コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
次の週―――。
深雪との約束通り1時間早く陶芸コースの教室に行くと、すでに深雪は座っていた。
教室の真ん中で作業台の前に座り、なにやら一生懸命に弄っている。
「あ……」
回り込んだ紫音は思わず声を出した。
「あ、紫音ちゃん」
振り返った深雪の前には、白い手が置いてあった。
「それも粘土ですか?」
紫音は自分の模型を傍らに置いて、それを覗き込んだ。
親指と人差し指がピンと伸びていて、中指と薬指が曲がった手。
指の長さといい、節の太さといい、どうやら男の手のようだ。
関節の形から血管の浮き出し方から、ものすごくリアルだ。
「――これは石膏」
まじまじとその手を見ている紫音を楽しそうに見上げながら深雪は微笑んだ。
「手の型をとって、石膏を流して作るんだ。だから細部まで正確に再現できる」
「なるほど」
「今はそのやすりがけをしてたところ」
「やすりがけ?」
「ツルツルにしないといれたとき痛いでしょ?」
「え?」
意味が分からず首を傾げた紫音の頭に、その石膏と同じ手が置かれる。
「えらいえらい。ちゃんと1時間前に来たんだね!」
「………」
紫音はその屈託のない笑顔を見ながら、石粉粘土が入ったブルーバードの袋を握りしめた。
◇◇◇◇
「うん、上手にできてる。でも人差し指だけ第二関節の位置がちょっとずれてるかなー」
深雪は紫音がアルミ芯で作った手のポーズを見回しながら言った。
「正しくはここらへんね」
位置をずらし、たちまち麻ヒモを解くと、その新しくできた関節に巻き付けていく。
「……すごい」
その手際の良さと的確な造形に思わず呟くと、
「専攻ですから」
深雪は笑いながら、それでも視線は真剣にアルミ芯を見つめていた。
(……あ)
今、気がついた。
深雪の瞳にはパープルのコンタクトが入っている。
(綺麗……)
紫音は至近距離で深雪の目を見つめた。
(紫色、好きなのかな)
なんとなく聞けずに、紫音も視線をアルミ芯に戻した。
「指ってさ。5本あるじゃん?」
深雪が唐突に口を開いた。
「一番太いから親指。人を指さすから人差し指。真ん中にあるから中指、一番小さくて細いから小指。じゃあ、薬指ってなんで言うか知ってる?」
「……薬を塗る指だったから?」
紫音が見つめると、深雪は頷いた。
「当たり。じゃあなんで、薬指が薬を塗る指にされたかは知ってる?」
「………1番使わないから?」
いつかどこかで誰かに聞いたことがあった。
「うん。まあ、ほぼ同じ意味なんだけど。薬指って一番、要らないんだって」
深雪はアルミ芯の薬指を触りながら言った。
「もし薬の調合が間違って、万が一劇薬に触ってしまったとして、切り落としても差し支えないから、らしいよ」
「へえ……」
紫音は相槌を打ちながら、自分の薬指を見つめた。
「機能的な面で中指や小指で代替え可能な上に、一番動かしにくい。だからかな」
「なるほど」
紫音が頷くと、深雪はチラリとこちらを見た。
「俺の手を見て触ってみて」
右手を翳してくる。
紫音は素直にその手を取った。
「薬指だけ動かそうとすると中指か小指が付いてくるでしょ」
「確かに……」
クニクニと彼の薬指を弄ると、確かに中指と小指がついてきた。
「骨の状況、節の付き方、それぞれの指の機能性や特徴なんかもインプットしておくと、粘土にしたときによりリアルな造形に繋がるかも」
深雪は紫色の瞳で紫音を見つめた。
『これも触れない?』
昨日――城咲が差し出した手を思い出した。
彼の手は触れなかったのに、どうして深雪の手は触れるのだろう。
どうして抵抗がないのだろう。
その理由を――
本当はずっと前から気づいている。
「あ、そうだ」
城咲の顔が浮かんだら、自然と握りしめていた粘土のことも思い出した。
「あの、実は先週、皆さんの話している声が聞こえてきて。もしかして先輩が待っているのってこの粘土ですか?」
ブルーバードで仕入れてきた石粉粘土“プルネッタ”を袋から出すと、深雪の目がまん丸に開いた。
「これだよ、これ!え?どうしたの!」
「ええと、知り合いのホームセンターで売ってて」
「うわー、マジで嬉しい!ありがとう!」
深雪はそう言うと、紫音を見つめた。
「プラネッタは、乾いたときに一番白っぽくなるんだよ。だから色染めしたときに紫色が生えるんだよなー」
そう言いながら深雪は本当に嬉しそうに微笑んだ。
「紫色が……」
今度は考える前に口をついて出てきた。
「好きなんですね」
そういうと、彼は紫色の瞳でこちらを見つめた。
「あ、えっと……!」
その真っ直ぐな瞳にしんどくなって紫音はつい目を逸らした。
「この間の先輩と一緒にいた女の人も、インナーカラーが紫で素敵でしたね」
(……何言ってるの、私!)
自分で驚いた。
こんなこと話すつもりはなかったのに、言葉が止まらない。
「もしかして付き合ってたりするんですか?」
「―――――」
深雪が黙ってこちらを見つめる。
(なんてこと聞いてるのよ、馬鹿!!)
自分で自分を叩きたくなる。
(付き合ってようがいまいが、たかが授業が1クール同じってだけの後輩には関係ないでしょっての!)
自分でツッコミを入れる。
しかし深雪は、
「ーー偶然だよ」
紫音を覗き込んだ。
「あの子と髪色が被ったのは偶然。インナーカラーが紫だってのも最近知ったし」
深雪は紫音の頬に触れた。
そして深雪の髪を中身を確かめるように軽く掻き上げた。
「でも……」
紫色の視線から、目が離せない。
「こっちは偶然じゃない」
そう言った彼のもう一つの手が、土台の木板を指さす。
「あ……」
市川紫音。
「運命だと思ってるから」
その言葉に紫音は瞳を上げた。
深雪の髪がフワッと頬にかかったと思ったら、そのまま唇を奪われた。
「…………」
何度も、何度も。
強さを変え、角度を変え、
撫でるように、摘まむように、啄むように、唇が触れる。
「……ん…ッ」
そしていつしか熱い舌が紫音の中に入ってきた。
その感触に思わず離れようとする紫音の頭を、深雪の大きな手が優しく抑える。
もっと深く舌を入れられ、もっと強く唇を吸われる。
昔から、回し飲みが出来なかった。
他人の口なんて、
他人の唾液なんて、
あり得ないと思っていた。
しかし今はどうだろう。
先をねだる様に腰をくねらせ、深雪のシャツを握っている。
彼の手が頬から顎、首から鎖骨に滑り落ち、ブラウスの中にまで入ってくる。
自然な動き。慣れた手つき。
分かっている。
深雪にとってはきっとこんなの日常茶飯事。
しかし今だけは、その術中に騙されていたい。
深雪の指先が紫音のブラジャーまで達した瞬間、
キーンコーンカーンコーン。
予鈴がなった。
それと同時に廊下が急に騒がしくなった。
「………」
ぱっと深雪が手を外し、
「……ごめん」
照れたように笑った。
どんな顔をしてよいのかわからず、真っ赤な顔で俯いていると、
「ねえ。今度の土曜日、デートしようよ。もっと紫音ちゃんのこと、知りたいな」
深雪は紫音を覗きこむと、紫色の上目遣いで微笑んだ。