テラーノベル
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部活が休みの日。放課後の校舎はいつもより静かで、オレンジ色の夕日が廊下を長く照らしていた。
「……朱里、こっち」
治くんに手首を引かれてやってきたのは、実習のない日は誰もいないはずの家庭科室。
ガラガラ、と扉を開けると、そこには洗剤と少しだけ小麦粉のような匂いが混じった、独特の静寂が広がっていた。
「……治くん、ここ勝手に入っていいの? 先生に怒られるよ」
「ええねん。鍵、開いてたし。……それに、昼間の『お返し』、人に見られたら効率悪いやろ」
治くんは調理台の縁に腰を下ろし、銀髪を少し揺らして私をじっと見つめた。
スナギツネのような細い瞳が、今は獲物を完封する時のような、鋭く、けれど深い熱を帯びている。
「……卵焼き、美味かった。朱里の味、俺、一生食べていたいわ」
「……っ、そんなの大げさだよ。ただの卵焼きだし……」
「……大げさやない。……俺にとって、朱里が作るもんは、世界で一番価値がある」
彼はそう言うと、私の腰をグイッと引き寄せた。
調理台と彼の大きな体に挟まれて、逃げ場がなくなる。
至近距離。
彼の乱れた呼吸が、私の頬を熱く撫でる。
「……ねえ、治くん。お返しって……何?」
「……おにぎりでも、肉まんでもない。……朱里にしかあげられへん、最高に甘いやつ」
彼は私の頬に手を添えると、親指でゆっくりと下唇をなぞった。
昼間、卵焼きを「一口」食べた、あの指。
「……許可、して。……俺以外の男に、こんな顔見せんといてよ」
彼が顔を近づけてきた、その時。
「あーーーっ!! 見つけた! 治、自分だけ朱里ちゃんと家庭科室でええ雰囲気になっとるやんけ!!」
ガラッ!! と勢いよく扉が開いた。
そこには、調理実習で忘れたエプロンを取りに来たらしい侑くんと、その後ろでスマホを構えた角名くんが立っていた。
「……ツム、お前、死ね。今すぐ死ね」
治くんは無表情のまま、調理台の上にあった粉砂糖の袋をひょいっと掴むと、侑くんの顔面に向けて中身をぶちまけた。
「ふごっ!? 甘っ!? 何すんねん治!! 目が、目がぁ!!」
「……隠し味や。お前は一生砂糖漬けになっとけ」
角名くんは「これ、傑作だわ」と笑いながら動画を回し、砂糖まみれの侑くんを引きずって廊下へと去っていった。
再び訪れた、静寂。
「……あー、邪魔が入った。……最悪や」
治くんは深いため息をつき、今度は私の首筋に顔を埋めた。
彼の熱い吐息が、肌に直接伝わってきて背筋が震える。
「……朱里。……今の続き、もっと甘い場所でしてええ?」
意地悪な後輩……ではなく、執着心の塊のような同級生の、甘い罠。
粉砂糖よりもずっと甘くて、胸が焦げるような「お返し」が、私の心拍数を極限まで跳ね上げていた。
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