つぼ浦は口をポカンと開けたまま固まっていた。暖かな木漏れ日が頬を撫でる。子供の笑い声が響く穏やかな公園だ。手からこぼれたポップコーンをマメパトが勝手に食べる。相棒のサボネアが心配そうに足をつついたがそれでも、つぼ浦は焦点の合わない目で遠くを見つめていた。
「サボサァ……」
パステルカラーのアロハシャツが何故だかくすんで見える 。サボネアは口に両手を当て、アワアワ辺りを見回した。
右、子供たちがはしゃいでいる。左、マメパトが押合い圧し合い蹴飛ばし合いながら菓子を貪り食っている。前方、尋常ではないつぼ浦が歩み始めている。ギョッと棘が抜ける思いで服の裾を引っ張るが、つぼ浦は何も言わず浮かされたように足を進める。サボネアの目にはもはや涙すら浮かんでいた。原因も対処法も分からない。非力な草ポケモンの無力さが一頭身のサボテンの胸を締め付ける。
縋る気持ちで後方を振り返って、青い鬼のヘルメットを見つけ。
「ネェェエ!」
「イターイ!」
思いっきり飛びついた。ぐさぐさトゲが刺さったがまあ、いつものことである。
「何、つぼ浦のサボネアじゃん。どうしたの、お腹空いた?」
「アーネ、サボサァ、ネネェー」
「寝ねぇ? いや眠くないよ」
「ネェー」
サボネアは両手を広げて体を揺らした。口を思い切りひん曲げて、NOを示す。
「……アキネーター?」
「ボェ」
「ごめん分かんないや。つぼ浦、つぼ浦ー?」
ようやく、青井はつぼ浦の様子がおかしいことに気がついた。フラフラかくんかくんと頭を揺らし、幽鬼のように歩いている。遊歩道を乗り越えようとして、ゴミ箱を引っ掛け倒す。それを振り返りもしないのだ。明らかな異常事態だ。
「アー、無線だれかいますか?」
『成瀬いまーす。どした?』
「つぼ浦が何か変。追いかけるんで、応援お願い」
『ガンバ!』
「んははありがとねー」
『ハイ。本署の暇人に声掛けて行きます』
「はーい」
『今つぼ浦どんな感じですか?』
「なんかねぇ、どんどん奥に向かってる」
『へえ、いいですね。あなたも来てくれるんですか?』
「え? なに?」
『ようこそ私の庭へ』
バツン、と耳元で無線が途絶える。音量をあげても砂嵐のようなノイズしか聞こえず、電波が途絶えたことがわかった。
「は?」
気づけば、青井は鬱蒼とした深い森の中にいた。日光も届かぬほど背の高い木が生い茂り、足元から冷たい空気が立ち込める。朗らかな公園など影も形もなかった。
「サボォ」
「ウワ……、イヤ……」
サボネアがつぼ浦の足元で青井に手招きをする。青井は自分の腕を擦りながら、恐る恐るつぼ浦を追った。
つむじにザラリとした視線を感じる。上を見るが何もいない。ただ木々が生い茂るのみだ。
フルフェイスのヘルメットを被っているのに、耳のすぐ後ろに細く冷たい風がかかる。青井には何故かそれが吐息だと分かった。氷のように冷たい細い空気が、自分の焦る呼吸と混ざって気持ち悪い。
「ウフフフ、ウフフフ、ウフフフ……」
足首を何度も撫でられる感覚がする。寒い。緑色の霧が辺りに満ち、薄暗い森の視界をさらに狭めていく。
「サァボ、サァボ……」
サボネアの声が二重に木霊する。かすかに見えるアロハシャツを頼りに足を進めるが、今自分がどの方向を見ているのかも分からない。
「つぼ浦、サボネア、待っ――」
手を伸ばした瞬間、足場が崩れた。幕を破くように霧が晴れる。むき出しの鉄筋、崩れかけたコンクリート、首を伸ばしたまま錆びたクレーン車。自由落下の浮遊感に臓器が浮く感覚がする。青井の脳が高速で閃く。
廃ビル、幻覚、ゴーストタイプ。
「つぼ浦、清めの塩忘れたなぁー!」
