第1話 アンタは前世の恋人だ
「今日は……平和だったなぁ……」
授業が終わり、放課後。
教室内はすでに騒がしく、この後の予定のために教室を飛び出したり、のんびりおしゃべりしていたりと、それぞれの放課後を過ごしている。
入学式が終わってから数週間、新一年生たちは徐々に高校生活に慣れつつあった。
そんな中。
「じゃ、また明日!」
クセのある赤みがかった長い髪を、サイドポニーテールにまとめた女子生徒――鈴野 綾菜(すずの あやな)は、高らかに宣伝するかのような大声でクラスメイトに挨拶すると、荷物を持って教室を飛び出した。
(……そうだ。休み時間とか教室移動が平和だったということは……)
ある思い出したくないことを思い出してしまった綾菜は、早足で廊下を進む。
「そういえば……今日、まだうちのクラス来てないよね? ってことは鈴野さんと『彼』のいつものやつ、これからじゃない?」
「毎日毎日よくやるねー」
すでに廊下に出ていたクラスメイトたちの、ひそひそ声がする。
決して悪意あるものではなく――イベント前のそわそわした感じに近かった。
(今! 襲撃に来る可能性大! 遭遇したらたまったもんじゃない……逃げるが勝ち!)
「あ、飛鳥馬(あすま)くんだ!」
「!」
綾菜が今あまり聞きたくない名前が背中のほうから聞こえ、一瞬硬直する。
「今日これから練習試合すんだけど、飛鳥馬来られるか?」
「今日はパス! また今度!」
「なんだよつまんねー!」
「今度サッカーするとき、見に行くねー!」
「おー! 俺のアシスト殺法に請う、ご期待!」
「あーそうか、今日はまだ行ってなかったんだっけか」
「おー! 今日こそ落としてみせるぜ!」
ひと際大きく、自信満々で調子のいい声が響くと、すでに放課後で人が多い廊下で「おお」とどよめきが起こる。
(……無視! ムシ! 私は無関係です!)
自分に言い聞かせるように内心で唱えつつ、こそこそと廊下を進む。
すると。
「斎賀(さいが)ぁ、今日これからどうするー?」
「!」
その声と同時に、綾菜の視界に飛び込んできた人影に、ピタリと歩みが止まる。
(斎賀くんだ! ここで会えるなんて……知らない仲じゃないんだし挨拶くらいは……)
「あーやの!」
瞬間、綾菜の早足再開、逃げるの優先。
(したい! けど! 顔が合わせたわけじゃないのに、いきなり挨拶したらびっくりさせるし……今は捕まりたくない……!)
「あーやのったら! 聞こえてんだろ!」
(聞こえない聞こえない!)
鉄の心で唱えながら廊下を進む綾菜だったが――
「鈴野さん」
「ふぇあ!? あ、な、なに?」
いつの間にかにそばに来ていた、綾菜のクラスメイトが声をかけてきた。
「飛鳥馬くん、さっきから呼んでるよ……?」
「!」
申し訳なさそうな顔の女子生徒が指さした先には、一人の男子生徒。
毛先が肩に触れるほどの長さの黒髪は、男子にしては珍しい長さだ。
だが髪には艶(つや)があり、きちんとスタイリングされ整っている。
同年代からは抜きん出た存在感がある男子生徒。
「よぉ!」
飛鳥馬司郎(しろう)はへらーっと呑気そうな笑顔で手を挙げている。
(頑張って聞こえないフリしてたのに……! クラスの子使ってスルーさせないとは……!)
そんなことを考えている間に、綾菜のそばまで歩み寄ってくる司郎。
「佐藤(さとう)さん、わざわざありがとなー!」
「ど、どういたしまして! 私が勝手にやってることだから」
(しかも、自分で言わせてるんじゃなくて、自主的に言うようにしてしまうというのがまた……!)
女子生徒(佐藤)はそのまま綾菜から離れたところまで移動すると、見守るように視線を向けてくる。
そして彼女だけではなく――まばらではあるが、ギャラリーのように二人を見守る生徒たちの姿があった。
(ああー! また今日も……!)
逃げられない――そう綾菜が悟った瞬間。
「よし、今日こそどうだ! 俺のこと好きになった!?」
「なってない! 昨日の今日でそう簡単に変わるかい!」
司郎からの言葉を、綾菜は秒で切り捨てた。
ギャラリーはどよめき「あー、まーた飛鳥馬振られてるよー」「よくやるよなー」と男子の呆れとも励ましとも言える声が飛ぶ。
「公衆の面前で毎回こういうことをするのもどうかと思うけどな……」
(田之上(たのうえ)くんだけが良心……! あんまり話したことないけど!)
綾菜が感動したのもつかの間、「でも鈴野さんの、あの清々しいくらいの切り捨てっぷりすごいよね……」「あんな二人がくっついたら……ドラマチックだよねー」と女子からの声に再びうんざりする。
そんな綾菜の心情や周りの様子など気にもせず、
「そっかー、まだダメかー」
綾菜の心情など関係なく、司郎は肩を大きく竦(すく)め、残念とばかりに苦笑する。
だが落胆しているというよりは、最初からわかっていたと言わんばかりの反応だった。
その証拠に――
「けどなー、今こんなこと言ってるけど――そのうち落とすんでよろしく!」
と、周りに宣伝するかの如(ごと)く、自信満々に言い切るのだった。
一瞬廊下がしんと静まり返ると、すぐに「おお!」「よく言った!」「めげないよなぁ……オレだったらあそこまで言われたら……諦めるしかないよ」「イケメンでもダメなもんはダメなんだな……」と、声を上げつつしみじみしている男子。
女子は女子で「でもそれでもあきらめないところ、いいよね!」「いいなあ鈴野さん」と羨望の眼差しと共に盛り上がっている。
「迷惑というのも、もう少し考えたほうがいいと思うんだが……」
ざわつくギャラリーの中に、田之上の声はあっさりかき消えるのだった。
――ここまでテンプレ、というくらい、ここ数週の恒例行事と化していた。
(あああ面倒くさぁぁぁぁい!)
堂々としている司郎に対し、今にも膝を折りそうなほど脱力している綾菜。
(どうしてこんなことに……でもあんなこと言われて好きになるとか、普通ありえない!)
現実逃避のため――綾菜の思考は、入学式直後まで飛んでいた。
入学式という晴れの日に相応しい青空。
連日の雨も何とか持ちこたえた桜が、中庭をピンク色に彩っていた。
大半の生徒は、明日からの高校生活に胸を躍らせ帰路につくか、すでに意気投合した友人同士で午後の街に繰り出している。
「ここならいいだろ」
そんな中、入学式を終えたばかりの綾菜は、今日初めて会ったばかりの同じ新入生男子――司郎に、中庭まで連れてこられた。
「それで……私に何か用かな?」
「もちろん。ちょーっと驚くかもしんないんだけどさ――」
少しだけ間を空けて、司郎は続く言葉を口にした。
「アンタは、俺の前世の恋人なんだよね」
「……は?」
次回へつづく
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