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昨日までの俺なら反射的に振り払っていたはずなのに
俺はそのキスを受け入れてしまっていた。
「…はよ」
俺が目を覚ますと同時に、碧が嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見ていると、なぜか鼓動が速くなる。
昨夜の出来事が頭をよぎり、顔が熱くなるのがわかった。
碧は優しく俺の頬に触れ
「顔赤いけど、大丈夫?」と尋ねてきた。
俺は慌てて顔を背け、「なんでもねぇよ」と言い訳をしたが
碧は納得していない様子で、心配そうに俺を見つめていた。
リビングへ向かうと、そこには驚くほど彩り豊かな朝食がテーブルに並べられていた。
木製のプレートの上には、こんがりと焼かれた目玉焼きが二つ
その黄身はまるで太陽の光を閉じ込めたかのように鮮やかなオレンジ色をしていた。
その横には艶やかなソーセージが添えられ、食欲をそそる香ばしい匂いがふわりと漂う。
新鮮なレタスとミニトマトのサラダには、白いオニオンスライスが散らされ
ドレッシングの香りが食欲をそそる。
そして、小さなココット皿には、表面でチーズがとろりと溶け
香ばしい焼き色がついたグラタンが鎮座していた。
パンはライ麦パンだろうか
素朴な色合いだが、見るからにふっくらとしていて美味しそうだ。
隣には小さなガラスの器に入った、自家製と思しきベリーのジャムと
とろけるようなバターが添えられている。
「今、ちょうどできたところだよ」
碧が、マグカップを二つ手に持って現れた。
一つはカフェオレだろうか
もう一つは温かいスープが入っている。
湯気と共に立ち上る香りが、俺の空腹を刺激した。
碧はいつもの穏やかな笑みを浮かべながら、俺の席を指し示した。
「すごいな……お前、こんなの作れるのか」
思わず感嘆の声が漏れた。
こんな手の込んだ朝食を、誰かのために作ってくれる人間がいるなんて
俺の人生には一度もなかったことだ。
碧は少し照れたように笑う。
「簡単なものだけどね。遼くん、まだ体辛いだろうから、しっかり栄養摂らないと」
そう言って、碧は俺の前にカフェオレのマグカップを置いた。
温かい湯気が立ち上り、コーヒーの香りがふわりと漂う。
その香りは、昨夜の悪夢のような出来事を、少しだけ遠ざけてくれるようだった。
俺は椅子に座り、目の前の朝食を改めて見つめた。
まるで高級ホテルの朝食のようなその光景に、呆然と立ち尽くす。
まさか、こんなにも丁寧に
そして愛情を込めて作られた食事が、自分に向けられているとは。
「…いただきます」
自然と口から言葉が出た。碧も向かい側に座り
「うん、いただきまーす」と大きく言って、スープに口をつけた。
まずは目玉焼きにフォークを入れる。
黄身は半熟で、とろりと流れ出す。
それをパンにつけて食べると、卵の濃厚な味わいとパンの香ばしさが口いっぱいに広がる。
「うま……」
素直な感想が漏れた。
こんなにも温かくて、優しい味がする料理を、俺はいつ以来食べていないだろう。
いや、もしかしたら、生まれて初めてかもしれない。
そんな俺を見て、碧は嬉しそうに目を細める。
「よかった。口に合うかなって心配してたんだ」
グラタンも熱々で、チーズの香りが食欲を刺激する。
一口食べると、クリーミーなホワイトソースとマカロニが絡み合い、優しい味がした。
サラダはシャキシャキとした食感で、口の中をさっぱりさせてくれる。
一口食べるごとに、全身にじんわりと温かいものが染み渡っていくようだった。
「お前、料理得意なんだな」
俺が言うと、碧はふふっと笑った。
その笑い声は、朝の光のように爽やかで
俺の心を少しだけ軽くする。
「まあ、それなりにね。遼くんのために、もっと美味しいもの作ってあげたいな」
その言葉に、俺は少しドキリとした。
俺のため、という言葉が、妙に心に響く。
俺は、誰かに「〜のため」と言われることに慣れていない。
むしろ、誰かの「邪魔」になることばかりだった。
碧は俺の食べ具合をじっと見つめながら、時折
自分のソーセージを俺の皿に乗せてくれたり、俺のパンが少なくなると
すぐに新しいパンを差し出してくれたりした。
その一つ一つの仕草が、まるで俺を本当に大切にしているかのように感じられて俺は戸惑いを覚えた。
「こんなに俺に施して…いいのかよ、元はといえばお前の命を奪おうとしてた相手に」
俺が冗談めかして言うと、碧は真剣な顔で答えた。
「いいんだよ。遼くんは、僕のそばでゆっくり休んでいればいい」
その瞳は、俺の冗談を一切受け付けない、強い光を宿していた。
「僕が全部、君のことを独り占めしたくてしてることだから」
その言葉は、優しく、そしてどこか重かった。
独り占め、という言葉の響きに
俺の心臓はまた、ドクンと音を立てた。
それは恐怖とは違う、しかし、抗いがたい何かの予感だった。
「…俺に翻弄されすぎじゃねぇか」
俺はそう言って、視線を逸らした。
碧の真っ直ぐな視線を受け止めるのが、なぜか照れくさかった。
「ふふっ…遼くんこそ、居場所見つけたって顔してるね」
碧の言葉に、俺はハッとして碧の瞳をちらりと見た。
そこには、嘘偽りのない愛情が宿っているように見えた。
そして、その愛情の奥底には、確かに俺を「独り占めしたい」という
強い執着のようなものが垣間見えた。
俺は、その執着から逃れられないことを本能的に理解していた。
そして、不思議なことに
それはもう、怖くはなかった。
むしろ、温かい繭に包まれているような、そんな安心感さえあった。