叫び声は空に吸い込まれた。落下は止まらない。
スローモーションになった視界に赤い閃光が走る。
『ドラパルト、らだおを助けろ!』
モンスターボールから半透明の龍が飛び出した。空中で優雅に身を翻し、青井の体を優しく受け止める。
「成瀬、と、ドラパルト!」
『ナイス無線報告。待機しといて正解でしたね』
青井はへなへな息を吐き、ドラパルトの背中でべたりと脱力する。遥か下、豆粒のような成瀬が手を振るのが見えた。
「助かったー。もうダメかと思った」
『いや俺も間に合わないと思いました』
「おい」
『それより、ドラパルトから受け取りました?』
「何?」
ドラパルトの頭に住み着いているドラメシアが待ってましたと言わんばかりに青井の周りをふよふよ飛んだ。ゴーストタイプらしくクスクス不気味に笑って、赤と白のボールを差し出す。
『キャップから借りてきました。今こそ必要でしょ?』
「確かにね。ヨォーシ」
青井は体を起こした。ぐっとドラパルトを挟む足に力を込めれば、ドラメシアが近づいて左右を支える。
右腕をしならせ、力いっぱいモンスターボールを投げる。赤い電撃のような光が甲殻類のシルエットを形作り、キャップの相棒を具現化する。
「シザリガー、バークアウト!」
ザリガニの姿をしたならず者が、体全部を使って凄まじい轟音を発した。ガラスが砕け散り、砂埃が波のように舞い飛び散っていく。あくタイプの全体攻撃が廃ビルを襲う。
ドッと黒い煙が隙間という隙間から飛び出した。耳を抑えたゴーストの群れだ。ヨマワルが光を当てられた影みたいにサッと消え、ボクレーが人間に似た悲鳴を上げて空へ逃げていく。ゴーストタイプは悪タイプに弱い。
「効果は抜群だ、ってね」
『らだおナイス! つぼ浦さん無事ですか』
「待ってねー。ドラパルト、近づける?」
「……」
「……」
「……」
「え、何?」
ドラパルトとドラメシアにジットリとした目を向けられ、青井は頬をかいた。
『ドラパルト、ゴースト・ドラゴンタイプなんで』
「あっ、シザリガーの食らってた? ごめんよ」
『後でカレーでもサンドイッチでもポロックでも作るよー。らだおが』
「オレェ? おれかぁ」
『じゃあつぼ浦さんで』
「それいいね。それで」
ドラパルトはしばらく弧を描くように空を飛んでいたが、つうと高度を下げてビルの屋上に青井を下ろした。交渉成立だ。
「ありがとね」
機械的な頭を撫でると、鼻を鳴らしてドラパルトは飛び去った。力二の元へ戻るのだろう。
シザリガーが周囲を警戒していたが、やがて首を横に振った。先程の攻撃で殆どのゴーストポケモンは逃げたらしい。
「つぼ浦もいないっぽい?」
シザリガーは唯一形を残している鉄扉を指さした。
慎重に近づけば、「サボサァ、サボサァ」とサボネアの声が聞こえる。サボネアがつぼ浦を呼ぶ時の鳴き方だ。
ギイ、と扉を開ける。
紫の炎が煌めいた。
薄暗い寂れた室内は万華鏡のようだった。砕けたガラスに怪しげな光が拡散し、真ん中に立つつぼ浦を照らしている。
炎でいっぱいのはずなのに、青井は震えるほどの寒さを感じた。背中に鳥肌が立つ。天井に浮かぶ豪奢なシャンデリアに似たポケモンのせいだ。
「シャンデラ……」
人間を誘い魂を燃やす生き物だ。目の前の美しい光景は、今まさにつぼ浦の魂が燃やされて成り立っている。
「サボサァ!」
サボネアが必死に呼びかけるが、つぼ浦は白痴のように口を開けるばかりだ。
青井の脳の奥でヂリと音が鳴った。途端、胸を焦がすほどの怒りが込上げる。一瞬でも、このおぞましい光景を美しいと感じてしまった。
