違って俺のとこに混ざってたんだよ。
俺まだ終わらないし、帰るんなら、ついでに渡してきてくれよ」
「ちょっと待ってよ
全然ついでじゃないし!」
システム部はふたつ上のフロアだし、用事がないから行ったこともない。
当然見知った顔もいないし、気まずいじゃないか。
慌てて封筒を押し返そうとすると、神田は「頼むよ」と片目を瞑った。
「俺まだ終わらないし、その手紙だって、急ぎのやつだった困るじゃん
そうだ、これやるから」
神田は引き出しからチョコを取り出して、瑞希に手渡す。
「もう………」
チョコが欲しいわけじゃないけど、たしかに神田の手を止めて仕事を遅らせるより、退社する自分が渡したほうがいい気もする。
「……わかったわよ、渡してくるわよ」
瑞希は文句を言いつつも、封筒を受け取った。
「サンキュー、よろしく頼むな!」
「はいはい じゃ、お疲れさま」
チョコを口にいれ、瑞希は廊下へと出た。
歩きながら封筒を見れば、宛名は『神崎』となっている。
神田と神崎を間違えた、ありがちなミスだ。
瑞希は給湯室の横から、階段を上がった。
たしか情報システム部は、エレベーターと反対の、階段側にあったはず。
情報システム部のプレートが見えると、少しだけ緊張した。
深呼吸してノックしようとした時、内側からドアが開いた。
(―――えっ)
瑞希は慌ててノブから手を離した。
ドアをあけた大柄な男のほうも、驚いて瑞希を見ている。
『だれ?』と言わんばかりの視線に、瑞希は咄嗟に頭を下げた。
「すみません、企画部のものです
システム部の神崎さんの郵便物が、企画部のほうに混じっていましたので、届けに来ました」
「あぁ、そうでしたか
すみません ありがとうございます」
相手の男はかなり驚いていたけど、納得したように礼を言うと、封筒を受け取る。
「じゃ、失礼します」
用件が済むと、瑞希はすぐに回れ右をした。
ドアが閉まる音を聞きながら、階段を降りる。
(はぁ、緊張した……)
同じ社内とはいえ、独特の雰囲気があるシステム部は、少し苦手だ。
妙な緊張を抱えながら階段を降りていると、ふと気付いた。
条件反射で来た道を戻ってしまったけど、エレベーターに乗ればよかったんだ。
(もう、なにやってるの)
思わず足を止め、大きく息を吐き出す。
いつもと違うことをするから、リズムが狂う。
自分の靴音を聞きながら、瑞希はシステム部の様子を思い浮かべた。
あいたドアから少しだけ中が見えたけど、退社した人はいなかった気がする。
企画部に残っているのは、もう数名なのに、やっぱり不規則な仕事なんだろう。
(……ミヤサカも、同じように忙しいのかも)
返事が簡素なのは、仕事が忙しいから?
そう思いかけて、瑞希は首を横に振った。
(やめやめ
ミヤサカのことなんて、もういいじゃない)
気にしないと決めたのに、勝手に頭に浮かんでくるなんて、どれだけ自分を苛立たせたら気が済むんだろう。
瑞希は無神経なミヤサカを頭から追い払い、決心した。
『会いたい』と言われている男は、全部で5人。
その中で、一番条件がいい男と会ってみよう。
いつまでもメッセージのやりとりだけしてちゃ、意味がない。
ゴールは結婚。
それも、和明が羨むような相手との結婚が、目的なんだから。