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百貨店に到着した恒彦と京子二人は困惑していた。
「ああ、適当に見て回りますか?で、いいのかな」
恒彦が弱り切る。
「すみません。女性と百貨店なんで初めてで……」
どこから回ればわからないと、恒彦は照れながら京子へ言った。
「京子さん、見たいものありますか?」
と、その時……。
「キャッ!」
京子がよろけた。
「危ない!」
恒彦が、とっさに抱きとめる。
「あっ!すまない!急いでたもので!ぶつかってしまった!でも、あんたたちも、ぼっと突っ立っていられちゃ通行の邪魔だよ!」
若者が、焦りながら駆け抜けて行った。
「なんだあれは!危ないじゃないか!」
恒彦が、若者の姿を睨みつけている。
「お客様大丈夫ですか?」
近くにいた女性店員が優しく声がけしてくれた。
「これから、花園咲子の歌が始まるんですよ。今日の催し物なんです。だから、いつもよりお客様も多くて……」
聞かれて行けばどうですかと、店員が勧めてくれる。
「へぇ、花園咲子か!京子さん行ってみましょうか!」
恒彦は言うが、京子は、気が気ではなかった。
倒れないようにと、京子は恒彦に支えられているままだったからだ。つまり、人前で、抱き合っているに等しい体制をとっているのだ。
「あ、あの……」
京子には、それが精一杯で、わかってくれとばかりに、体を少しよじらせた。
「どうしました?あ、ああ!すみません!」
恒彦もようやく気が付いたようで、京子から離れた。
「転んだらいけないと思ってつい……」
「あ、ありがとうございます……」
恒彦の気配りは十分わかっている京子だが、理由はどうあれ公然と抱き合うような事になってしまったのは恥ずかしすぎた。
礼を言いながらも、恒彦を避けるように離れてしまう。
恒彦も、どう言えばと困っている。京子に距離を取られるのも仕方ないと分かっていたが、何とか取り繕いたかった。
「あっ、い、行ってみましょうか……私たちも」
それだけ言って、恒彦は進んだ。京子と程よく距離を取りながらも、ついてきているかと気を配りながら……。
暫く進むと、吹き抜けの催し物会場が見えてきた。もうすでに黒山の人だかり。花園咲子目当ての贔屓《ファン》が集まっていた。
「凄い人ですね。京子さん。危ないから、もっと私の側へ」
と、恒彦は言ってから、
「あっ、先ほどのような事があっては行けないので!」
急いで言葉を付け足し、焦り尽くす。
京子も、深い意味はないと、そこは分かっていた。とはいえ、はい、と素直に隣に立つことははばかられた。やはり、恥ずかしい。
「みんなーー!元気ーー?!」
咲子が、特設の舞台に現れる。
気負わない歌姫の掛け声に、場には大歓声が沸き起こった。
そして、澄んだ歌声が流れ始めた。
一曲歌い終わるごとに、贔屓からの掛け声と大きな拍手が繰り返される。
「いや、凄い人気ですね!それに、歌も上手いなあ!」
恒彦が京子へ囁く。
「お咲ちゃーん」
気がつけば、恒彦も贔屓と共に舞台へ向かって掛け声をかけていた。
顔をほころばせ、大喜びだ。
京子は、そんな恒彦の姿を横目で見ながら、なんとなく、弟の京次郎を思い出し思わず笑顔になる。
こうして、花園咲子は歌い切る。会場はいつまでも割れんばかりの拍手と歓声が続いた。
もちろん、恒彦も、必死に拍手して、掛け声をかけている。
京子は、笑いを噛み締めた。
自分よりもひと回り年上なのに、まるで子供のようにはしゃぐ恒彦の姿は、可愛らしくてしようがなかったからだ。
「いやあ!よかった!」
恒彦は満足げだ。
「京子さん、じゃあいきますか?何か見て回りましょう」
「は、はい」
二人共、花園咲子の舞台のおかげで少し緊張もほぐれていた。
「あっ」
小間物を置いている一角で、京子が瞬間立ち止まる。
先を行く恒彦は、見逃さなかった。
共にショーケースをのぞき込む。
「人工カメオだわ」
そこには、芳子の帯留めとよく似た人工カメオのブローチが飾られていた。
「……お気に召しましたか?」
「あっ、いえ、そういうわけでは……」
「……記念に、何かお買いしますよ」
恒彦がそっと言う。
「いえ、そんな!」
京子は慌てた。
家族でもない恒彦に、いきなり何かを買ってもらうのに抵抗があったのだ。
「京子さんはまだ学生だし、何か毎日使えるもののほうがいいかもしれない。そうだ!」
言って、恒彦は文具売り場を店員に尋ねた。
「なにか洒落た便箋などのほうが良いでしょう。多分……。あまり女学生の好みはわからないのですが……」
言いながら、恒彦は教えられた売り場へ向かって行く。
京子も、遅れないように後を追った。
文具売り場には、京子と同じ年頃の女子たちがいた。
「凄い人気だな……」
恒彦は、驚いている。
二人に気が付いた店員が、声をかけて来る。
「何かお探しものはありますか?それとも、菊水好みの便箋がお目当てで?」
「菊水?」
恒彦が聞き返す。
「雑誌、女学生の友で人気の挿絵家、山村菊水先生の絵が書かれた便箋が入荷したところなんですよ」
店員は、こちらへと、恒彦と京子を誘った。
「へえ、なんだか、アールヌーボー様式みたいですね。今人気なのですか?」
「はい、それはそれは。すぐ売り切れになるんですよ」
「京子さん、いかがですか?」
恒彦が京子に声を掛ける前に、京子はすでに便箋に夢中になっている。
「じゃあ、決まり。君、一番人気の物を頂くよ」
恒彦は、店員へ声をかけた。
「白井様、よろしいのですか?!」
「これくらいお安い御用ですよ」
「あ、ありがとうございます」
「便箋で誰にお便りするのですか?」
「え?それは、お友達に。あと、お友達同士で便箋の交換もしたりしますよ」
「へえ、そうなんですね」
自分の知らない世界を知ったと恒彦は興味津々だった。
「じゃあ……筆記具も必要になりますね手紙が書けない」
恒彦は、店員を捕まえて、万年筆を見たいと申し出た。
店員は、はいと答えると、男性向けの万年筆を揃えてくる。
「いや、彼女が使うんだ。女学生が使えるものを見繕ってくれ」
それだけ言うと、恒彦は京子へ、
「……私も京子さんからのお手紙が欲しいです。どうです?文通しませんか?」
と、言ってきた。
「文通……?」
「フランスへ、手紙を書いてくれませんか?」
「……フランス」
その言葉を聞いた瞬間、京子の胸がきゅっと締めつけられた。
そうだ。
恒彦は、来月フランスへ行ってしまう。
向けられている恒彦の笑顔が、一気に遠いもののように感じられた。
「……はい……」
「楽しみだな。じゃあ、万年筆を選びましょう」
京子は店員が持って来た万年筆を真剣に見た。恒彦への手紙を必ず書くのだと思いながら……。
コメント
1件
ああ、第9話、読み終わりました…!百貨店での二人の距離感が本当に絶妙で、胸がきゅっとなりました。ぶつかった拍子に抱きとめる恒彦さん、その後で慌てて言い訳するところとか、もう、じれったくて可愛くて!花園咲子の舞台で無邪気に掛け声かける姿を京子さんが「可愛らしい」と微笑むシーン、二人の緊張がほどける空気が伝わってきました。最後の文通の提案も、フランス行きを思うと切ないですね…設定の時代感も、便箋や万年筆のエピソードが効いていて素敵でした。続きが気になる…!