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カルヴァは、
突破していった騎馬隊が――
反転してくるのを見た。
「……来るか」
低く、つぶやく。
逃げるつもりは、ない。
赤い流れの先頭。
その中に――見覚えのある影があった。
(あの時の……)
小さな背。
だが、その動きは、誰よりも鋭い。
カルヴァは、ゆっくりと馬から降りた。
手綱を離す。
もう、この戦いに馬は要らない。
腰の剣を抜く。
静かな音。
「一刀で――切れるか」
自分に問いかける。
答えは、出ない。
ただ、わかっている。
(止めなきゃな)
風が、止まったように感じた。
戦場の喧騒が、遠のく。
エレンが迫る。
速い。
だが、今は――
すべてが、ゆっくり見える。
カルヴァは構えた。
無駄のない、まっすぐな構え。
かつて“美しい”と称された、その剣。
「来い」
上段から振り下ろした剣が――
空を、切った。
(……速い)
エレンの姿が、消える。
次の瞬間、背後。
ひゅ、と風を裂く音。
子斧。
カルヴァは反射で剣を振るった。
弾く。
金属が弾ける甲高い音。
だが――
その衝撃に、剣が耐えなかった。
折れた。
「……っ」
目を見開く。
間を置かず、二投目。
(来る――)
避けられない。
そう理解した瞬間には、もう遅い。
子斧は鎧を貫き、
腹部に――深々と突き立った。
「……ぐ、ふっ」
膝が落ちる。
力が、抜けていく。
視界の端で、エレンが次の動きに移っている。
止まらない。
一瞬も。
(……ああ)
カルヴァは、わずかに笑った。
(やっぱり……止められなかったな)
胸元に触れる。
手紙の感触。
(すまん)
声にはならない。
だが、不思議と――
後悔は、なかった。
誰にともなく、そう呟いた。
血が、地に落ちる。
エレンは、立ち止まった。
血の匂いの中、ただ一人、静かに。
「前、戦った時――」
ぽつり、と言う。
「撃ち合いが続けば、負けるって思ったの」
視線は、倒れかけたカルヴァに向けられている。
「だから、最初の一瞬にかけた」
わずかな沈黙。
「……偶然だな」
かすれた声が、返る。
「俺もだ」
カルヴァは、わずかに笑った。
血に濡れた口元が、ほんの少しだけ緩む。
「頼みが、あるんだ」
胸元に手を入れる。
震える指で、一通の手紙を引き出した。
「これを……故郷の妻に、届けてくれないか」
エレンは、それを見た。
受け取るでもなく、拒むでもなく。
ただ、見ている。
「……自分で――」
言い終わる前に。
カルヴァは、目を閉じていた。
風が、吹いた。
戦場の音が、遠くで戻り始める。
エレンは、しばらく動かなかった。
やがて、静かにしゃがみこみ――
その手紙を、拾った。
「……偶然じゃない」
誰にともなく、呟く。
立ち上がる。
もう振り返らない。
赤は、再び前へ進む。
「スカーレット軍、こちらに向かってきます。」
「カルヴァがやられたか、迎撃せよ」
「盾隊を前に、弓で足を止めよ」
ざわめく本陣。
伝令が駆け、旗がせわしなく揺れる。
「皇帝陛下を急ぎ、ラディスの陣へ」
「いや、ゼイオン、わしは逃げぬ」
「ですが、万一……」
ゼイオンは言葉を切った。
その目は、すでに戦場を見ている。
遠く、土煙。
一直線に突き進む騎馬の群れ。
(速い……ただの突撃ではない)
「……よいのですか」
低く、確認するように問う。
皇帝は、わずかに笑った。
「余が退けば、軍は崩れる。違うか」
沈黙。
ゼイオンは一歩下がり、静かに頭を垂れた。
「――承知いたしました」
顔を上げたとき、その目から迷いは消えていた。
「近衛を再編。前列二重陣。槍を前へ出せ」
「弓兵、三段構え。引きつけて放て」
「……来るぞ」
その声は、静かだった。
だが、誰一人として逆らえなかった。
「あれが本陣じゃ」
