「おはよう。転校生」
落ち着いた雰囲気のある小さなカフェ。甘いココアの香りや、香ばしいトーストの匂いが店内を包み込む。おしゃれなクラシック音楽が流れるカフェで、学校の制服のような服を着て来店客に挨拶をする。
「きゃー! 朝から朝音先輩を見れて眼服です!」
「こら、声大きいって! でも、分かる~朝音先輩に会えて超ラッキーです」
「はは、嬉しいな」
俺を挟むように、女性客はキャーキャーと騒ぐ。全身で嬉しいと伝えてくれているようで、俺も嬉しかった。
『先輩』と呼ばれるのは慣れているのだが、バイト仲間でも無いまして同学校の生徒でも無い一般人に『先輩』と呼ばれるのは矢っ張りまだ慣れない。
そう、ここはBLカフェ。
バイトを始めたきっかけは、本当に些細なことで、あや君が「兄ちゃんにぴったりなバイトあるんだけど。すっごく時給もいいし、どう?」と言ってきたことだった。
大学生になり、高校生より時間がもてるようになった為、バイトもいいなと考えていた時期だったし、内容を聞いてから考えようと思った。すると、あや君は目の色を変えて「BLカフェのバイト!」と言いだしたのだ。聞かなきゃ良かった、なんて思った頃にはもう遅かった。
それからは、話がトントン拍子に進んでいった。
人が足りないと言うことで、バイトは面接をすっ飛ばして合格し、その次の日からバイトに入ることになった。BLというものは、あや君や母さんのこともあってよく知っていたし、別に抵抗があるかと言われたらなかった。そういうジャンルがあるんだなあ、程度に思っていた。
でも、カフェといいつつ見世物業でもあるそのバイトにやはり抵抗はあった。
BLを知っていても、男同士の恋愛は別に気持ち悪いとか思わなくとも、実際にやるのとは別である。見る方がいいかもしれないが、やはり抵抗がある。
女性にすら恋心を抱いたこと無い、まだ恋愛経験の無い自分が男性と! そう考えただけで頭が痛かったのだ。確かにバイトであり、そういうのをコンセプトにしているだけで所詮は「フリ」。しかし、矢っ張り…
何度辞めようと思った事か。でも、そのたびにあや君に『お願い』されてしまって、やめようにもやめれなかった。
今年三年目になるこのバイト。常連客もいるため、すっかり顔を覚えられてしまった。ここの正社員の先輩には、「就職はうちでしてくれ」と言われるほど。今日きた客はまだ数回しか来店していないお客さんだったけど、俺の名前と顔を一致させられるようだったし……
(はあ……顔が知れちゃうと、就職に響くなあ)
「注文いいですか~」
「はーい!」
まだこの時間帯は、客が少なく、初めて来店される客も多い。
ホールも俺を含め三四人で回し、オーダーがあれば客の元に行って、そういうシチュエーションに応える。オーダーが、自分が選ばれなければいいと思っているが、矢っ張り選ばれてしまう。オプションが発生すれば、その分給料は上乗せされるためやらないという選択肢は(もとより)ないし……
このBLカフェの設定は学園モノで、客は転校生という設定。因みに俺はこのカフェ学園の三年生という設定で、転校生(客)から「朝音先輩」と呼ばれている。転校生に優しい面倒見のいい先輩というのがここでの俺のキャラというか、立ち位置というか。実際、この店以外でも素がそうなので、役作りには困ったことはなかったけど……
だけど、俺がこんなキャラだからか、来る客には必ず”受け”の烙印を押されて、オーダーがはいるといつも押し倒される側になってしまう。
そして、この話をあや君にすると「兄ちゃんは右固定!それ以外は地雷」と言われてしまった。あや君は、それでいいのかなあ、なんて時々思ってしまう。
そんなことをぼんやり考えていると、カランコロンと店のベルが鳴った。
「ああ、おはよう。転校生……?」
いつものように、笑顔を作って挨拶をしよう、と考えたが、俺はその来店客を見て、一瞬かたまってしまった。
(珍しい……男の子だ)
亜麻色の髪に、中高生が着るような青いジャージを着た、宵色の瞳。成人男性……というには若いような気がして、俺はついガン見してしまった。それだけじゃなくて、何というか、目をひく容姿をしていた。
青年? は、空いている席を探し、座ると大きなため息をついた。ため息をつく姿も絵になるな……何て考えながら、仕事に集中と、首を横に振る。
「今回の入店が初めてですね?」
「……え、ん?」
「うん?」
一応店の決まりなので、と説明に入ろうとすると、青年は顔を上げて首を傾げた。近くで見ると、目鼻立ちが綺麗だなってのが凄く分かる。芸能人かな? と一瞬思ってしまった。
青年は、訳が分からないというように、もう一度辺りを見渡しそれから「あ~」と大きな声を出し机に突っ伏した。
「すんません。ここって、カフェ……じゃないですよね。普通の」
「ああ、うん。BLカフェで……」
やってしまった、と言わんばかりに肩を落としているので、もしかして、とお節介だとは思いつつも俺は訪ねてしまった。
「もしかして、普通のカフェだと思って、入った?」
「恥ずかしいです。穴があったらはいりたいです」
と、男性はまた顔を机に伏せてしまう。
BLカフェに似合わない格好。一人で来店する男性客がいないわけでは無いのだが、この時間珍しい。場違い……何て、言葉は悪いが青いジャージを着た可愛い男性が何故こんな所に? とは思ってしまう。
そう、思いながら癖で俺は、青年を宥めようと手を伸ばす。
「あ、でもBL、BL……ねえ」
「あの、えーっと」
何か呟いているなあというのは分かったけど、何を呟いているかまでは分からなかった、それから、暫くすると青年はバッと顔を上げて俺を見た。
取り敢えず、笑顔は崩さないようにしないと、と俺は「どうしたの?」と微笑む。それをみてか、青年はまたキョトン、とした顔をした後、勢いよく頭を下げると立ち上がり、俺に手を振って背を向けた。
「間違えて入ってきて、こんなこと言うのも恥ずかしいんですけど。僕帰りますね! じゃあ!」
「え、あ、ちょっと!」
いきなり何を言い出すのかと思えば、颯爽と店を出て行ってしまった。
カランコロン…バタン! と思いっきり扉を閉められる。
「いったい、何だっただろう……」
周りの人達は、他のスタッフ達に目を奪われて、こっちのことなんて気にも留めていない様子だった。あれだけ、騒がしかった……嵐みたいだったのになあ、と思いながら、俺は、席に黒い鞄が置いてあることに気付いた。それは、先ほどの青年が肩からかけていた鞄だったのだ。鞄の大きさは、かなり大きくて、何か資料が入っているようで堅かった。ようは、忘れ物。
「中身を見るのは、ダメって分かってるんだけど……」
財布や、スマホが入っていたら大変だ、と俺は確認する。幸い、財布とスマホは入っていなかったが、鞄の中から、一冊の自由帳が出てきた。その自由帳の表には「祈夜柚」とデカデカと書かれている。中には何かがかかれているようだったし、大事なものなのかも、と思い、俺はそれを肩にかけて、近くにいた手の空いているバイト仲間に声をかける。
「すみません、ちょっと届け物してきます」
後ろから「ちょっと、困るよ」と声をかけられた気がするが、この忘れ物は届けなきゃ、と俺は店を飛び出した。
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