青井の怒りに呼応して、腰にセットしたモンスターボールが揺れる。青井はシャンデラから目を離さず、最も頼れる相棒を呼んだ。
「ゲッコウガ。全部、壊そう」
青いシノビが頷いた。
「つぼ浦、起きてー」
「あー……?」
つぼ浦は2度瞬きをして、それから「あ?」ともう一度言った。周りが見覚えのない廃ビルで、青井もポケモンもボロボロだったからだ。
「何、は?」
「お、正気戻ってきた?」
「正気、っすよ。俺はいつでも」
「今回ばかりは殴るよ。マジで大変だったんだから」
おっさん臭い「あ゛ーっ」という呻き声とともに、青井はボロボロの床に倒れ込んだ。同意するようにゲッコウガが青井に重なって、シザリガーが2人を労る。
「マジで何があったんすか?」
「お前清めの塩忘れたでしょ」
「まさか」
つぼ浦はポケットを漁ったが、しばらくして「あ、そういやポップコーンにかけたな」と思い出した。
「……サーセン」
「まあ無事だったからいいけどね。サボネアに感謝しなよ」
「サボネア?」
「うん。ずっと傍にいて、お前のこと呼んでたよ」
青井の影から丸っこいシルエットが覗く。
「ほら、サボネア。つぼ浦起きたよ」
「サァ……」
サボネアは小さな声で鳴いて青井の傍から動かなかった。
「あ? どっか怪我したか?」
「サボサァサボ」
「俺は元気だぜ。強いて言うなら腹減ったな」
「ネェ!」
「空元気とかじゃないって」
てちてちサボネアが走って、つぼ浦にぶつかる。つぼ浦はくすくす控えめに笑った。かんしゃく玉の素の顔だな、と青井は思った。
「サボネェ、サボサァ、ネェネェ」
「あ? あー……」
「サボネア、なんて言ってるの?」
「助けらんなくてごめんって」
「ウワッ、いい子! つぼ浦の相棒にはもったいない!」
「おいテメェ!」
「ねえ、こんなバトル下手より俺にしない?」
「サボネアは渡さねえぞコラ」
「俺ならサボネアのこともっと強くしてあげられるよ?」
「うるせぇバトルジャンキー!」
ゲシと白いサンダルが青井のスネを蹴飛ばした。
「俺だってなぁ、……その、なんだ」
「サボサ、サボ」
「……。おう」
「サボネア、何て?」
「言わねぇぜ」
「なら当てるわ。……つぼ浦雑魚?」
「そろそろ俺のロケランが火を噴くぜ。さーん、にー」
「ゲッコウガ、シザリガーと俺抱えて逃げてー!」
「テメ待てやゴラァ!」
つぼ浦が大声でがなる。ケラケラ笑う青井を追う前に、サボネアを振り返った。
「追うぜ、サボネア!」
「サァボ!」
サボネアの声いっぱいに込められた、「好き」にちょっと照れて。
「前のポケモントレーナー止まれぇー! ミサイル針でサボテンの標本にするぞゴラァ!」
力いっぱい誤魔化した。
後日談
「つぼ浦さん、なんでそこまでゴーストタイプに狙われるんですか?」
「ロスの親玉ゲンガー跳ね飛ばしたからだぜ」
「あー、そりゃそうなるわ。なら、サボネア早く進化させなきゃですね」
「なんでだ?」
「ノクタスになると悪タイプ入るでしょ。相性有利」
「……」
「うわ嫌そ」
「別に嫌じゃねえぜ」
「ほんと、つぼ浦さんポケモンに対してデロッデロに甘いっすよねぇ」
「甘くねえぜ」
「バトルくらいポケモンの方が喜びますって」
「チクショウ! そろそろ耳にカニが生える! 覚えてやがれ!」
つぼ浦は耳を抑えて逃げ出した。勝手に出てきたサボネアがアロハシャツの裾にしがみついて、力二にニコニコ手を振った。
「……マ、幸せそうだしいいかぁ。今日は俺もドラパルト労わろ〜」
コメント
2件
pkmnパロ大好きなので最高に嬉しいです!!!素敵なお話でした… キャラの手持ちポケを考えるの楽しいですよね…👍