「黒き大きな旗が見える」
女王のレッドラビットの速さは、異常だ。
地を蹴るたび、空気が裂けるように鳴る。
だがスカーレット軍はその先頭に、離されぬよう
一糸乱れぬ突撃を繰り返していた。
「女王陛下、突入しますか」
「無論、あそこには皇帝もゼイオンもおる」
レイナの口元が、わずかに歪む。
「行くぞ!」
次の瞬間、レッドラビットがさらに加速した。
「全軍、続け!!」
号令が風を裂く。
前方、帝国本陣。
盾が並ぶ。
槍が林立する。
弓が一斉に引き絞られる。
「放てぇッ!!」
矢の雨が、空を覆った。
だが――
「止まるな」
レイナは、ただそれだけを言った。
降り注ぐ矢。
倒れる兵。
だが、速度は落ちない。
むしろ、増す。
「――狂っている」
帝国兵の誰かが呟いた。
その瞬間、
レイナは矢の雨を突き抜けた。
盾列へ――
「割れろ」
低く、言った。
衝突。
重盾が弾け飛ぶ。
槍が折れ、兵が宙を舞う。
そこに、穴が開いた。
「今じゃ!!」
スカーレットの騎兵が、その一点へ雪崩れ込む。
整然とした陣形が、歪む。
ほんの一瞬。
だが致命的な、歪み。
「防げ、防げ、防げい!」
「皇帝陛下をお守りしろ!」
最後の守りの層。
その盾兵の中心で――
爆音が、炸裂した。
地面がめくれ上がり、肉と鉄が空へ散る。
「ジャスミン!」
爆風が、すべてを呑み込む。
ジャスミンの体が、軽々と宙を舞った。
耳鳴り。
視界が白く焼ける。
――次の瞬間。
静寂。
(……やられたか)
誰もが、そう思った。
だが。
瓦礫の中、ひとつの影が、ゆらりと立ち上がる。
血に濡れた髪。
焼け焦げた外套。
その奥で、目だけが――生きていた。
「……ゼイオン…」
ジャスミンが、かすれた声で呟く。
その背後。
帝国兵が一斉に襲いかかる。
「仕留めろ!!」
だが、その刹那――
風が、走った。
一閃。
近づいた兵の首が、同時に落ちる。
遅れて、血が噴き上がった。
その中心に、レイナが立っている。
鎧は砕け、肩から血を流しながらも――
一歩も、引いていない。
「ゼイオン」
「そなただけは生かしておかぬ」
静かな声。
だが、怒りではない。
それは、断罪だった。
前方。
爆煙の向こう。
ゆっくりと歩み出る影。
ゼイオン。
衣は裂け、頬に血が流れている。
だが、その表情は――変わらない。
「……生き残りましたか」
淡々と、言う。
まるで結果を確認するように。
「貴様……味方ごと……!」
ジャスミンが叫ぶ。
ゼイオンは、ちらりと視線を向けただけだった。
「戦とは、そういうものです」
そして、レイナへ視線を戻す。
「むしろ――」
わずかに、口元が歪む。
「これで、ようやくお会いできましたな」
二人の距離が、縮まる。
周囲の戦いの音が、遠のいていく。
誰も、近づけない。
その空間だけが、別の戦場になっていた。
「皇帝陛下を急ぎラディスの陣に引かせよ」
「ここはお任せを」
ゼイオンは静かに剣を抜いた。
「あなたはここで死ぬ」
「順番が逆になっただけだ」
レイナは血に濡れた刃を構える。
「魔に魅入られた哀れな男よ」
「潔く我に討たれるがよい」
――間。
次の瞬間、消えた。
金属音。
火花が散る。
初撃は、互いに首を狙った一太刀。
交差し、弾き、すれ違う。
レイナが踏み込む。
速い。
常人の目では追えぬ踏み込みから、連撃。
上段。
返しの横薙ぎ。
間髪入れぬ突き。
「――甘い」
ゼイオンの剣が、すべてを受け流す。
最小の動き。
最短の軌道。
無駄が、ない。
だが――
「軽いな」
レイナが、嗤う。
力で押し込む。
刃と刃が軋む。
そのまま、体ごとぶつける。
重い。
ただの剣ではない。
意思ごと叩きつけてくる一撃。
ゼイオンが半歩、下がる。
「……なるほど」
次の瞬間、
彼の剣が消えた。
下からの一閃。
レイナの脇腹を狙う。
だが、
ガキンッ――!!
