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──帰ろう。 大きかった雨音がいつの間にか小さくなっていて、どれぐらいの時間が経ったのかは分からない。
でもそんなこと心底どうでも良く、傘立てに入れておいた水色の傘を手に取り、ポンっと開かせ一人、駅まで歩いていく。
朝から広がっていた黒雲はすっかりなくなり雨はもうすぐ止むのかと思ったけど、いつもの最寄り駅で下車して改札を抜けると、また黒雲が広がっていて雨はザァザァと降っていた。
私を追いかけて来てくれるのは、雨雲だけってこと?
自虐的な考えを振り切ろうと傘をブンッと回して差そうとするけど左手には何もなく、右手には肩に掛けてある学生カバンの紐を握っているだけで、他は何もない。
「あっ!」
周囲の人たちは私の声にピクンとなり、サッサっと避けて傘を差したかと思えば、足早に去っていく。
やった、やってしまった。傘を忘れてきてしまった。駅のホームに。
今回は勘違いではない。だって、あんな大きな傘、カバンに入る訳ないのだから。
どうする? 取りに戻る?
お母さんに迎えに来てって頼む?
駅の時計は五時過ぎていて、お母さんの仕事は終わっているだろうし、たまには頼んでも……。
しかし私は、そのまま歩き出していた。
傘を取りに戻る気力なんてないし、お母さんに連絡するなんて、もっとない。
別に全身が濡れたって、そんな私を通行人にどう見られたって、カバンの中がびしょびしょになったって、スマホが壊れたって、そんなのはどうでもいい。
それより、私の世界が壊れてしまうのが怖い。友達やクラスメイトに嫌われることが一番。
だってそんなことになったら、私はクラスで弱い存在になるから。誰にも守ってもらえない存在になるから。
……貧乏くじを引いた、可哀想な子になってしまうから。
「あの頃に戻ってしまうのかな……?」
そう呟き顔を見上げると、私はいつの間にか本屋さんの前に立っていた。
私は、買った本を全て読み切らないと本屋さんには来ないというポリシーがあったけど、中学の頃は毎日通っていた。
ここは、ただ本を買うだけの場所ではなく、学校で辛いことや、家の居心地が悪くて息苦しさを感じた時に立ち寄る場所。辛かったあの頃を支えてくれた、私の居場所だった。
だから自然と足が動いてたんだね。
ホント、私は変わらないなぁ。
そう思い自動ドアに近付いていくけど、反射したガラスに映っていたのは、びしょ濡れで死んだような虚な目をした自分で、髪や服からポタポタと水滴が落ちていたと、今更ながら気付いた。
「あ……」
だめだ。濡れてるこの体で、お店には入るなんて、お店にも本にも冒涜以外の何でもない。
そう思い、店長さんに気付かれないように、そっと離れる。
私、何やってるんだろう。傘を忘れるなんて、この姿で本屋さんに入ろうとするなんて、バカなことを。
だいたい、今更、入店なんて出来ないでしょう?
二学期に入って麗華が転校して来てから、私はこの本屋さんに来れていない。
麗華を裏切った私が、大切な場所を穢すなんて許されるはずもないのだから。
じゃあ、どこに行くっていうの?
中学の時、傘を忘れて仕方がなく走って帰ったら、それを見たお母さんは、またいじめに遭っているんじゃないかと騒いでいた。
また、同じことが起きれば。
……待って、どうしよう。私、行くところないじゃん。
薄暗い街中、街灯に照らされた大通りを歩いていくと、雨だからか歩道には誰もおらず、そのぶん車道には車がビュンビュンと通り過ぎていく。
大好きな雨の匂いまで、嫌いになりそう。
そう思っていると追い討ちをかけるように、車のヘッドライトが目に入り、頭がクラっとして立ち止まる。
力が抜けてきた私は誰もいない歩道でしゃがみ込んで、膝に顔を埋めていた。
濡れた制服が、肌にピチャリと張り付いて気持ち悪い。
寒い、冷たい、もう嫌だ。
冬の雨は体だけでなく、心まで容赦なく冷やしていく。
私の目から、雨に反して熱いものが溢れてきて、もう我慢出来なかった時、その異変に気付く。
冷たい雨が体に当たらない。そんな不自然なことが。
ゆっくりと顔を上げると、私の頭上には水色の傘がふわりと広がっていて、後ろを振り返る。
濡れて色が変わったローファーに、黒い靴下。細長い足に、膝が見える丈のスカート。ブレザーの袖から出ている手首からは水滴がポタポタと落ちていて、その先には私の傘が握られていた。
自分の傘は風で煽られて傾き雨が降り注ぐことを許しているのに、私に向けられている傘は真っ直ぐで、どっちの手に力の比重をかけているかは明らかだった。
「ほら、風邪引くから」
息を切らした声でそう言い、しゃがみ込んで私に傘を渡してくれる。麗華は自分の傘を畳んで横に置き、肩を持って立ち上がらせてくれた。
「……あっ」
咄嗟に麗華の方に傘を傾けると、「ありがとう」と言って、傘を拾ってそっと広げた。
地面に置いたことにより、泥が付いてしまった傘を。
「帰ろう、送るよ」
「……やだぁ。あんな家、帰りたくないよ……」
首を小さく横に振り、雨音で掻き消されそうな声で、わがままを言う。
自分の立場とか、考えもせずに。
「そっか……。うん、そうだよね。分かった、じゃあ、うちに来なよ。大丈夫、ここは学校から遠いから、私と一緒でも誰も見ていないし。親も妹も、帰り遅いからさ」
あまりにも優しすぎる笑顔に嗚咽を漏らしてしまった私は、俯きただ頷くことしか出来なかった。
「行こっ」
握ってくれた麗華の手は、雨で濡れたせいか冷たかった。
だけどこれほど温かな手に包まれたのは初めてかもしれない。
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