弾かれる。
レイナは無理な体勢からでも剣を差し込んでいた。
「その程度か」
踏み込む。
斬る。
さらに斬る。
暴風のような連撃。
防ぐたび、ゼイオンの足が後ろへ滑る。
だが、その目は――冷たいままだ。
(……見ている)
レイナは、直感する。
この男、まだ“本気ではない”。
その瞬間、
ゼイオンが、わずかに踏み込みを変えた。
一拍。
ほんの、わずかなズレ。
レイナの刃が、空を切る。
「――そこです」
突き。
一直線。
無駄のない、必殺。
レイナの肩を貫いた。
血が、弾ける。
だが――
レイナは止まらない。
「遅い」
踏み込む。
刺されたまま。
距離を、詰める。
ゼイオンの目が、初めてわずかに揺れた。
次の瞬間――
レイナの剣が、振り下ろされる。
刃はゼイオンの肩当てに、深く食い込んだ。
鈍い音。
骨に届く手応え。
だが、その刹那――
ゼイオンは、短剣を抜いた。
迷いなく、レイナの胸へ。
刺し貫き、そのまま引き裂く――
その瞬間。
影が、割って入った。
「――ッ!」
刃が、止まる。
「ジャスミン!」
血が、噴き出す。
ジャスミンの体が、二人の間で崩れた。
それでも、腕を離さない。
ゼイオンの動きを、押しとどめる。
「……お逃げを……」
かすれた声。
だが、確かに届く。
レイナの目が、揺れる。
次の瞬間――
蹄の音。
レッドラビットが、戻ってくる。
まるで主の意志を知るかのように。
「おのれ、ゼイオン!」
低く、呟く。
レイナはジャスミンの体から手を離し、
そのまま鞍へ飛び乗った。
「退くぞ!!」
振り返らない。
ただ、一直線に。
その背を、誰も止められない。
――その途中。
レイナは、帝国本陣の黒旗を一太刀で薙いだ。
布が裂け、支柱が軋む。
次の瞬間、
黒き旗は、大地へと崩れ落ちた。
ざわめき。
帝国軍の、わずかな動揺。
それだけで、十分だった。
赤い影が、戦場を切り裂く。
来た道を、逆に。
誰も、追いつけない。
一方。
帝国兵が、ゼイオンのもとへ駆け寄る。
「ご無事ですか!」
肩当ては砕け、血が流れている。
だが――
ゼイオンは、自ら立ち上がった。
視線は、ただ一点。
地に伏すジャスミンへ。
そこへ、帝国兵が殺到する。
「止めを――」
「……待て」
静かな声。
兵たちが、動きを止める。
ゼイオンは、ゆっくりと歩み寄った。
「……見事だ」
それだけ、言った。
感情はない。
ただ事実を述べるように。
そして、振り返る。
倒れた旗。
乱れた陣。
遠ざかる赤。
「……逃がしましたか」
わずかに、口元が歪む。
「――ですが」
目は、まだ戦場を捉えている。
「次は、逃がさぬ」
「皇帝が討たれた!」
「本陣にスカーレット兵が殺到しているぞ!」
「ゼイオン殿は無事か!」
帝国本陣が襲われ、軍旗が倒された。
その事実は――
戦場にいるすべての者が、見ていた。
そして。
事実よりも早く、噂が走る。
王国前線のガイロの陣では
歓声も上がっている部隊もあった
皇帝討死。
本陣壊滅。
総崩れ。
恐慌が、じわじわと広がる。
だが。
「あわてるな!!」
雷のような声が、戦場を裂いた。
「皇帝は無事じゃ!!」
兵たちが振り向く。
その先。
血に濡れたまま、立つ影。
「わしも、生きておる」
ゼイオン。
その一言で、揺らぎが止まる。
ざわめきが、収束する。
――だが。
(……呼び寄せてしまったな)
ゼイオンは、静かに目を細めた。
戦場の悪魔。
混乱と恐慌。
それは敵だけでなく、味方すら喰らう。
(ならば、使うまで)
視線が、戦場を走る。
崩れかけた敵左翼。
突出したスカーレットの軌跡。
空白となった敵本陣。
すべてが、一瞬で結びつく。
(敵戦線の崩壊まで、あと一刻――)
「……いや、待て」
結論が、変わる。
「軽騎兵隊、二百、出せるか」
「はっ、可能です!」
「我に続け」
即断。
迷いはない。
「左翼敵を崩し――取って返す」
兵が息を呑む。
「敵本陣を、急襲する」
ざわめき。
だが、それを押し切る声。
「もはや敵兵は残っておらぬ」
静かに、言い切る。
「これで――終わりよ」
次の瞬間。
ゼイオンが、馬に飛び乗った。
「続けい!!」
二百騎が、一斉に駆ける。
塵が舞い、地が鳴る。
その進路は――敵左翼。
崩れかけた場所を、さらに砕く。
「突き破れ!!」
一瞬で、裂ける。
防ぐ力など、残っていない。
そのまま――
反転。
まるで一本の矢のように、
戦場を横断する。
「速い……!」
誰かが呟く。
違う。
速さではない。
“判断”が、速いのだ。
敵が理解する前に、次の局面へ。
その先にあるもの。
無防備となった――敵本陣。
サイラスは、遠く帝国本陣を見ていた。
爆炎。
崩れる陣。
そして――倒れる黒旗。
「……何事でしょうか」
「レイナ女王の軍が皇帝を討ったということでしょうか」
誰かが呟く。
だがサイラスは、首を振った。
「いや」
静かに、否定する。
「ユンナ、逃げる準備しようか」
振り向きもせず、言う。
「ゼイオンが来るよ」
ユンナが目を見開く。
「え……?」
サイラスは、笑っていた。